【安保法制】賛成派の有識者は何を語ったか(5)〜同志社大学法学部教授・村田晃嗣氏の陳述から | ニコニコニュース

国民の大きな注目を集める中、可決・成立した安全保障関連法案。国会前で行われたデモなど、反対派の動きがクローズアップされてきた一方、賛成派の有識者たちはどのような理由から法案への賛成の立場を取ったのだろうか。

去る7月13日に行われた衆議院「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会公聴会」より、村田晃嗣氏(同志社大学法学部教授)の発言を書き起こしでお伝えする。(※可読性を考慮し、表現を一部整えています。)貴重な発言の機会を頂戴いたしましたことに感謝申し上げます。

私は、法律学者ではございませんで、国際政治学者でございますので、国際政治学者としての個人の見解を申し述べたいと思います。

まず、今般、政府がこのような安全保障に関する法案を御提出になっている背景として、国際情勢の急速な変化というものがあるだろうと思います。それは、グローバルにも、そして日本を取り巻くこの東アジア太平洋地域、リージョナルな面でも起こっていることだろうというふうに思います。

中国が経済的に急速に力をつけ、この分でいけば、恐らく2024、5年には、たとえ一時的にせよ、GDPの規模でアメリカを抜くのではないかとすら見られておりますけれども、そうした大きな経済力を軍事力やさらには外交的な影響力に転化もしようとしている。

そうした中で、アメリカの圧倒的な優位が完全に崩れたわけではありませんけれども、旧来に比べればアメリカの影響力というものが後退しつつあり、そして我が国は経済的に相対的に地位を下げ、そして少子高齢化に直面をしている、こうした主要国の力の変化。

さらには、安全保障のボーダーレス化の進行というものがあると思います。とりわけ、サイバー空間や海、空、宇宙といったグローバルコモンズでの安全保障環境のボーダーレス化というのが一層進んでいるということだと思います。

こうした中で、日本とアメリカは、この二つの市民社会が共有する価値観の幅が最も広いということ、そして、どのような国際環境が自国にとって望ましいかという国際環境についての認識、目標についても、全く同じではないけれども、共有の度合いが非常に高い国である。そうした中で日米同盟の強化に当たるということは、極めて理にかなったことではないかというふうに思います。

最近、日本と中国あるいは日本と韓国との関係でも改善の兆しが見えてきておりますけれども、この背景にもやはり日米同盟の強化というものが効果を及ぼしていると考えるべきではなかろうかと思います。

これまでの安全保障をめぐる法案での議論では、法律の議論についていろいろと議論が闘わされておりますけれども、そもそも、政治がこの非常に流動的で大きく変わりつつある国際情勢についてどう認識しているのかという、国際情勢についての大きな議論がやや不足をしているのではないか、その点について、与野党がしっかりと国際情勢認識について御議論をいただくということが大切な前提ではなかろうかというふうに思います。

もちろん、憲法の精神を守らなければならないことは言うまでもないわけであります。我が国が国際社会の責任ある一員であり続けるということ、そして軍事力は国力の重要なコンポーネントの一つでありますけれども、我が国は、もしその必要があるときにも、軍事力の行使については極めて抑制的にそれを行使するという、その大原則といいますか、方針にかなったものでなければならないことは言うまでもありません。

憲法学者の中には今回の法案について憲法違反であるというお考えの方が多いというふうに承っております。

冒頭申し上げましたように、私は、法律学者ではございませんで、国際政治学者でございますので、憲法学者の御専門の知見には十分敬意を表しながら、あえて申し上げますけれども、今般の法案は、もちろん憲法上の問題を含んでおりますけれども、同時に安全保障上の問題でございます。もし、今回の法案についての意見を憲法の専門家の方々の学界だけではなくて安全保障の専門家から成る学界で同じような意見を問われれば、多くの安全保障専門家は、今回の法案にかなり肯定的な回答をするのではなかろうか。学者は憲法学者だけではないということでございます。

さらに、今回の法案の中に含まれている存立危機事態でありますとかあるいは重要影響事態というのは、確かに、概念としてなかなか理解しにくい、そして曖昧な部分を含んでいることは否めないであろうと思います。ただ、これらの事態のかなりの部分は、幸いにして、いまだまだ起こっていない事態についての想定であるということです。

したがいまして、仮想の事態の想定について、全てを100%明確に定義し、曖昧性を払拭しなければ法律として成り立たないということは、非常にこれは難しいのではないかと思います。

今回の法案は、既にあるさまざまな安全保障上の法律の間隙を詰めていって、そしてそれをシェープアップしようとするものでありますけれども、例えば、既存の周辺事態法における周辺事態という概念にもやはりある種の曖昧性が伴っていることは、これは否定できないわけであります。

それは、日本の法律の概念が曖昧であるというよりも、そもそも、国際情勢そのものが流動的で、不明確で、曖昧模糊としている部分をかなりの程度含んでいるからであります。そして、その国際情勢の変化の速度が科学技術の向上と相まって一層大きく速くなっているということであります。そうした中で、国際情勢を曖昧、不明確であるとして国際情勢を憲法違反であると断定したところで、国際情勢そのものは変わらないわけであります。

