集団的自衛権を行使すべきものは、今はない | ニコニコニュース

北澤俊美氏(参議院議員・民主党副代表兼安全保障総合調査会長・元防衛相)
プレジデントオンライン

■基本的に議会制民主主義を分かっていない

【塩田潮】9月19日未明、参議院で安全保障関連法案が可決となり、安倍晋三内閣が実現を目指した集団的自衛権行使の安保法制法案が成立しました。民主党安全保障総合調査会長の北澤さんは参議院で民主党を代表して、安保法案を審議する安保特別委(我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会)の筆頭理事を務めました。

【北澤俊美(参議院議員・民主党副代表・元防衛相)】最後はああいう結果となりましたが、可決に至るまではいろいろな動きがありました。政府は10本の関連法案を束ねて出してきた。安倍首相にすれば、束ねて出したから楽に成立させられるという判断だったと思いますが、束ねてなければ、実はいろいろなことができた。参議院の特別委員会の鴻池祥肇委員長(自民党。元防災・特区担当相)との間では、「60日ルール」(参議院が議決しない場合は衆議院で3分の2以上の多数で再可決すれば法案が成立するという憲法上のルール)を使わせないということで合意ができていて、鴻池委員長は参議院で法案の修正を行って衆議院に送り返すプランを練っていましたが、10本を束ねていたために難しかった。われわれはこの安保法案は憲法違反と思っていますので、できれば廃案、最低でも継続審議に持ち込もうと何とかあの手この手で頑張りましたが……。委員会の質疑では憲法との関係、立法事実の可否、法案の不備の3つにしぼり、論客を厳選して質疑に臨みました。その結果、参議院では110時間の審議で116回止まりました。答弁ができなかったわけです。

【塩田】7月に参議院で審議が始まったとき、北澤さんは代表質問に立ちましたが、安保法案の審議を通して、安倍首相の対応姿勢と狙いについてどう受け止めましたか。

【北澤】安倍さんは代表質問にもまともに答えていないんです。国会審議で安保法案の一番の基本となっていた立法事実はホルムズ海峡での機雷撤去と米艦防護の2つだと言っていましたが、安倍さんの論理と主張は2つとも崩れてしまった。そうすると、何のためにこの法律をつくるのかという話になる。結局、安倍さんは中身がない集団的自衛権行使容認という看板だけ背負って、政治家として歴史に足跡を残したいということでしかなかった。そういうことになります。汚れた歴史ですよ。

【塩田】政治家としての安倍首相をどう見ていますか。

【北澤】私は付き合ったことがないからわかりませんが、見ていて思うのは、苦労が足りないのではないか。国会の中での仕種を見ていても、一定の時間が経つと我慢できなくなるね。だいたい午後3時になると、所作が不安定になってくる。一つには体調もあるだろうと思いますが、あれが彼の限界みたいです。

一番悪いのは、質問者に食ってかかったり自席で野次を飛ばしたり。佐藤栄作元首相以来、歴代の首相を見てきましたが、あんな政治家は一人もいません。基本的に議会制民主主義がわかっていないのでは。行政府の長として立法府に対して予算案や法律案を出して審議してもらい、国の政治を進めていくというところがわからない。反対する人間は悪いやつだと思っている。国会ではそれぞれの委員会で、議場の整理権は全部、委員長に委ねられているのに、首相本人が「静かにしろ」「黙ってろ」とやってしまうんです。

■日本を守れない事態は当面想定できない

【塩田】北澤さん自身の集団的自衛権と安保法案についての基本的な考え方は。

【北澤】日本の戦後70年の歩みはすごく貴重で、こんなことができた国は世界中にないと私は思っています。それは憲法が基にあった。一方で、自衛隊は精強な組織にしなければという一面があります。2年間、防衛相をやりましたが、シビリアンコントロールと防衛予算の範囲内で、どれだけのことができるか、それがいつも頭の中にあり、憲法第9条の範囲でやれることは全部やろう、と私は思った。2009年以前の自民党政権時代は基盤的防衛力構想でやってきたのを、私の防衛相時代に初めて動的防衛力に切り替え、南西方面重視の体制にして、防衛計画の大綱と中期防衛力整備計画をつくりましたが、基本的に憲法9条が基本になって、日本の防衛体制はでき上がっています。

