大正天皇の病状判明=山県らと頻繁に面会も―「実録」黒塗り大半解除・宮内庁 | ニコニコニュース

 大正天皇の47年の生涯を記録した「大正天皇実録」について、宮内庁は1日までに、個人情報保護などを理由に黒塗りにしていた部分の大半を解除し、ほぼ全文を公開した。脳貧血などの病状や、元老の山県有朋ら要人と頻繁に面会していたことが新たに判明した。

 同実録は1927年から10年間かけて編さんされ、宮内庁が2002〜11年に4回に分け公開したが、全体の約3%が黒塗りされた。11年施行の公文書管理法による「時の経過」などを考慮し、公開基準を見直した結果、今回、黒塗りは全体の約0.5%に減った。診断書など病気の詳細や学業成績は非公開。

 病状に関する記述では、逝去1年前の1925(大正14)年12月19日に起きた脳貧血について、日付と「脳貧血ニテ」「御恢復(かいふく)アリ」以外は黒塗りだったが、同日夕方に突然、脳貧血で一時「人事不省」(意識を失うこと)に陥り、約3カ月余り病床にあったことが分かった。

 1915(大正4)年1月3日の記述は、日付以外黒塗りだったが、山県有朋と面会し、晩さんを共にしていたことが判明。面会者の氏名が明かされ、政府や軍の要人と頻繁に面会し、第1次世界大戦の戦況報告を受けていたことも分かった。

 「大正天皇」などの著書がある古川隆久・日本大教授(日本近現代史)は「必要ない部分まで黒塗りにして臆測を招いていたが、大正天皇が重い病気になった背景がよく分かるようになった。黒塗りの大部分に天皇の職務が記述されており、疲労が原因とされていたことが裏付けられた」と話している。