共産党本拠地、日本軍に「ちゃんと」爆撃されていた=中国・新華社 | ニコニコニュース

サーチナ

 中国国営新華社は1日、中国共産党が1936年から40年代にかけて本拠地とした延安が、日本軍の爆撃を受けていたと発表した。中国のインターネットでは、日中戦争期に国民党が党中央を置いた重慶市が猛烈な空爆を受けたのに「延安はなぜ、攻撃されなかったか?」と疑問を示す声が増えていた。

 重慶市北碚区資料館の馮琰館長が6月30日、共産党が支配していた延安地区が日本軍の爆撃を受けており、共産党側も反撃していことを示す資料を公開した。延安が空爆を受けた証拠が公開されたのは初めてという。

 馮館長によると、延安空爆の写真は、朝日新聞の従軍記者が所持していたものを、同館が入手した。「佐瀬航空部隊」による爆撃にかんする空撮写真で、延安地方独特の地形や、平野部の都市が爆撃を受けて炎上する様子が移っている。

 撮影日は1939年10月15日で、午前9時には日本軍機36機が延安上空に侵入し、大型爆弾100発を投下。午後2時ごろには日本軍機35機が3波に分かれて侵入し、大型爆弾120発以上を投下した。同日の爆撃で、中国側は死者10人、負傷者13人が出たという。

 新華社は上記発表をもとに「日本軍は延安を爆撃しなかったという疑義は成立しない」と主張した。

**********

◆解説◆


 中国では1990年代まで、蒋介石は「批判と罵倒」の対象だった。「無能」で「腐敗」しており、日本軍に対抗することは到底できず、共産党が日本に対する断固たる戦いを遂行しつづけたので、抗日戦に勝利することができたとの言い方だ。

 実際には、共産党(八路軍など)が実施していたのはゲリラ戦などの後方撹乱で、日本軍との正面作戦は国民党が実施していた。共産党軍が果敢に闘っていたのは事実だが、戦争末期を除けば日本軍に「本格的被害」を与えるには至らず、作戦の進行を遅らせる程度の戦果だったとの見方が強い。

 1980年ごろまでには、少なくとも一部知識人の間では、「日本軍と真の意味で対決したのは蒋介石」とささやかれるようになった。

 中国で「蒋介石評価」が始まったのは、台湾における政権交代がきっかけだった。2000年に独立志向のある民進党の陳水扁政権が発足すると、中国共産党は「立場が違っても、1つの中国が党是」である国民党を「評価」するようになった。

 それに伴い、蒋介石も「愛国の士だった」と評価するようになった。ところが、蒋介石を評価するようになると一般人の間でも、「日中戦争勝利は主に国民党の功績」との見方が強まることになった。

 中国共産党は、政権の正統性を示す重要な根拠として「日中戦争を勝利に導いた。共産党だけに可能な偉業だった」としている。戦争について国民党への評価が高くなりすぎることは好ましくないとして「共産党本拠地も『ちゃんと』爆撃されていた」ことを示したと考えられる。(編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:CNSPHOTO/抗日戦の徹底を呼び掛け学生が書いた壁画を眺める日本軍兵士とされる)