ぷよぷよ生みの親はバイト生活、コンパイル創業者が誕生秘話や近況。 | ニコニコニュース

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人気ゲーム「ぷよぷよ」の“生みの親”の一人で、開発・発売元のコンパイルで創業社長を務めていた仁井谷正充さん(65歳)が、10月22日に放送されたバラエティ番組「ヨソで言わんとい亭」(テレビ東京系)に出演。現在はアルバイトをしながら、1人で新しいゲームの開発に取り組んでいることを明かした。

「ぷよぷよ」は、1990年代に爆発的なヒットを記録した、ゲーム好きなら誰もが遊んだことがあるであろう日本を代表する“落ちものゲー”。一時、コンパイルは年商70億円の企業まで成長したが、経営の舵取りの失敗で1998年には経営破たんした。そして「ぷよぷよ」の権利はセガに売却され、個人名義で借金をしていた仁井谷さんは自己破産する道を辿ることになる。

この日、番組では「ぷよぷよ」誕生前夜のエピソードも披露した仁井谷さん。もともとは当時世界的なヒットを遂げていた「テトリス」や、任天堂が発売した「ドクターマリオ」に刺激を受け、コンパイルでも何かできないかと考えていたときに、社員から「ドミノが上から落ちてきて、4つ揃ったら消える」という、「ドクターマリオと同じルール」の企画が会議で上がってきた。

しかし、「(ドクターマリオと)似てるけど、とりあえずテトリスみたいに売れるソフトを作りたいから、こっそり作ってごらん」と、「ぷよぷよ」の開発がスタート。この話に、「『ぷよぷよ』は『ドクターマリオ』のパクリということですよね?」と聞かれた仁井谷さんは、「そうですね。ルーツがそこにある」と語った。

ただ、「『ドクターマリオ』に似てるからどうしようかな、というときに、任天堂から『お前パクっただろ』って言われるのも嫌」とは考えており、そこで思い至ったのが「任天堂から出せば『ドクターマリオ』のパクリと思われない」ということ。当時、ファミコンのディスクシステムが落ち目で売れなくなっていた時代」だったことに目を付け、「(我々が)企画書を出したら、任天堂も企画欲しくて」と利害が一致、「ぷよぷよ」は「パクリみたいですけどセーフ」な状態で世に送り出されることになったそうだ。

そうして「ぷよぷよ」は見事に大ヒットを記録、仁井谷さんも最盛期は年収1億円を超えたそうだが、その後の紆余曲折は前述の通り。現在は千葉県某所にある家賃5万円の2DKで暮らし、アルバイトで生計を立てているという。その傍ら、「ぷよぷよ」の次と言えるような自作の“落ちものゲー”の開発に取り組んでいることを明かした。