反原発・反安倍政権の制服向上委員会、アイドルの主張どこまで許される? | ニコニコニュース

脱原発を訴えるアイドルグループの制服向上委員会 (C)De-View
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 アイドルグループの制服向上委員会が、6月13日に神奈川・大和市で開催した「憲法九条やまとの会」主催のイベント『若者と国家-自分で考える集団的自衛権』に参加した。その際に歌った自民党を批判する替え歌がニュースとなり、大和市が後援名義を事後的に取り消すという異例の騒動へと発展していった。その渦中にいる制服向上委員会とは、いったい何者なのだろうか? いちアイドルグループが、政治色の強い活動をすることの意義と是否について改めて考えてみたい。

“地下アイドル”シーンの成り立ちと現状とは

◆正統派アイドルグループから政治的思想の強いグループに変化した制服向上委員会

 <大きな態度の安倍総理 おじいさんと同じ>(「大きな古時計」の替え歌)で始まる「おじいさんと同じ」という曲を歌う制服向上委員会が、いま何かと物議を醸している。6月30日に深夜放送されたラジオ番組で、爆笑問題の太田光が「あれ、やらされてるんだろうなぁ」と笑い混じりで語ると、田中裕二も「歌っている映像見たけど、生気なかったよ。歌いたそうな感じじゃなかったよ」と答え、再び大田は「あれはさすがにちょっと痛々しいよね」とコメント。『週刊文春』7月9日号では、制服向上委員会を“左派アイドル”と紹介、「憲法解釈変えないで!」「安保法制絶対!反対!」などと書かれた紙を持った写真が掲載された。

 そもそもこの制服向上委員会(現在は略してSKiともいう)の名は、現在30代半ば以上の男性なら、少しは聞き覚えがあるかもしれない。デビューは1992年の“アイドル冬の時代”のど真ん中。当時は、お嬢様女子高生風の制服をトレードマークに活躍する正統派アイドルグループで、メンバーの中心的存在だった南国系美少女の吉成圭子が、一部でカリスマ的人気を博していた。メンバーチェンジを繰り返しながら、大手レコード会社に所属したが、1995年にインディーズレーベル「アイドル・ジャパン・レコード」を設立。2006年には“卒業”という形でグループの活動を終了。その後、2010年に“地デジ放送反対”の曲「TVにさようなら」を発表して再始動する。その後も、2011年には脱原発ソング「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」を、2012年には民主党政権批判の「野田・悪魔・TPP」を発表。「Ohズサンナ」という曲では、「諸悪の根源、自民党」とまで歌っている……となると、これは立派な左派アイドル・脱原発アイドルといっていいだろうが、メンバーは10代のごく普通の少女たち。果たして彼女たちは、本当に政治的思想を持ち合わせているのだろうか?

 グループの背後には、プロデューサー的な形で、1970年代前半に活躍した伝説的な反体制ロックバンド・頭脳警察のパンタの存在がある(頭脳警察は制服向上委員会と同じ事務所に所属)。また、憲法第9条をテーマにした曲では、同じく反体制のフォーク歌手・中川五郎とユニットを組んでいる。曲の内容もさることながら、このあたりに、彼女たちが左派アイドルとされる由縁もありそうだが、各イベントでもそれなりの渦を巻き起こしているようだ。

◆ロックではなくアイドルが“反体制”を歌うことに違和感も

 2011年の『FUJI ROCK FESTIVAL』では、「大手スポンサーの圧力で出演が取りやめになった」と公式ブログで発表したが、その後、そもそも『FUJI ROCK FESTIVAL』側からのオファーはなかったと謝罪。今年6月には、「憲法九条やまとの会」主催のイベントで、自民党批判の曲を歌い、神奈川県大和市教育委員会が、同イベントの後援を取り消す方向で検討していると報道されたことは、記憶に新しいところだ。その他、社民党や日本共産党絡みのイベントやメディアにも、多数登場している。こうなると、もはや最近流行の“炎上商法”といえなくもないし、うがった見方をすれば、一連の騒動は、所属事務所側にしてみれば“狙い通り”なのかもしれない。

 そもそも反体制的な主張は、ロック系ミュージシャンの“お箱”でもあり、当たり前のことでもある。脱(反)原発ソングにしても、THE BLUE HEARTSの「チェルノブイリ」や、RCサクセションの故忌野清志郎さんの一連の曲を筆頭に、佐野元春、加藤登紀子、Dragon Ash、海外では、アリス・クーパー、スティング、ブルース・スプリングスティーン等々、錚々たるメンツが発表している。2011年には、斉藤和義の「ずっとウソだった」が話題にもなった。ただ、ロックミュージシャンではなく、いわゆる“アイドル”が、こうした体制批判、反体制的主張をすること自体に、強烈な違和感や“そぐわなさ”を感じるのも否めない。前述した爆笑問題の発言ではないが、何か“やらされてる感”すら見て取れるのは、“アイドル”である彼女たちの“本音”が見えないことと関係しているだろうし、ある種、アイドルが抱える“宿命”なのかもしれない。

 一方、選挙権が満18歳以上に引き下げられることも決定し、なにかと言論弾圧問題が叫ばれる昨今、“アイドル”にはこれまでのように、単純な可愛さやファンタジー的な曲ばかりを求めるのではなく、制服向上委員会の少女たちが発するような“主張”にも、ある程度、耳を傾ける必要が出てきたということではないか。時代の要請なのか、“アイドル”としての新しいバリエーションのひとつにすぎないのか。それは、今後の彼女たちの活動によって、自ずと答えが出てくるだろう。

(文:五目舎)