インターネットが消滅する時 | TechCrunch Japan

編集部記Tom Goodwinは、Crunch Networkのコントリビューターである。Tom Goodwinは、Havas Mediaの戦略とイノベーション部門のシニアバイス・プレジデントである。

ウェブが存在しない未来のインターネットの世界が到来しようとしている。

テクノロジーは私たちが意図を持って使うものから意識を向けなければ思い出さないものになった時に初めて、それは社会に完全に統合したと言えるだろう。全てのイノベーションは同じ経過を辿るのであり、インターネットの体験もそうなりつつある。

検索を必要としたディープシステムは、ゆっくりと進化を続け、ユーザー個人にパーソナライズした多様な情報を一目で確認できるよう、一枚の画面に落とし込むことができるようになった。

インターネットはサーフしたり、検索したりするものではなく、眺めるだけのものになる。これが次世代のウェブの体験だ。エンジンとなるAPIとディープリンクが全ての情報を集約するようになる。

現在までにウェブが辿った3つの時代

広義の意味で、ウェブには3つの異なる行動で規定される3つの時代があったと言えるだろう。

最初のコンシューマー向けインターネットは、ポータルの時代だった。インターネットはウェブ版の雑誌だった。それまで紙に印刷していた情報を画面に起こして文書として保存し、キャビネットに保管するようにディレクトリに整理した。

編集者やジャーナリストが支配し、配信の方法以外、情報のあり方はそれまでの古い世界と変わらなかった。コンテンツはディレクトリが束ねるもので、ポータルはインターネットの玄関となった。デジタルはデジタルより前の世界の構造を模倣していた。

次の時代は検索の時代だ。検索ボックスがインターネットの新たな窓口となった。ここで初めて、ユーザーがコントロールを持ち、Microsoftはユーザーに「今日はどこに行きたいだろうか?(Microsoftのキャッチコピー)」と尋ねるようになり、Googleのページランクが私たちの道標となった。

情報は個人に即したものではなく、私たちは情報を探しにいかなければならなかったが、誰もがインターネットに貢献でき、利用できる情報の深さと広さは爆発的に広がった。この時代は、ディープウェブの時代だ。コンテンツは雑多な構造の中に埋もれていて、複雑な検索アルゴリズムをもって深みから引っぱり出さなければならない。この時代のインターネットはサーフするものだった。私たちは情報という海を泳ぎ、次の波に乗るために右へ左へと彷徨うのだ。

現在、私たちは第3の時代にいる。そこには、Web 2.0が約束したコンテンツのスクラップを多様な深いソースから探しだす方法(ホームページの検索も含め)と、Facebook、Twitter、Googleなどのソーシャルとアルゴリズムを駆使して情報をキュレートする2つの方法が同居している。そして、モバイル端末にはアプリが登場した。これは、パーソナライズした情報を引っ張り、クローズドのエコシステムの情報を提示するマイクロポータルと言えるだろう。

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第4の時代は「Thinternet(薄いインターネット)」の時代

テクノロジーは私たちの行動を変えている。モバイル端末は、ウェブにアクセスするための主要な画面となり、アプリは私たちが最も多くインターネットを利用する方法になった。

次のウェブの時代は、この環境に根ざしている。その時代には、ユビキトスの接続が可能になり、世界の全てがデジカル化し、情報の集約も提示も全て並行して行われ、互いに情報をやりとりし、全く新しいウェブの体験を構築するだろう。

世界が接続することでウェブの概念が消滅する

30才の人にオンラインで過ごしている時間を尋ねれば、きっと多くの時間を過ごしていると答えるだろう。18才の人に同じことを聞いても同じように多くの時間を答えるだろう。しかし12才の人に尋ねたら、答えられないかもしれない。何故なら、彼らはオンラインという概念を持っていないのだ。

国際線の飛行機のWifiから、5GやWi-Max、そしてアフリカ大陸もスマートフォンからオンライン接続ができ、更には小さく、安価で、多くのインターネットに接続可能なセンサーが出てきている。世界の全てのモノは、他の全てのモノとつながろうとしている。それは、高速で、常に起動していて、安価で、どこにでもあるようになる。インターネットは私たちの生活の背景に溶け込み、全てをつなげる基盤となるだろう。

デジタル画面に全てが集約する

何年もの間、メディアはそれぞれ個別に配信を行ってきた。物理的な外観を持ち、縦割りの業界と寄り添い、それぞれのメディアチャネルが割り当てられていた。テレビはテレビで見るものであり、テレビ局はテレビ広告から収入を得てきた。多種多様なニュースは新聞で読み、ラジオ広告を流すラジオは、ラジオ受信機から聞くものだった。

そして全てがインターネットに集まってきている。チャネルは意味を失うだろう。テレビは動画という意味に代わる。全てのスクリーンはデジタルになり、その数は急増し、更にスマートになる。 車載スクリーン、ウェアラブル、タブレット、ファブレット、写真立て。どれもがインターネットにつながり、インタラクティブなコンテンツをインターネットから集約して表示することができる。「テレビ」というような名詞の意味は限定的なもので、その内スマートフォンが電話だけを指していないように、適切な言葉ではなくなるだろう。

集約に意味がある

このような画面が急増し、業界別の縦割り主義(インターネットより前の時代のコンテンツの特徴だった)は、過去のものになる。「薄いインターネット」は横軸で物事をつなぎ合わせるのだ。コンテンツのクリエイターは、集めた素材を画面からしか見なくなる。Apple NewsからFacebook Instant、Google Nowでは、コンテンツがユーザーに引き寄せられる。Apple TVのSiriのように、ディープリンク検索を持ってすればテレビのチャンネルは、ひも解かれたバラバラの素材となり、必要なものを選び取れるようになる。「薄い」カスタマーインターフェースを所有することが価値になる時代が到来する。コンテンツ自体がパイプラインに取って代わるだろう。

サービスとしてのインターネット

ガラスのデジタル画面は、ユーザーにパーソナライズした情報を掘り起こして提示するディスプレイとなる。デバイスのブラウザは、補完的なものになるか、あるいは消滅するだろう。アプリがインターネットの主要なナビとなるかもしれない。情報は更に「薄く」提示されるようになり、通知画面はユーザーがインターネットとシンプルに関わるための重要な接点となる。アプリのウェブからパーソナライズしたインターネットがより深いユーザーとのインタラクションを提供するようになるだろう。

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(翻訳:Nozomi Okuma /Website/ twitter