恋愛を経験せずに一生を終えたら、やっぱり後悔する?〜『この国の空』〜 | ニコニコニュース

恋愛を経験せずに一生を終えたら、やっぱり後悔する?〜『この国の空』〜
独女通信

今や未婚男女の4割が「恋人が欲しくない」という時代(内閣府「結婚・家族形成に関する意識調査」(2015)、全国20~39歳対象、2643人回答)。趣味や収入など理由はさまざまにあるでしょうが、こんな風潮になってくると、なんとなく「私も、恋愛はもういいかな」「恋愛に溺れるのって、なんかダサいかも」なんて思う瞬間もありますよね。でも、誰かに恋したり愛を求めたりということはやっぱり人間の本能で、頭でっかちにそれを否定することのほうが、奇妙なことなのかも——。

現在公開中の『この国の空』は、そんな気持ちにさせてくれる映画です。

■ お嫁のアテもない、仕事に生きることも許されない女の人生

戦争映画は数あれど、この時期の女性の恋愛に焦点を置いた作品は希少。終戦近い頃、東京で生きる19歳の少女・里子を二階堂ふみさんが熱演しています。19歳と言えば、当時はもう適齢期のお年頃。教職を考えたこともあったものの、女の子を働かせたくないという母のプライドから職には就けず、家事や簡単な役所の手伝い仕事をするだけの日々。出兵で周囲には若い男性もおらず、当然、縁談の話もない。空襲警報に怯えるだけの先の見えない日々のなか、再婚する田舎の親戚を「お嫁にいけるだけマシ!」となじるなど、里子は鬱屈した思いを募らせていました。

そこに空襲で家族を亡くした叔母が加わり、女3人で暮らすようになった頃。里子は妻子を疎開させている隣人・市毛(長谷川博己)の身辺の世話をするようになり、次第に彼に惹かれていく自分に気づきます。市毛も里子のまぶしさから目を離せなくなり、「女の人には、何をしても綺麗な時期がある。あなたはそれが今なんだな」などと、抗えない恋心を告白するのです。

本土上陸もささやかれ始め、死の恐怖が迫る日々のなか、「女は(恋に)溺れやすいから」「損をするのは女よ」と忠告していた母親も、最終的には、娘の既婚者との関係を黙認する姿が印象的。「生きているうちに、娘に恋をさせてあげたい」「いざとなったら、頼りになる男性に娘を守って欲しい」といった思いがあったようです。

■ おしゃれも恋も、自由にできる時代に生まれた幸福を

生きているだけでも幸運な戦争中に、恋愛なんて不謹慎。でも、里子の心には「私は恋や愛を知らないまま死ぬのだろうか?」という思いが溢れ、狂うように恋を求めてしまう。今とは全く違う状況下ですが、死の予感を前にすると、「恋や愛ができなかったこと」というのは、やはり人生の大きな後悔となるのかもしれないな……としみじみ感じました。作品の最後には、当時を代表する女性詩人・茨木のり子さんのこんな詩が引用されています。

「わたしが一番きれいだったとき


--だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
--まわりの人達がたくさん死んだ/わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
--わたしはとてもふしあわせ/わたしはとてもとんちんかん/わたしはめっぽうさびしかった」

当たり前のことだけど、今は、恋もおしゃれも自由にできる時代。平均収入が減っているとはいえ、私たちは衣食住の満たされた豊かな環境に生きていますよね。恋愛も楽しいことばかりじゃないけれど、ちょっと傷つくのが怖いくらいで、マイナスばかり口にして、恋や愛が欲しくない“ふり”をして生きるのは、やっぱり勿体無いことなのかも。チャンスがあるのに恋愛から逃げそうになるときは、「男性に愛されてみたかった、永く側にいられる人に出会いたかった、なんて死ぬ前に後悔してもいいの−−?」 そんな自問自答をしてみたいもの。自分の本当の気持ちが見えてくるかもしれません。(外山ゆひら)

(c)2015「この国の空」製作委員会