コミック実写化、成否の要因と課題とは? 製作陣に求められる映画的達成感の模索 | ニコニコニュース

シルバーウィークの映画興行では興収1位。コミック実写映画化の成功作品となった『ヒロイン失格』(C)2015 映画「ヒロイン失格」製作委員会
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 9月シルバーウィークの映画興行は、コミック原作の実写映画化作品の激突が見られた。ちょっとした驚きは、『ヒロイン失格』が『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』を上回ったことだ。9月23日時点で(ともに9月19日初日)、前者が興収7億6074万円、後者が7億5255万円を記録した。2週目にあたる9月27日時点では、ともに10億円台に乗せたが、その差はもっと開いた。

【写真】独特な雰囲気だった『ヒロイン失格』撮影現場のメイキング

◆邦画の基盤を支えているコミック、アニメ

 こうした激突ぶりからも、コミック原作の映画化が、現在の邦画製作の中核をなしているのが、はっきりとうかがえる。スポーツ新聞にときどき掲載される新作邦画の製作情報を見ても、それは一目瞭然だ。その多くが、コミック原作の映画化なのである。かつて、人気ドラマの映画化が、邦画製作の定番であった。今やそれがコミック原作の映画化に移っている。

 昨年の邦画興収上位10本のうち、『テルマエ・ロマエII』『るろうに剣心 京都大火篇』『るろうに剣心 伝説の最期篇』の3本が、コミック原作だった。同じく今年上半期では上位10本のうち、『暗殺教室』『ストロボ・エッジ』『寄生獣』の3本がコミック原作だ。これにアニメを加えるとどうなるか。昨年では、アニメとコミック原作の実写映画化作品が上位10本中9本。今年上半期でも、10本中同じく9本までを占める。邦画は、コミック、アニメがその基盤を支えていると言っても過言ではない。何とも恐るべき状況である。

 では、なぜコミック原作が人気なのか。認知度が高く、若者中心の根強い支持があるので、数字(興行)がある程度読めるということがまず挙げられる。興行の下地が、しっかりしている。つまるところ、安全パイなのだ。

 ただ、邦画製作におけるコミック人気は、今に始まったわけではない。かつても、コミック(劇画とも言った)の映画化がけっこうあり、多くの話題作や大ヒット作も登場した。『女囚701号/さそり』『嗚呼!!花の応援団』『ゴルゴ13』『ルパン三世 念力珍作戦』など(古くてわからないか)、挙げ出したらキリがない。ただ、それが邦画製作のメインではなかっただけだ。今は、それが邦画製作(興行)の“ど真中”にきた。

◆原作ファンを超えた一般層にまで広がるか

 さきのヒットの中身を見ると、大きな違いがあることもわかる。原作ファンを超えた一般層にまで興行が広がると、大ヒットへの道が開ける。『テルマエ・ロマエ』2作、『るろうに剣心』シリーズは、その代表的な作品であろう(ともに1作品で30億円以上)。中身のおもしろさが、一般の観客にも十分に通じたことが重要だ。人気俳優の起用も、一般層集客への大きな引き金になっている。

 一般層にまで大きくは広がらなかったが、確実なヒットに結びついたのが、今年の『暗殺教室』『ストロボ・エッジ』『寄生獣』だろう。原作ファン中心ながら、一般層の広がりに限界があり、結果として20億円台に収まった。作品自体の底力はあったが、題材の限定性や特異性が、観客を“選んだ”と推測できる。

 一方に、課題もある。原作のイメージを損なうと、とたんに原作ファンが引き始めることだ。これが、興行に少なからぬ影響を与える。俳優陣が原作のキャラクターにふさわしいかも、常に話題になる。映画化決定の時点で、原作の登場人物に対する自分たちのイメージから、俳優起用の是非を判断していくのも、ファンの大きな楽しみのようだ。ただ、合わなかった場合、けっこう怖いことになる。こうしたことを反映して、原作ファンの気持ちや好みを推し量ることに製作陣は腐心する。できるかぎり原作に近いイメージで俳優を起用し、中身を作っていくのだ。

◆俳優が演じる映画と原作は別物

 原作に過度に寄り添う方向性も、わからなくはない。だが、とここで私は考える。原作と映画は、やはり別物ではないのかと。そもそも俳優が演じる時点で、その俳優のビジュアルが原作のイメージに近いとしても、生身の俳優=人間が演じるのだから、それはコミックのキャラクターとは違う。俳優にしても、コミックのイメージだけで演じることなど不可能だろうし、それでは俳優としての自負がズタズタになろう。俳優とは、単なる模倣者ではない。

 そうしたことを頭に叩き込みつつ、これから製作陣や俳優たちに求められるのは、原作の魅力と、映画的(あるいは自立した俳優的)達成感とのせめぎあいを模索することだろう。おそらく、その着地点としては、原作と映画は別物だということになろうと、私は思っている。

 かつては、コミックから、映画監督たちは、自身の世界観の構築を図り、原作とはかなりかけ離れた作品を作り上げたものだ。その時代も懐かしいが、今はそんな甘い時代ではない。原作の魂と映画の魂のぶつかりのなかで、製作陣は、映画の真髄を求めて格闘すべきなのだ。それが、おもしろさに結実していたら、原作ファンだって納得するに違いない。

 今や米映画だって、マーベルやらDCコミックスやらで、コミック大攻勢である。ハリウッドが、やっと日本の映画状況に追いついてきたかと、冗談ではなく感無量であるが、要は“コミック”をひとつの契機に、映画館に来てもらえることを引き金にして、映画の魅力を、とくに若い人たちに知ってもらうことが大切なのである。コミック、アニメの時代の今の映画界を否定してみても、全く意味はない。


(文:映画ジャーナリスト・大高宏雄)