Appleは変わるべきだ | TechCrunch Japan

Appleには敬服すべき点があまりにも多い。彼らは最高の美しい製品を作る。その驚きの復活劇は、企業史の中でも類を見ない。スティーブ・ジョブズは、テクノロジー業界における現代の守護聖人のような存在になった。Tim Cookは、公正に、大いに尊敬されている。

ではなぜ私は、彼らがIT世界でそれほど多くの間違ったことをしていると思うのだろうか?

それは、私が思うに、彼らがほぼシェークスピアばりの悲劇的欠陥を持っているから:自らが販売するデバイスの中央集権的支配への執着だ。Appleは、非常に優れたハードウェアと、卓越したソフトウェアを売っている…そして、生涯を通じてその両方への弾圧的支配を維持し続ける。彼らの擁護派でさえそれを認めてよくこう言う:「Appleは常に傲慢で、支配的で、融通が利かず、時としてケチである」。

ソフトウェアは、Appleが公式に承認したもの以外、自分のiOSデバイスにダウンロードもインストールもできない。これはOS Xには、まだ、当てはまらないが、ユーザーの制御権は、ゆでガエルのようにゆっくりと、排除されつつある。

先に認めておくと、これはエンドユーザーにとって悪いことではなさそうに見える。マルウェアに対する防壁として働く。そしてAppleは、特に最近、立派なプライバシー擁護派である。ただし、業界アナリストの間には懐疑論もある。

ちなみにこれは、Appleが広告やクラウドサービス全般を必ずしも得意としていないことも一因である ― 例えば、Googleと比べて。そしてもう一つ、彼らの暗黙の取引が、「あなたの個人情報は安全です、なぜなら当社はあなたを他社に売るのではなく、あなたに商品を売って儲けているから」であり、一方Googleは、「あなたの個人情報は安全です、なぜなら当社の広告部門はそれを収益化するに当たり匿名化と安全面に細心の注意を払っているから」だからでもある。。

(時として平等なGoogleたたき屋になる私だが、実際私は後者の主張を真実だと信じている。私はGoogleのクラウドサービスの方が、おそらくAppleより安全であることも信じる。しかし、それでも人々がGoogleとの暗黙の取引に対して、より不安を感じていることは想像できる。)

しかし、すべては長期的痛みのリスクを伴う目先の利益だ。Appleは、そのすべての栄光と才能と共に、私とは根本的に異なるテクノロジー哲学の頂点にある:そこではテクノロジーが中央集中的覇権を持ち、クパチーノが革命を起こす時にのみ進化が許される、塀に囲まれたエコシステムの庭園は、砂場の外へ出たがっているいじり屋たちに汚されてはならない。ユーザーたちの住む箱の外について考えることが許されているのはAppleだけである。

そこは安全で、清潔で、審美的に美しい箱である。しかし、深刻な結果を生む危険はらんでいる ― 仮想的なものも、実際的なものも。Appleとユーザーの間に利益の相反は避けられない。例えば、Appleの複雑かつ矛盾したBitcoinアプリとの関係を考えてみてほしい … そして、Appleのあらゆるアプリ内購入に対する容赦なき30%手数料の要求に対して、Bitcoinがもたらす暗黙の脅威を。Bitcoin信者でなくても、それがイノベーションの障害になり得ることはわかるはずだ。

さらに心配なのは、世界中の政府が企業に対してユーザーのプライバシーを政府に提出するよう、強く要求しはじめていることだ。Appleが強くこれに抵抗していることは評価に値する。しかし同時に、彼らの覇権的モデルは、あらゆる監視国家にとって理想的補助手段となり得る。

言い換えれば、AppleはAmazonより、Facbookより、Googleより、あるいはMicrosoftよりも善意があるかもしれない ― しかし、どこよりも独裁的だ。善意ある独裁者はすばらしい ― 突然そうでなくなるまで。Appleが彼らの振りかざす権力を濫用しないと信じるのは自由だ(もし、その権力が取るに足らないとか無意味だと思っているなら、昨今われわれの生活がどれほどポケット内のスーパーコンピューターに支配されていて、どうすれば悪用できるかを考えてみてほしい)。

実は、これだけ批判していながら、〈私〉は今日のAppleがその力を濫用しないと信じている。しかし私は、そもそも彼らがその力を持たないことの方を大いに望んでいる ― あるいは少なくともユーザーがクパチーノにつながれたヒモを断ち切る選択肢を与えることを。「信じよ、しかし検証せよ」とかつてロナルド・レーガンは言った。

どんな悪いことが起き得るのか? まずはディストピア的思考にふけってみよう。ワールドトレードセンター崩落に対する最も大げさな過剰反応を覚えているだろうか?そして、それが大多数のアメリカ市民に歓迎されたことを。将来、似たような悲劇の後、Appleが寝返って監視国家の事実上の手先になるところを想像できるだろうか? 私にはできる ― そしてAppleの中央集中命令制御エコシステムは、あらゆるiOSデバイスを円形刑務所の目と耳へと、一夜のうちにあきれるほど簡単に変えるだろう

一般的に言って、Appleの止まらない成功は、業界のライバルにある種の雰囲気を作り上げ、用心深い秘密主義や中央集権支配、そして注意深く制限された方法によってのみ使用できるツール・ソフトウェアの文化を生む。テクノロジーは権力を凝縮させる。これまた、短期的には良いことのように見えるかもしれない、特に美しさと安全性に関して ― しかし、それを既成事実として簡単に受け入れることは、巨大な暗黙のリスクを負うことになる。

同様に批判をAndroidに向けることもできるが、あちらはそうならないだろう。好き嫌いはともかく、AndroidはiOSの中央集権にはほど遠く、GoogleはおよそAppleほど支配的ではない。Androidはオープンソースであり、主要な企業は分化させて個別バージョンを作ることもできる。Appleは、iOSジェイルブレーカーらとの戦いを進行中で、彼らの行為を「破壊的可能性があると指摘する。Googleは、Nexus端末を特にrootになりやすくしている。

私は、企業ではなく個人が自分のデータを所有し、自分のネット上の存在を制御し、(もし必要なら)誰が自分に広告を出せるかを選べる世界を信じたい。それが絶望的に理想主義的であることは理解している。今のところは。しかし、そんな非集中的世界が(ゆっくりと)もっともらしくなっていくことを信じている ― そして、その教義は、Appleのソフトウェア哲学全体とは根法的に対極をなすことを指摘せずにいられない。

最高の製品を作り、ユーザーを喜ばせている素晴らしい会社を、抽象的哲学論に基づいて批判することは愚かに思えるかもしれない。しかし、私には来年にかけてこの議論が徐々に具体化するのではないか、という秘かな期待がある。おそらく、この違いに注目が集まれば、Appleも気付くだろう。ジェイルブレーカーと戦う代わりに、パワーユーザーのために、アプリを自由にインストールできるオプションを提供するかもしれない。Androidと同じように。それだけでも、大地を揺がす変化だ。

しかしそれまで黙って待つつもりはない。そして、それが起きるまで、起きない限り、そのパワーと美しさに関わらず私はiOSエコシステムを心から薦めることができない。なぜならAppleは、自らがユーザーに要求している信頼を何一つ返そうとしないからだ。

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(翻訳:Nob Takahashi / facebook