小林よしのり氏 「自虐史観」から「自尊史観」の急変を嘆く | ニコニコニュース

対談する小林よしのり氏(右)と呉智英氏
NEWSポストセブン

 日本人の戦争観を翻した『戦争論』から17年、小林よしのり氏が戦場ストーリー巨編『卑怯者の島』を上梓した。京都国際漫画ミュージアムで開催中の「マンガと戦争展」のイベントとして企画された小林氏と評論家・呉智英氏の特別対談。二人は小林氏が描く「マンガと戦争」について、議論した。

呉:「戦争だからみんないけない」とか、「日本人は被害者だったからみんな死んじゃってかわいそう」とか、あるいは「殺された支那人はみんなかわいそう」とか、そういう単純なものではないだろうと。それから、おそらくは、福岡という土地の中で、子供のころからそれをどれだけ聞いていたかわからないけど、大アジア主義における「黒龍会」(頭山満の玄洋社から派生した団体)などの流れもあって、やはり、評価すべきものは評価していかなきゃいけないという思想があったんじゃないかと思うんですけどね。

小林:そうですね。展示も見ましたけど、結局、わしの小学生ぐらいのころは『0戦はやと』とか『0戦太郎』『ゼロ戦レッド』などのマンガがあり、あるいは『少年マガジン』のグラビアには(イラストレーターの)小松崎茂が描いた軍艦が載っていたりした。だから子供のときは、グラマン、隼、零戦のうちどれが強いかとか、そういうのが普通に話されていた時代がありましたよ。

呉:戦後十数年ぐらいですね。

小林:そうですね。戦争マンガがあったわけですよ。で、どっちが勝つかっていうことを単純に楽しむことができたわけですね。テレビでも「怪傑ハリマオ」なんかは、一番最初のイントロのシーンは、アジアの人々が英国人にむち打たれてこき使われてるところから始まるんですよ。そこに、ばーんと銃声があって、ハリマオが出てくるわけですよね。つまり、あれはアジア解放ですよ、あの観念は。そういうものを子供心に見てるわけですよね。

 それが、いつのころからか、どんどん、どんどん「自虐史観」というものになっていくわけですよ。で、自分の祖父たちがこんな悪辣なことをしたということばっかりが強調されていくっていう流れにあったわけですよね。まったく世代が断絶してしまってたんです。じいちゃんばあちゃんとかの世代は、子供や孫に軽蔑されるっていう状態になってしまっていた。で、過去のことが、もう話せない。「戦時中はね」とかって話したら、「中国で虐殺ばっかりしまくってきたんでしょう、じいちゃんは」っていう感じで、軽蔑される状態になっていたわけじゃないですか。そうすると、歴史の縦軸が断絶された状態になってしまったわけですよね。

 そうした状況を打破し、「じいちゃんばあちゃんたちにセンチメンタリズムを起こさせる」ために描いたのが『戦争論』だったと小林氏は言う。だが、その後の世論の変化は、氏の意図せぬものでもあった。

小林:残念ながら、そのあとの反応がまた極端に「自尊史観」のほうに走っちゃって、日本は一切悪くないと。わしが子供のころは、ただ単に戦争というものは懐かしい思い出で、「娯楽」にもなりうるものであったと。その次はどんどん「自虐史観」になって、日本の過去はすべて悪だということになっちゃった。

 で、『戦争論』以降は、とにかく「日本人は誇らしい、素晴らしい民族だ」みたいな話になってしまったっていうことで、どんどん揺れ動くんですよ。結局、真ん中に止まるっていうことがないな、この日本人っていうものは、という感覚に今、なってしまってるということですね。

呉:戦争の実相っていうのは単純なものじゃないと。今回の『卑怯者の島』なんかにもあるように、みんな勇猛果敢だったわけでもないし、表面的に勇猛果敢だった人でも、心の中には葛藤を抱えているというのは、当然、あるわけですね。だから、そういう戦争の実相自体も、一つには、世代を経ることによってわからなくなることもある。

 もう一つは、意図的に、当時の時代、風潮、イデオロギーによって、ある側面が隠されていくということも当然、あるわけですね。それを小林さんがいろいろなかたちで世間の風圧を受けながらもお描きになって、問題提起したっていうのは、私は非常に重要だと思います。

※SAPIO2015年9月号