それから、侵略と防衛についても、二点だけ御指摘申し上げたいと思いますけれども、侵略について明確なコンセンサス、定義があるわけではありません。しかしながら、一方で、例えばさきの大戦で我が国がアジアにおいて行った多くの行為がかなりの部分において侵略と言われても仕方がない側面を持っていることは、否定をできないのであろうと思います。

明確に定義できないということと何が侵略であるかが個別に判断できないということは、別だと思います。ですから、さきの大戦で我が国がアジアにおいて行った行為のかなりの部分についてまでその侵略性を否定するというような議論が流布すれば、戦後日本が自衛隊という実力組織をもって自衛に徹してきたという戦後の正当性が損なわれるであろう。ですから、明確に100%定義できないからといって、個別の事柄について侵略かどうかが判断できないわけではないというふうに思います。

他方で、先ほど来申し上げているような国際情勢の流動化や、あるいは科学技術の進歩に伴って、全ての事柄について明確に防衛と侵略の一線を必ず引けるかというと、それは非常に難しくなっているのが現実だと思います。そういう二つの極端な議論を排したところで安全保障は考えていかなければならないだろうと思います。

中には、今回のような法案が通れば、自衛隊が地球の裏側まで行って戦争するというような議論もあるようでありますけれども、そもそも自衛隊にはそのような能力が多分に欠けているだろうというふうに思います。また、自衛隊がそのような行為をとるときには、政府の政策判断というものがあるわけですし、さらには国会での御議論や承認というものがあるわけであります。

秘密保護法等の関係で国会で十分な判断ができないという御意見もあるようでありますけれども、もしそうであれば、国権の最高機関である国会がそれを乗り越える措置をとられればいいことであろうというふうに思います。

さらに、仮に、今政府が御提案になっている法案が国会で認められて、成立をしたとしても、これで終わりではなくて、むしろこれは始まりであろうということであります。法律ができた後も、その運用をめぐって、さまざまな形で、国会だけではなくて、民間で不断のオープンな議論を続けていく必要があるだろうと思います。

今オープンと申しましたけれども、一つには、この法案に対してもちろん否定的な御意見の専門家の方々や一般の方々もたくさんいらっしゃると承知しておりますけれども、しかし、だからといって、この法案を戦争法案だというような表現で議論をするところからは安全保障についての理解の深まりというものは得られないだろうというふうに思います。

他方で、しかし、自分と見解が異なる人たちを売国的であるというようなレッテルを張って批判するという議論からも深まりは生まれないのであって、こういう二つの議論は、共通の土壌、つまり不寛容の精神から生じている。そういう不寛容の精神を我々は乗り越えていかなければならないだろうと思います。

また、もう一つ申し上げたいことは、今回の法案につきまして、地方の議会などからも御懸念の声が上がっているやに報道で承っておりますけれども、安全保障や外交の問題は東京だけの問題ではございません。日本全体で、深く、そして常に議論されなければならない問題でございます。

そういう意味では、安全保障の問題を地方でもしっかりと議論できるような環境を整備していかなければならない。外交、安全保障は首都だけの問題ではないわけでございます。きょうの公述人でも、首都圏以外から出てきているのは私だけでございますけれども、地方でも安全保障の問題を正面から深く議論できるような工夫というものをぜひ考えていかなければならないだろうというふうに存じます。

最後に、4月から5月にかけて安倍総理が訪米をされましたけれども、その際に、アメリカの連邦議会で総理が演説されたときに、日米同盟を希望の同盟というふうに呼ばれました。私はこれは大変魅力的な表現だというふうに思いますけれども、日米同盟が希望の同盟であるというのはどういうことなのかということであります。

もっと言うならば、希望とは何かということでございますけれども、希望は単なる欲望ではありません。欲望は個人の利益の追求でありますけれども、希望は欲望ではありません。希望には公共性というものがなければなりません。そして、希望は単なる願望ではありません。願望は現実可能性を無視してもよろしいですけれども、希望には実現可能性が伴っていかなければなりません。そして、希望は単なる待望ではありません。待望は待っていればよろしいのですけれども、希望には主体性、能動性というものが求められます。

そういう意味で、日米同盟が今後、21世紀を支える国際公共財として、希望の同盟として機能するためには、そうした公共性と実現可能性、そして当事者意識、主体性というものが必要であろうと思います。

さらに、仮に今回の法案が成立をしたとしても、例えば、日米の同盟関係では沖縄という非常に大きな難しい問題を抱えているわけであって、ここでやはり前進が見られなければ日米同盟の強化というのは図れないわけでございますから、この法案の国会での議論だけで完結するのではなくて、引き続きさまざまな観点から、安全保障について、その公共性と実現可能性と主体性について議論できる場を持っていくということが非常に大切であろうというふうに思います。


以上でございます。

(この後行われた質疑の内容などは、衆議院インターネット審議中継国会会議録検索システムをご参照ください。)