なぜテクノロジ業界では会社でもTシャツが正装なのか?–その社会哲学を考察する | TechCrunch Japan

[筆者: Zack Fisch](Dash MDのCEO。)

ふだんは、ファッションにあまり関心がない方だ。ぼくはファッションブロガーではない。ファッションの記事も読まない。自分が気に入ったものを、着るだけだ。

と言ったけれども、そんなぼくがおもしろいと思うのは、テクノロジの世界には、ドレスダウン(日常着)がドレスアップ(正装)である、というトレンドがあることだ。VCに売り込みに行くために、(VCの多い)Sand Hill Roadにスーツを着て行ったら、とても居心地悪く感じるだろう。ここトロントでも同じだ: Vネックの海に文字通り“浮いている”スリーピース男の、恐怖の表情。

テク世界ではいつごろから、カジュアルが仕事の正装になったのか? Steve JobsとMark Zuckerbergをまず見てみよう。Steveは公(おおやけ)の場で、彼のトレードマークのジーンズとスニーカーと黒のタートルネックを着ていた。業界の人びとは、革命児Steve Jobsの真似をしていると思われたくないので、だれもタートルネックを着なくなり、ファッションの選択肢から外れてしまった。

Markの場合は、毎日同じグレーのTシャツを着ている。その理由は、毎日同じもの(しかもすごくカジュアルな)を着れば、着るものに心と頭を使わなくてもよくなり、仕事、すなわちFacebookの経営に専念できるからだ。そうやって生活の方程式から、毎朝のルーチン(着るもの選び)という変数をなくしてしまうのは、とても合理的だ。毎朝、起きたら着るものが決まっている。なんと効率的な人生だ。

テク世界には、カジュアル志向の理由がほかにもある。それは、厳密に能力主義の世界であること。大学を中途退学した者が自分のコードで大成功をおさめ、その見事にヴァイラルなプロダクトで人びとのコミュニケーションと世界を変えてしまう。学位は、何の意味も持たない。意味があるのは、何を作り、何を世の中に提供するかだ。外見よりも作品の質が重要だ。ここまで服装にこだわらない業界は、ほかにないだろう。ここでは、彼/彼女からの出力とそのクォリティがすべてだ。

逆に、弁護士の世界などでは、服装と学歴が重視されるだろう。

法律家は専門職であり、この場合の専門職は特定の社会的な「形」が要求される。服装は、その形(かたち)を構成する重要な要素だ。でも、なぜ、それがスーツなんだろう? 仕事の結果で人が評価されるのは、弁護士もプログラマも同じではないか? しかし法律家の世界は、そうではないらしい。法律事務所も、若いアシスタントたちはちょっと違う服装の傾向だけどね。

Tシャツはボタンが全然ないから他のどんなシャツよりも脱ぎ着が簡単だ。

いちばん重要なのは、自分が選んだ自分の外見は、自分をどう見てもらいたいかという意思の表れであることだ。そしてこの理論をやや延長すれば、仕事の世界における服装に対する想定も、その業界が自分自身をどう見ているか、世の中にどう見てもらいたいか、という意思の表れなのだ。

とにかく言えるのは、テク業界では仕事の正装ないしビジネスカジュアル*が、カジュアルそのものであることだ。Tシャツはボタンが全然ないから他のどんなシャツよりも脱ぎ着が簡単だ。しかもそこでは、職場での外見よりも人間の中身と仕事のクォリティが重視される。だから、そこはより快適な職場になり、一人一人が自分に自信を持っている。Tシャツはまさに、そうであることの象徴だ。〔*: business casual, ふつうの会社や役所などでは、ノーネクタイや無地のポロシャツの許容、など。〕

もしも万一Tシャツでクビになっても、これで裁判に勝てるよね。

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(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa)。