ですが、憲法に自衛隊の規定がない。東日本大震災のときにしみじみ感じましたが、優秀で、これだけ国のために頑張る隊員たちの存在が憲法に書き込まれていないのは不自然です。もし憲法改正が本当に政治課題になれば、そこは書き込まなければと思っています。

【塩田】憲法で認められる自衛権の範囲についてはどうお考えですか。

【北澤】安全保障を巡る国際環境は間違いなく変化していくから、集団的自衛権で守らなければ日本が駄目になるというときは決断しなければいけない。だけど、今の環境でいえば、世界一強いアメリカと安保条約を結んで軍事同盟を維持しているわけですから、それ以上に、日本を守れないという事態は当面、想定できません。国会審議で、安倍首相は「たら、れば」の論理を使って安保法案を議論していましたが、衆議院と参議院の連続した質疑の中で、主張が崩れてしまったのを見てもわかるように、私はどうしても集団的自衛権でやらなければならないものは今はないと思います。日本を取り巻く安全保障関係は結局、米中関係に収れんされるでしょう。

【塩田】集団的自衛権と安全保障については、民主党内にいろいろの考え方があります。

【北澤】その点について、私が党の安保総合調査会長になって2年間かけて方針をまとめました。党内には、一方に集団的自衛権の行使を容認しろと言う人たちがいる。労働組合系ではなくて、連合にあまり助けてもらわないで自力で当選してきている。もう一方に、組合系で出てきた人たちがいて、集団的自衛権の行使なんてとんでもない話だと言う。

幅があります。私も自民党に長くいたからわかるけど、自民党もものすごく幅がある。だけど、最後はまとめる。かつての自民党では、反対している人は必ず最後の総務会にきて一番前の席に座り、始まった途端に手を挙げて自分の意見を言う。総務会は全員一致でなければ通らないから、反対の人は邪魔をしないで退席する。あれが自民党の知恵ですね。今の自民党には議論がないですね。

だけど、民主党ではなかなか難しい。以前はまとまらなかったけど、民主党に期待されている国民の意思はどこにあるかということで議論させると、まとまるんです。私は「役員一任は受け付けない」と言って徹底して議論させ、まとめた。

今度の安保法案についても、不満がある人はいましたが、去年、党の基本的な考え方を決め、今年の4月28日に方針をまとめた。民主党の安全保障に対する基本的な考え方は、「近くは確実に、遠くは抑制的に」「国際貢献は積極的に」です。それに基づいて、安倍政権が進める集団的自衛権の行使容認は認めないと決めたんです。

【塩田】自民党政権が復活する前、民主党は3年3カ月、政権を担いましたが、なぜ急速に国民の支持を失い、短命政権に終わったのか。振り返ってその点をどう思いますか。

【北澤】政治は政治家が全部やるんだという勘違いが大きかった。各省庁で、政治家がみんな決めるといって、政務3役だけで会議をして全部、失敗したんです。情報や知識を持っている役人は、いわば国民の財産ですから、上手に使うのが優れた政治家です。それができた省庁とできない省庁があった。もう一つの原因は、小沢一郎さん(元民主党代表)ですね。内閣は鳩山由紀夫さん、菅直人さん(ともに元首相)に任せるけど、党は自分が仕切ると言った。その後に消費税で対決して離党した。あれで民主党政権は終わった。

■野党党首の発言と首相の発言は違う

【塩田】民主党政権の3年3カ月のうち、北澤さんは3分の2に当たる2年間、鳩山、菅の両内閣で防衛相を務め、防衛政策や沖縄問題で主導的な役割を担いました。

【北澤】防衛相就任は、政権獲得前に参議院の外交防衛委員長を頼まれ、防衛省の内情を勉強していたというのが、鳩山さんの頭のどこかにあったのでしょう。

【塩田】鳩山首相は就任直前の野党時代に、米軍普天間飛行場移設問題について沖縄で「できれば海外、最低でも県外」と発言し、政権担当後、困難とわかって前言撤回し、社会党の連立離脱、支持率低落などを招いて早期退陣の大きな原因の一つとなりました。

