ジュリー・ハンプ氏に「復活の道」はあるか | ニコニコニュース

ハンプ氏のキャリアパスは典型的なサクセスストーリーだった(2015年4月3日、トヨタ名古屋オフィスで開催された新任役員会見にて)
東洋経済オンライン

オキシコドン密輸容疑で逮捕され、トヨタ自動車を辞任した前常務役員で米国人のジュリー・ハンプ氏。不起訴処分となり「容疑者」ではなくなったが、「トヨタ広報の顔」「ダイバーシティ人事の象徴」のキャリアは大きく傷ついた。

米国の自動車業界を代表するゼネラル・モーターズ(GM)の広報畑で長年キャリアを積み、飲料メーカーのペプシコで広報トップの上級副社長にまで上り詰め、キャリアに磨きをかけてきた。

今なお「ボーイズクラブ」と呼ばれることが多い米国自動車業界で、出世を勝ち取ってきた彼女が、日本企業であるトヨタに転職した理由は何だったのか。米国人にとっての自動車業界のキャリアパスとはどのようなものなのだろうか。

■GMでの評判は極めて高かった

「逮捕のニュースを聞いてとにかく驚いた。広報仲間でも、ジャーナリスト仲間でも、ジュリー・ハンプのことを悪く言う人には、これまで本当にひとりも会ったことがなかったから」 

そう語るのは、ハンプ氏が約25年間勤務していたGMで、2000年まで3年間、米国西海岸担当の広報官として働いていた経験のあるマイケル・コーテスだ。

GMでヨーロッパ地域の広報担当バイス・プレジデントまで出世したハンプ。コーテスが彼女と直接会ったのは社内広報全体ミーティングなどの機会2~3回のみだったが、社内外の評判がすこぶるよかったという記憶しかない、と彼は言う。「戦略的思考ができ、周囲といい人間関係を即座に作れることで知られていた。直属の部下からも尊敬されていて、前向きな性格で、とにかく一目置かれていたのを覚えている」。

コーテスは、内部から見たGMという企業の特徴をこう語る。

「GMは巨大な組織で、ヒエラルキー重視の縦社会。指令系統の段階が驚くほど細かく存在している。たとえば私がGM以前に働いていたクライスラーでは、広報部の私の直属の上司がCEOに直接進言し、CEOもそのアドバイスに耳を傾けるといういい意味での組織のコンパクトさがあった。特に社が経済的に苦境にあればあるほど、手っ取り早くイメージを立て直す戦略を提供できるのが広報部だからだ。だが、GMはまったく違う。組織の壁が非常に強固で、個人の人望の厚さで壁を突破していくことは難しい。そこでエグゼクティブにまで上っていくには、周囲が黙るほどの結果を出し続けるしかない」

ツアー案内係からキャリアをスタート

しかも、伝統的に「ボーイズクラブ」として知られる男性中心の自動車業界で、女性が頭角を現すには、ライバルの男性たちの何倍もの成果と努力を見せなければならないのが常だという。

ハンプは、ミシガン州のフェリス州立大学を卒業し、当時、フリントにあったビューイック工場のツアー案内係としてGMで25年間のキャリアをスタートした。広報畑、特に社内広報担当は、男性中心のGMのような製造業の企業で、例外的に女性が出世しやすいキャリアパスだ。

ハンプはラテンアメリカ、アフリカ、中東地域の広報を担当した後、ヨーロッパ地域の広報を統括する立場を任される。27カ国の地域の広報官をまとめる責任ある立場だ。

だが、デトロイトを世界の中心だと考えるGM経営陣にとって、ヨーロッパ担当広報のポジションは、出世の最短コースではない。前出のコーテスは次のように説明する。

「GMの本丸は米国市場。ヨーロッパではGMの車はそれほど売れていない。広報部でも出世頭のトップの人材は米国広報のポストにつかせるのが普通だ。距離と時差のあるヨーロッパから発信しても、社内での影響力はあまり大きくない」

■自動車業界を渡り歩くことはよくある

終身雇用制という安定がまったく存在しない米国企業では、アップ・オア・アウトの原則、つまり、社内で出世し続けるか辞めるか、の二択であることが多い。社内で頭打ちの地位にいる場合、より大きな責任とパワーを得られるポジションを求めて他社へ転職するのはエグゼクティブを目指すなら当然のことだ。

自動車業界の中なら、GM、クライスラー、フォードなどライバル会社間での複数回の転職も当たり前だ。一社への忠誠心よりも、自分がより大きな責任を任される可能性がある方が重要なのが、米国ビジネスパーソンの基本の価値観である。

自身が、クライスラーからGMへの転職組だったコーテスは、「広報職はエンジニア畑などと違いゼネラリスト職だから、まったくの他業種でも通用するし、米自動車業界は他業種でより高い実績を積んで凱旋して戻ってくる人間を歓迎する空気がある」と言う。

