老老介護殺人 最後の夜、夫は妻に楽しい思い出を語り続けた | ニコニコニュース

 7月8日、千葉地裁で「懲役3年、執行猶予5年」と下された判決は、宮本浩二・被告(仮名・93歳)が当時83歳の妻に対する「嘱託殺人未遂(妻の死亡後、嘱託殺人に訴因変更)」に関するものだった。昨年11月8日、痛み止めの薬も効かず苦しむ妻を見かねて夫が手をかけたのだが、死ぬ間際まで夫妻は仲睦まじかった。

 太平洋戦争で南方戦線に従軍した経験を持つ宮本被告は終戦後、都内で靴職人として働き始める。妻と出会ったのは当時の職場だった。1952年に結婚、3人の子供にも恵まれた。悲劇の現場となった自宅には20数年前に移り住み、近年は夫婦2人きりで生活していた。

 近隣住民は仲睦まじい2人の姿をたびたび目にしていた。

「定年後も旦那さんは警備員の仕事などを続けていた。少し前までは庭の手入れをしたり、知人に借りた畑で野菜を作ったりと、寡黙だけど精力的に働いていました。一方の奥さんは、スーパーで会うと、『元気? 会えて良かったわ』なんて明るく声を掛けてくれる朗らかで上品な佇まいの人でした。寄り添いながら2人で仲良く歩いている姿をよく見かけました」(近隣女性)

 妻にとって宮本被告は「自慢の夫」だったという。近くで定期的に開かれる障害者団体主催のバザーに欠かさず顔を出していた夫のことを「うちの人は本当に優しい」と満面の笑みを浮かべながら話す姿を複数の住民が覚えている。

 そんな2人の生活が一変したのは約2年前、妻の足腰の衰えが顕著になってからだった。以降、妻の姿を目にした住民はほとんどいない。

「事件が起きて初めて旦那さんが介護に追われていたことを知った。奥さんの姿を見なくなってから、旦那さんが1人で自転車に乗ってスーパーへ買い物に行く姿が目立つようになったので不思議に思っていたのですが……」(近隣男性)

 公判では、妻が介護サービスを受けるのを嫌がっていたという証言もあったが、その真意を事件前、妻は友人にこう話していた。

「私より助けが必要な人がいるはず」

 事件当日、廊下で転倒した妻から「もう痛みに耐えられない。何もできない、苦しいだけ。殺してほしい」と懇願された。

“もう断われない”──。

 宮本被告は決心した。その日の夜、妻に添い寝をした。出会った頃に遡り、新婚生活、子供が生まれた時のことなど、楽しかった思い出を妻に語り続けた。その時の様子を宮本被告は公判でこう語っている。

「妻はニコニコしていた。とても綺麗だった」

 60年分の思い出話を語り終えた後、被告はネクタイを手に取った──。

 検察から懲役5年を求刑された時にはこう答えた。

「私がしっかりした男だったら(もっと)上手な対応を取ったと思う。今でも妻を愛しています」

 判決後、裁判官は被告に優しく語りかけた。

「奥さんが悲しまないよう、穏やかな日々をお過ごしになることを願っています」

※週刊ポスト2015年9月4日号