【北澤】鳩山さんの発言は、野党の党首として、沖縄の基地負担の軽減という基本的な考えと、もう一つ、前々から唱えてきた「常時駐留なき安保」という考え方が根底にあり、象徴的な意味で、戦略的に喋ったんです。だけど、野党党首として言ったことと、首相となった後に現実を踏まえてどうするかという2つの問題を全部、一緒にしてしまった。後の祭りですが、「そういう思いで闘ってきたけど、今すぐ日米間の合意事項を反古にするわけにいかないから、代わりに基地負担の軽減について最大の努力をする」という言い方をすれば、あんな混乱は起きなかったと思います。

あの問題では、鳩山さんは「海外、県外」にはかなりこだわっていた。理想を掲げてやればできるという考えがあったと思います。ですが、普天間問題の発端となった1996年の橋本龍太郎元首相と当時のウォルター・モンデール駐日米大使との合意の重さをどのくらいに考えていたかとなると、私を任命してくれた総理に申し訳ないけど、少し認識が浅かったかなという気がしました。

【塩田】実際に鳩山政権が動き始めて防衛相として鳩山発言問題にどう対処しましたか。

【北澤】沖縄のみなさんを失望させないことと、期待を膨らませすぎないことの2つが大事だと思い、早い段階から日米の合意事項の辺野古移設という原案に返るべきだと打ち出したんです。岡田克也外相(現民主党代表)は真面目な人だから、外務省からのヒアリングを受けて嘉手納基地への統合案が現実的だと思い、「どうしてできなかったのか、裏側の検証をどうしてもやりたい」と言った。私はこの案は無理だと思ったので、「検証の期限は2009年12月いっぱいですよ」と答えた。岡田さんは「駄目だったら、辺野古移設の原案に戻る」と率直に言った。結果的に岡田さんは私と同じ方針でいくことになった。

私は鳩山さんにはいろいろとお話をした。あの人は全部よく聞く人で、最終的には納得してくれました。沖縄基地の抑止力の点については、この問題に詳しい岡本行夫さん(外交評論家。元外務省北米一課長)に鳩山さんのところへ説明に行ってもらいました。

【塩田】途中で移設先として鹿児島県の馬毛島案とか徳之島案の話が飛び交いました。

【北澤】徳之島案は当時の平野博文官房長官の提案でした。使われていない古い滑走路があり、それを活用したいと言って、ご執心だった。ですが、地元がとてもまとまらない。それに徳之島は海兵隊が常駐しているところから距離がありすぎて、米軍が反対だった。

馬毛島は平地の無人島で、3000メートル級の滑走路をつくれるのですが、普天間基地移設とはまったく話が違っていて、航空母艦の離発着の訓練場(FCLP)として日本が用意することになっていました。私はこのFCLPと東日本大震災、特に福島第1原発の事故の教訓から無人機の訓練に利用、活用できると思い、熱心に取り組みました。

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北澤俊美(きたざわ・としみ)
参議院議員・民主党副代表兼安全保障総合調査会長・元防衛相
1938年3月、長野県更級郡川中島村(現長野市)生まれ(現在、77歳)。長野県立屋代高校、早稲田大学法学部卒。前田道路に就職し、サラリーマンの後、死去した父・北澤貞一(元長野県議)の後継者として75年に長野県議に(5期)。92年の参院選に自民党公認で当選(長野選挙区。以後、当選4回)。中央政界では羽田孜元首相の側近として活躍。93年に自民党を離党して新生党の結党に参加。新進党、太陽党、細川護煕元首相らのフロムファイブ、民政党を経て、98年に民主党に。2000年に民主党参議院幹事長。参議院の国土交通委員長、外交防衛委員長を歴任した後、09年9月から11年9月まで鳩山由紀夫内閣と菅直人内閣で防衛相を務める。2015年の通常国会では、安全保障関連法案を審議する参議院安保特別委(我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会)の筆頭理事として腕を振るった。『日本に自衛隊が必要な理由』という題の著書がある。「77歳の今でもスキーはやるし、ゴルフも大好き。ほかに趣味は陶芸と畑仕事」と話している。

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