ベルリンでレーニン像の頭部が掘り返される

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ベルリンの人にはさまざまな記憶が蘇ってきたはず。

最近はすっかりヒップでナウい若者の街として有名なベルリン。東西が壁で隔てられていた過去など、いずれ現代的な街のなかに埋もれてしまうのでしょうか。と思いきや、一度は埋めた東西分裂時代の象徴「レーニン像」が掘り返されているようです。

ベルリンの壁が崩壊したのは1989年。すでにぐらぐらと基盤がゆらぎ始めていたソビエト連邦の崩壊はここから勢いを増していきます。いまでも旧東ドイツ時代の面影がみられる場所はあるものの、たくさんの銅像やモニュメントが取り壊されていきました。時が経つにつれ、東西ベルリンは少しずつ元どおりになろうとしています。

62フィート(およそ19m)の高さをもつレーニン像も、統一後に取り壊された像のひとつ。かつてはLeninplatzあるいはLenin Squareとよばれる場所にありました。作者はロシア人彫刻家のニコライ・トムスキー氏。彼はスターリンやレーニンなど50、60年代の東側陣営の大物たちを彫っていて、彼が作った無名戦士の墓は今もモスクワに残っています。

トムスキーがこのレーニン像を製作したのは1970年のこと。フリードリヒスハインに建設中のプラッテンバウ(プレハブの高層ビル)を背景に、花崗岩のレーニン像がそびえ立っていました。

東西ベルリンが統一されると、このレーニン像は1992年に(Der Spiegelいわく大急ぎで)取り壊されます。ばらばらになった像は土に埋められました。

しかし、1990年代にドキュメンタリー制作のために一部が掘りおこされると、なかったことになっていたレーニン像へ人々の注目が集まっていきます。こうして2015年の9月10日、お別れしたように思えた巨大な過去の遺物が日の目を浴びることとなったのです。トップ画像の頭部(重さ4トン!)はシュパンダウの歴史博物館の展示会で公開される予定とのこと。

レーニン像を一般向けに展示公開することは、ドイツの文化にとっては意義のあることです。というのも、ドイツの人々、とくに第二次世界大戦を経験した世代にとって、東西分裂時代のものを表舞台に引っ張ってくるのは非常にセンシティブなことだからです。しかし、若い世代はこういったドイツの歴史をむしろ積極的に知ろうとしているとのこと。

そうした流れのひとつに、旧東ドイツ時代の社会や文化を懐かしむ「Ostalgie(オスタルギー)」があります。これは、ドイツ語の「Ost(東)」と「Nostalgie(ノスタルジー)」を組み合わせた言葉。旧東ドイツ時代に子どもだった世代、つまり東西分裂時代を「懐かしい」といえるくらいの距離感で向き合える世代から生まれた文化です。

レーニン像を掘り返したこととノスタルジーとは直接的に関係するものではないかもしれません。とはいえ、ベルリンという街の過去について、人々がもっともっと興味が持ち始めていることを示しているのです。


image by 360b / Shutterstock.com
source: The Guardian

Kelsey Campbell-Dollaghan - Gizmodo US [原文]
(Haruka Mukai)