今では考えられない!?かなりフリーダムだった昭和時代のマナーと日常まとめ | ニコニコニュース

今では考えられない!?かなりフリーダムだった昭和時代のマナーと日常まとめ
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どうも服部です。昭和時代をさまざまな形で振り返っていくシリーズ記事、今回は平成育ちにはちょっと考えられないかもしれない、昭和時代のマナーや日常についてまとめていきたいと思います。

ちなみに、ここでいう昭和時代とは昭和30年代以降のことを指し、ものによっては平成のある時期まで続けられていた事柄も含みます。

※上の画像は「昭和37年の浜松市政ニュース2」より(※動画は元記事にて)。「禁煙」サインの出ている市民会館の中でも平気でタバコを吸っている人の姿が(1:54頃から)。

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■ほぼどこでもタバコが吸えた

まずは喫煙事情について。公共マナーについて取り上げると、現在と大きく変わったものといえばやはりタバコのマナーではないでしょうか。屋内の多くの場所や路上までも禁煙となっている現在とは比べようがないぐらいフリーダムに、ほとんどの場所でタバコが吸えた時代もありました。

駅のホームは喫煙所ができて制限されるまで、駅ホームのいたるところで喫煙する姿が見られましたし、電車が近づいてくると吸い殻を線路にポイ捨てなんて光景も当たり前のように目にしました。新幹線をはじめとする長距離列車は禁煙車が登場するまで他人の副流煙を避けることはできませんでしたし(新幹線に初の禁煙車が設定されたのは1976年《昭和51年》のこと。しかも自由車に1両のみ)、国際線・国内線ともに飛行機には喫煙席が存在していました。

学校の教室で喫煙する教師がいたり、映画館内(一応禁煙でしたが)で映画を見ながら吸っている人もいたようです。そういえば昭和の刑事ドラマでは、刑事役の俳優はたいていデスクでも現場でもタバコをプカプカ吸っていました。ああいうシーンを見て、子供はタバコに憧れてしまうんですよね。

■子供でもお酒やタバコが平気で買えた

昭和育ちの中には、親に頼まれタバコやビールなどの酒類を買いに行ったという人もいるのではないでしょうか。著者は子供の頃、父への誕生日プレゼントとしてタバコを1箱贈ったことがありましたが、一人で近所のタバコ屋さんに買いに行き、普通に売ってもらえました。それは小さい子供だけでなく、中高生ぐらいでも平気で売ってくれた店もありましたし(お酒もタバコも)、タバコは今と違って「taspo(タスポ)」(成人識別ICカード)がなくても自販機で買えました。

■高校生でも平気で居酒屋で飲酒ができた

現在では未成年と思われる客が居酒屋(酒類をメインに提供する店)に入る際には、身分証などの提示を求められるはずですが、少なくとも1990年代前半頃までは、成人しているようには見えなくても平気で(年齢確認なしで)酒類を提供する店がゴロゴロありました。大学1、2年生はもちろん、高校生の打ち上げで居酒屋が使われカルピスサワーで乾杯~といった光景も珍しいものではありませんでした。

■バイクはノーヘルでOKだった

現在では原動機(エンジン)付きの二輪車に乗る際にはヘルメット着用が義務づけられていますが、エンジンの排気量や道路の制限時速にかかわらず全国で着用が義務づけられたのは、昭和もかなり終わりに近い1986年(昭和61年)のこと。東京と政令指定都市で罰則ありの義務化(50cc超のバイク)が開始されたのはそれより前、1975年(昭和50年)のことでした。

ヘルメット義務化の時代について、こんなツイートもありました。

●仮面ライダーで、ある時からショッカーの戦闘員がバイクに乗るのに、ヘルメットを被るようになって、笑ったな…


埋草甚一HameSendrix (@UmekusaJinxichi) 2015,10月3日

■お菓子の箱はフィルム包装されていなかった

現在では密封されていないお菓子の箱には、プラスチックフィルムで包装がされていますが、1984年(昭和59年)頃まではこのフィルム包装はされていませんでした。

昭和時代に育った方ならご存じと思いますが、このフィルム包装のきっかけとなったのは、1984年(昭和59年)から翌年にかけて発生した「グリコ・森永事件」でした。「かい人21面相」と名乗る犯人グループが、企業脅迫事件の一環としてグリコや森永のお菓子に毒性が強い「青酸ソーダ」を混入させ、店舗の売り場に置いていくという事件があり、消費者を不安に陥れました。前述の通り、当時のグリコや森永キャラメルのパッケージにはフィルム包装はなく、購入前に誰かが箱を開け、異物を混入させようとも、なかなか気付くことはできなかったのです。

この事件をきっかけに、各メーカーとも改ざんできない包装形態(事前に誰かが開封していたら気付くような形態)に切り替えていきました。

■ゴールデンタイムでも女性の裸がちょくちょくテレビに映っていた

最後はテレビに映る女性の裸(胸)の露出について。振り返れば、昭和時代のテレビには女性のおっぱいが登場する場面がたくさんありました。現在でも深夜時間帯のドラマで稀に登場するものもありますが、当時は子供の視聴も多いゴールデンタイム(19~22時)でもバンバン出てました。

1990年(平成2年)まで放送された下町の銭湯を舞台にしたドラマで、女湯のヌードシーンがお約束だった「時間ですよ」も放送回によって異なりますが20時か21時スタートでしたし、女性アイドル(?)の「ポロリ」シーンがこれまたお約束の「オールスター水泳大会シリーズ (フジテレビ)」など芸能人水泳大会のたぐいもゴールデンタイムでの放送でした。また、現在でも放送が続く「志村けんのバカ殿様」でも毎回女性の裸体が登場していました(しらべぇの調査によると、裸体が登場したのは1999年《平成11年》の放送が最後とのこと)。

2000年頃から自主規制の名でこういうシーンは(少なくともゴールデンタイムからは)消えていきました。一家団欒でテレビを見ているときに映るおっぱい。あの気まずい雰囲気は今でも忘れません。

(服部淳@編集ライター、脚本家)