終戦の日の皇居前土下座写真は、やはり「捏造・ヤラセ」だった!? | ニコニコニュース

皇居前で土下座して泣いている人々
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 皆さんこんにちは、陰謀社会学者の聖橋乱丸である。戦後70年ということで、その戦争に関する陰謀をご紹介しよう。先日、宮内庁の発表で「終戦の日の玉音放送の原盤」が公開された。その音は、今まで聞いてきた音源よりもクリアで、なおかつ透き通った音であった。

 一部のネット上には「玉音放送の原盤」が今この時期に公開されたことに対して「宮内庁または皇室の陰謀ではないか」という指摘もあった。しかし、それは違う。

 宮内庁職員に確認したところ、以下のような答えが返ってきた。

「陰謀もなにも、戦後にアメリカの進駐軍が来て皇居内の戦中・戦前の資料をほとんど接収後、それがバラバラに戻ってきたままになっていて、まだ整理ができていない状態が続いていたのが、今見つかっただけです」

 だとしても、なぜ、「安保法制」や「戦後70年談話」で安倍政権が何かと問題視されているこの時期に公開されたのだろうか?

「今年3月に発売された『昭和天皇実録/東京書籍』の編纂が終わり、その周辺資料の整理を行っている時、すでに原盤は発見されていました。宮内庁はすぐにでも公開するつもりだったのですが、劣化が激しくNHKに修正を依頼したため、公開が遅れただけです。宮内庁の計画では、昭和天皇実録の公表と同時にこの原盤も公開予定だったのですがね......」

 だとしたら、劣化の修正作業を"遅らせた"「NHKの陰謀」の方が濃厚になってくる。しかしながら「NHKの陰謀」はともかく、マスコミの陰謀は今に始まったことではない。

 たとえば、戦争に関する陰謀者として特に悪名高いといわれているのが、8月15日に朝日新聞の夕刊一面に掲載された「終戦の日の皇居前土下座写真」であろう。


■皇居前土下座写真はフェイクなのか?

 だれでも歴史の教科書で見ることができる、あまりにも有名な写真だ。玉音放送を聞いて、皇居前で土下座して泣いている人々を写した写真である。しかし、この写真には「捏造」疑惑がつきまとっているのだ。

 当時、大学生であった作家の星新一(故人)は玉音放送を東大で聞き、その後、ラジオが録音であるとは知らずに玉音放送後の天皇の馬車を見ようと皇居前広場に行ったが、その時には「写真で見るような平伏している人は見なかった」と書いている。また、ほかの記録でも、皇居前にラジオが出されたり、あるいは皇居前にある空襲警報などを出すスピーカーで玉音放送を流したという記述はない。

 では、この写真はいつ、どのようにして撮影されたのであろうか。

 当時の皇室に詳しい、国会の職員に聞いた。

「この写真は玉音放送が流れる前に撮影されたものだと言う人は多くいます。今でこそ当日のニュースがネットや新聞を通じてすぐに報道される時代ですが、当時はもっと時間がかかるうえに、戦時中の混乱期。正午のニュースが当日に伝わるのは不自然としか言いようがありません。前日、あるいは、随分前に撮影されたものではないかとも言われているんです」

「しかも、この写真は皇居にお尻を向けないと撮ることができない角度。当時、天皇に尻を向けて写真を撮影したら、不敬罪で死刑になります。その証拠に、国会議事堂(当時も現在も同じ)は中央の部分が8階までありますが、一般の人は4階以上に上がることは許されていなかった。だから今も国会の図書室は4階にあり、それ以上は閉鎖されているんですが、理由は、国会の4階以上は、皇居よりも高い位置になり見下ろすからなんです。つまり、『天皇陛下を見下ろすなんて、不敬なことは許さない』として、特別な時または掃除などの作業で許された時にしか上には上がれなかったんです。それくらい、ナーバスな問題なのです」

 では朝日新聞はなぜそのような捏造を行ったというのであろうか?

「敗戦が濃厚になったことで、自分たちの『主人』が天皇からアメリカやイギリスに変わると思ったからという見方ができると思います。実際に朝日新聞は、自分たちが戦争を煽ったということを自覚していましたし、戦争責任の一端は、本来朝日新聞をはじめとしたマスコミにもあるといわれていた。でも、そんな責任を負いたくない一心で、天皇陛下ひとりに戦争責任を押し付けたとみる者は少なくないんです。皇居に向かって尻を向けて写真を撮ったのもそういうことでしょう」

 もちろんこれは一部の意見ではあるが、読売新聞の正力松太郎や、のちの産経新聞の創始者となる前田久吉などが戦犯または公職追放になっていながら、朝日新聞はそれを逃れている。


■マスコミ全体が堕落していた

 そもそも、戦時中の日本のマスコミの報道体制は「大本営発表」の存在によって「事実は二の次」であった。さらに、昭和15年7月22日に、国家が1つになることを目的とした「大政翼賛会」が結成されてからは、政府の謀らいによって、「国民の士気を高揚させる報道」を義務づけられてしまう。もちろん、ミッドウェー海戦などの報道も嘘ばかりで、戦場にいる従軍記者は事実を知っていたが、彼らが率先して情報を歪めたといっていいだろう。

 しかし、そもそも「営利」と「国民迎合」によって成り立つ日本のマスコミは戦前から、事実に自分たちの個人的な考えを乗っけて、それをデフォルメして報道していた。

 だから戦前、朝日新聞をはじめ、多くの新聞社が日本国民を戦争に誘引するように書き散らかした。「鬼畜米英」「撃ちてし止まん」「欲しがりません勝つまでは」などの標語はすべて新聞が作ったもので、昭和4年のブラックチューズデイといわれるアメリカ株暴落事件以降、日本人の多くが焦燥感にさいなまれているのをいいことに「事態打開は戦争以外にない」という報道を繰り返したのだ。

 しかし、それだけ煽っていながら、いったん敗色が濃厚になると、その事実・実態を最も知るマスコミが最も先に、戦争責任から逃げ出すのである。

 このように、我々が当然に使っておりそして真実と思いこんでいる新聞報道も、実は、昔から捏造が多々あり、その裏には新聞社独自の思惑や立場、事実を伝える使命感とは全く異なる邪念・陰謀が入り込んでしまっているのである。

(文=聖橋乱丸)


※写真は、皇居前で土下座して泣いている人々