科学者「この世はニセモノかもしれない」 我々は完全にフェイクな世界で生きている可能性!! | ニコニコニュース

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 人気のアクションゲーム『グランド・セフト・オート』シリーズや、ものづくりゲームとして人気の『マインクラフト』など、最近のビデオゲームはビジュアル表現にも優れ、ゲームの舞台となる世界もきわめて広く、まさに"第2の人生"を送れる場所になっている。またオンラインゲームであれば他のプレイヤーとコミュケーションすることもできることから事実上、ゲームの世界の"住人"になれるのだ。

 スキーのゴーグルのような装着型のディスプレイ機器を用いたVR(バーチャルリアリティ)技術も着々と開発されているが、ゲームの世界にリアリティを追求すればするほど、当然のことながらゲームは現実に近づいていく。......とすると、この"現実"もまた何かのシミュレーションゲームの舞台かも知れないと考えるのは飛躍し過ぎであろうか。しかし驚くべきことに昨今、この「シミュレーション仮説」は哲学や脳科学の分野で真剣に議論されている。この世はビデオゲームの世界と同じだといういうのだろうか。

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■この世はビデオゲーム!? 「シミュレーション仮説」とは?

 先頃アメリカで放送されたテレビ番組『Closer To Truth』では、各界の著名人が登場してこの「シミュレーション仮説」についての考察を語っている。

 番組の司会を務めるのは企業コンサルタントで投資家で脳科学者でもあるロバート・ローレンス・クーン氏だ。彼もまた『The Mystery of Existence』などをはじめ宇宙論や存在論についての著作も多い、この問題のエキスパートである。そのクーン氏が今回、各方面の識者に「この世はフェイクですか?」と質問したのだ。

 番組の中ではまず、英・オックスフォード大学のニック・ボストロム教授が、"フェイクな世界"を「技術的にとても進んだ文明によって、豊かで微に入り細に入り作られた人間シミュレーションソフトウェアなのです」と説明している。

 ボストロム教授のこの「シミュレーション仮説(Simulation hypothesis)」は我々以外にも知的文明が存在することを前提にしていることになるのだが、この説に立脚すれば次の3つのシナリオのうちのひとつが真実であるというのだ。

1、ほとんどの文明は技術的に成熟する前に絶滅した。

2、十分に成熟した技術を持ったほとんどの文明はシミュレーション装置を作る興味を失った。

3、我々人間は実際にコンピュータ・シミュレーション上で生きている。

 今後人類は、超高度なシミュレーションソフトが作れる技術水準に到達する前に絶滅してしまうのか、それとも今後じゅうぶんな技術力(シンギュラリティの超越)を獲得するもののシミュレーションソフトを作る意欲を持たないのか、あるいは現在すでにコンピュータ・シミュレーションの世界で生きているのか、いずれにしても心中穏やかになるものではなさそうだ。もしすでに我々がシミュレーションの世界の住民であるのであれば、そのシミュレーションソフトの"作者"は、我々には存在すら感じられない超越的な存在であることになる。我々人類は、水槽で飼われている観賞魚のようなものなのだろうか......。


■物理法則は何者かによってプログラムされたシミュレーション!?

 番組にはボストロム教授以外にもさまざまな分野の識者が登場してこの問題についての見解を述べている。

 SF作家のデイヴィッド・ブリン氏は、うたた寝中の夢の中で50年の生活を体験したという中国の故事「邯鄲の夢(邯鄲の枕)」を引き合いに出し、2050年の社会では人々はコンピュータ・シミュレーション上で生活しているだろうと語っている。

 実業家でフューチャリストのレイ・カーツワイル氏は話の中で「宇宙はコンピュータです」と述べ、自分自身もひとつの情報のパターンであると定義。「情報こそが究極の現実なのです」と結んでいる。

 では、本当にこの世がコンピュータ・シミュレーションなのだとすれば、それを証明する糸口はあるのか? 物理学者のポール・デイビス氏は多元宇宙論(Multiverse)を駆使してこの謎に挑み、もし宇宙がシミュレーションであるなら物理法則もシミュレーションであるという認識に立脚し、現在の物理学の様々な科学的矛盾は、物理法則が何者かによってプログラムされたシミュレーションであることの証明になると示唆している。

「(この宇宙の)いくつかの文明は完全にフェイクな世界を作り上げることができる技術を持っている」(ポール・デイビス氏)

 やはりここでも、人智を遥かに越えた知的文明の存在が指摘されているのだが、これは人間にとっての"神"なのだろうか?


■"神"と考えていた存在はソフトウェアの"作者"だった!?

 では「シミュレーション仮説」は"神"の存在や一神教に関係するものなのだろうか?

「『シミュレーション仮説』は一神教や無神論の代わりになるものではありません」と前出のニック・ボストロム教授は語る。「むしろ、すべてを創造したというキリスト教的な「創造主論(creation hypothesis)」を弱めることになるだろう、なぜなら、伝統的な神がシミュレーションの"作者"に取って代わるから」だという。

 このシミュレーションをつくった作者、いわば"超越的存在"はもちろん高度な知能と技術を携えているが、決して無限の力を求めているわけではないという。彼らはシミュレーションを操作することによって、我々の世界に干渉し、場合によっては好ましいようにすべてを変えることができる能力を持っているらしい。

 文明論から宗教論にまで発展するこの「シミュレーション仮説」だが、考え出すとなかなかキリがない案件のようだ。しかし我々人間が作ったものではない自然環境は、好むと好まざるとに関わらずに用意された"舞台"であるし、そこで我々人類がいろんな工夫を凝らしながら今日まで生きてきた過程が、まさにシミュレーションゲームそのものかもしれない。問題はそこに"管理責任者"がいるのかいないのか、ということになるのだが......。眠れない真夏の夜に考えてみれは熟睡できるかも!?
(文=仲田しんじ)