ハンプはペプシコでの4年間で名実共に広報トップの地位を得た。年俸やストックオプションなどを含めた収入も、GMにいた頃とは比較にならないほど高かったはずだ。

そして2012年にペプシコからトヨタ北米本社の広報トップに転身した。

米企業カルチャーでの競争を知り尽くし、サバイバルしてきたハンプが、なぜ本社機能が日本にあり、経営の最終意志決定権がない米国のトヨタに入社したのだろうか。

なぜトヨタに転じたのか

給料の面で考えれば、ペプシコの上級副社長から北米トヨタの広報へというのは、報酬が大幅に下がるとみるのが普通で、多くの米国人にとって「なぜだ?」とまったく理解できない転職のはずだ、と言うのはミシガン大学エンジニアリング学部で教鞭を執り、トヨタ経営に詳しいジェフリー・ライカー教授だ。

だが、2009年に起きた米国でのトヨタ車の大量リコールでの対応の遅さが米国世論からの突き上げを呼び、そして米国議会公聴会で豊田章男トヨタ社長が鋭い質問を浴びて証言するという一連の事件がトヨタを変えた。ライカー教授は次のように語る。

「社長自らイニシアティブを取り、これまでの、あらゆる原因をまず徹底的に探ってから万全の対策を練るという時間のかかる従来方式から、今ある情報で、スピーディーに最善の対策を打ち出す方針に変えようとしていた。問題が起きた当時、北米トヨタには米国現地でのリコールの決定権はなく、日本の決定を仰ぐしかなく、広報を含め、多くの社員が歯がゆい思いをしていたから」

そんな転換期を経ての北米トヨタに広報のまとめ役として入社したということは「事が起こってから後手後手に反応するのではなく、日頃からつねに先手を打ってアグレッシブに展開していく米国流広報戦略を買われてのことだったのでは」とライカー教授は見る。

また、エグゼクティブが巨額の報酬と大きな決定権を得られる米国企業では、経営トップからの厳しい評価の目に常にさらされ、下手をすればクビもあり得るのが普通だ。

■"セカンドチャンス"はあるか?

ライカー教授いわく、トヨタのある米国人マネージャーに話を聞いたところ、彼は日米企業文化の違いをこんなふうに表現したという。

「これまで在籍してきた米国企業では、経営トップに何かを報告する時は、冷ややかな目でじっとこちらを観察している最高裁の判事たちの前でプレゼンするような張り詰めた空気だった。失敗しないように、どうか無事に済みますようにと緊張していた。だが、トヨタの日本の経営陣の前で報告した時は、幹部たちがまず、こちらの話を好奇心を持ってじっくり聞こうとする態度が伝わってきて、リラックスして意見を言える空気が漂っていた。本当にアットホームな感じだった」

短期的目標を、つねにクリアしていかなければはじかれてしまうトップダウン型の米国企業でサバイバルしてきた米国人には、日本を代表する企業であるトヨタの「入社したらファミリーの一員」として扱われる価値観、チームワーク重視の文化、長期的視野で目標を達成しようとする粘り強さが、むしろ新鮮に感じられる可能性もある。しかも、日本の本社に役員として抜擢された後は、ハンプには自分を重用してくれる社長がつねにそばにいる。「だから言葉がわからない日本に住んで、女性役員が自分ひとりだけという状態にあっても、それほどストレスではなかったと思う。GMの男社会で海外勤務も経験し、たたき上げで出世してきた彼女にとって、外国に住むことがいまさらストレスになったとは思えない」(ライカ―教授)。

自動車業界における画に描いたような出世ストーリーが突然、幕を下ろした。とはいえ、これまで築いてきたキャリアがゼロになるわけではない。不起訴になったことで、“セカンドチャンス”の国、アメリカでは、彼女を雇い入れる会社が現れる可能性もある。GMも経営破綻したが、セカンドチャンスを米国民から与えられた。

ただ、トリッキーなのは、広報職の使命は、自分は常に影の立場にいて、決してスポットライトに当たらず、メディアを上手に動かすことであるのに、自らがニュースのネタになり、メディアから追いかけられる隙を作ってしまったことだ。そんな彼女の「広報」の能力が、今後どのぐらい評価されるのかは未知数だ。

前出のふたりはこう語る。

「アメリカ人が日本の法律は厳しすぎると批判しようがどうしようが、
今回彼女のやったことが、日本の法に触れてしまったという事実は消せない。刑を受けずに帰国できるだけでもラッキーだ」(ライカー教授)

「広報としては最悪のシナリオを自ら引き起こしてしまったわけで、高い地位での再就職は非常に難しいと言わざるを得ない。だが、その上で彼女がどう復活してくるのか、楽しみだ」(コーテス)

起こってしまった人生最大の危機。それを彼女が今後どう乗り越えるのか。そして、広報のキャリアで培った「クライシス・マネジメント」のスキルを自身の人生でどう使って復活してくるのか。いま、そこに米自動車業界関係者の注目は集まっている。

(一部敬称略)