天皇制「象徴でも危険」=日本国憲法からの除外主張―毛政権で集中討論・中国文書 | ニコニコニュース

 【北京時事】毛沢東率いる中華人民共和国が成立7カ月後の1950年5月、戦後日本の天皇問題や憲法に関して初の集中討論を行い、日本国憲法を「基本的に否定」し、天皇制の「廃止を主張する」という方針をまとめていたことが分かった。討論は「天皇の名称は憲法の中に存在してはならない。日本人民に対する影響が非常に大きく、天皇を『象徴』と見なすことさえ危険だ」と結論付けた。

 発言録を記載した中国外務省档案館(外交史料館)収蔵の外交文書で判明した。中国政府は、第2次大戦後の日本との講和条約を締結する国際会議参加を前提に、50年5月18、19の両日、外務省が主催して天皇・憲法問題の集中討論を北京で開催した。翌51年のサンフランシスコ講和会議に出席しなかったため、討議内容は講和条約に反映されなかったが、毛沢東政権の戦後対日政策に影響を与えた。

 討論の中で国際法学者の王鉄崖氏は、日本国憲法を否定する理由として(1)マッカーサー連合国軍最高司令官ら「反動派の巨頭」が起草した(2)天皇制に関する規定は(旧憲法から)変化がない(3)他の連合国の同意を得ていない―などと指摘。とりわけ天皇制について、「この点は厳しい態度で臨む必要がある。講和条約で『天皇制の徹底廃止』を具体的に規定し、天皇に関するいかなる規定も憲法に存在すべきでない」と訴えた。

 討論に出席した幹部らは、極東国際軍事裁判(東京裁判、46〜48年)で免訴された昭和天皇に対する戦犯裁判のやり直しを要求。後に文化次官や中日友好協会会長を務めた夏衍氏は「天皇制廃止という点で譲歩すれば、日本人民も中国も共に失望する。天皇を戦犯として裁判にかけ、追及してその権威を失墜させる。裕仁(昭和天皇)だけを除外しても、それに代わる者がよりファシズム的になるだろう」と主張した。

 中国政府が天皇否定を明確にした背景には、冷戦激化という国際情勢の変化があった。後に駐ソ連大使や外務次官を務めた張聞天氏は、討論会で「日本が投降して5年が経過し、状況は当時と基本的に違う」と述べている。中国が米国を最大の敵と位置付ける中、「マッカーサーは日本の天皇の『上皇(実質的な支配者)』だ。吉田茂(首相)も天皇も、米国の手先にすぎない」と強調した。