Bahi JD インタビュー オーストリアの気鋭アニメーターが辿り着いた日本とアニメ | ニコニコニュース

Bahi JDさん
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昨今大量に放映されるTVアニメーション作品。その中でも一際その表現にこだわりを見せる『血界戦線』『スペース☆ダンディー』『攻殻機動隊 新劇場版』といった作品に参加するBahi JDというアニメーターの存在はまだあまり知られていない。彼はオーストリアに在住する、弱冠23歳のフリーランスの外国人アニメーターだ。

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インターネットを駆使し、オーストリアから日本の商業アニメ作品に原画マンとして参加しているという彼は、アニメ『坂道のアポロン』のとあるワンシーンを手がけ、コアなアニメファンの間でその名前をささやかれるようになる。

時間にすると数秒程度の、それもモブキャラクターが人を呼びかけるだけの何気ないシーンだが、人物たちの異様なまでの躍動感は目の肥えたアニメファンたちの注目を集めた。

Bahi JDさんはどのようにして、日本アニメとの関係をほとんど取り沙汰されないオーストリアという土地からアニメーターを志すようになったのか。若くして現在のような技術を手にいれるまでにどのような道のりがあったのか。海の外から日本のアニメ作品やシーンはどのように見えているのか──とあるアニメプロジェクトのための貴重な来日に際して、話をうかがった。

(取材/文:米村智水 翻訳:たぶちゆう)

インターネットがあったからアニメーターになれた

──本日はお忙しい中ありがとうございます。時々来日されるそうですが、今回はどれくらいの期間、日本にいらっしゃるんですか?

Bahi JD 時々日本にも来るのですが、今回は4つのプロジェクトの制作のために来日しています。3ヶ月くらいはいると思いますよ。

──日本の商業アニメーション作品はいくつくらいから見ていたのでしょうか。

Bahi JD 4歳くらいかな。こんな世界があるんだ、ということをテレビを通して知りました。アメリカではお馴染みの『ルーニー・テューンズ』などは放映していましたが、日本のアニメも時々オーストリアで放映されていたんです。例えば「世界名作劇場」シリーズの『アルプスの少女ハイジ』『赤毛のアン』『ピーターパンの冒険』がとっても好きでした。

最初に観た日本のアニメーション作品は、名前は忘れてしまったんですが、沢山の小さなネズミたちが大きな白い悪の敵に襲われる、というような内容だったのですが……結構古いアニメです。

──『ガンバの冒険』のことですかね?(Google画像検索の画面を見せる)

Bahi JD そうです! これです! あー懐かしい。本当に子供の頃からの良き思い出って感じなので、あらすじや具体的な内容までは覚えていないですが、表現方法がクールで、大冒険を描いたアニメーションなのが、面白いなあと。とても印象的な作品でした。

──日本のアニメは、オーストリアでもメジャーだったりするんですか?

Bahi JD テレビ放送については、10年前のほうがメジャーでしたね。テレビ放送は減少しましたが、Blu-rayやDVDはまだ人気があります。僕が参加した『スペース☆ダンディ』もオーストリアの店に売っていて、とても幸せでした。

今では、宮崎駿監督や細田守監督のような圧倒的に著名な方でないとあまり話題になりません。僕が子供のころは、もっとみんな他の人や作品についても話していた気がする。

今では、前ほどの人気はありませんが、みんな昔の日本アニメを知っているから、完全に知らない新しいカルチャーのような位置づけではありません。ただ、ネットユーザー、それにアニメーションやマルチメディアを専攻している学生だと昔の著名人に限らず、新しい情報に敏感ですよ。

──意外にもフラットに受け入られているんですね。Bahiさんはいつから絵を描いたり、アニメーターになろうと志したのですか?

Bahi JD それこそ多分高校生の頃になるのかな。確かその前に、7歳くらいのときに押井守監督の『攻殻機動隊』をはじめて見たんですよ。ただ映画作品ではなくて。アメリカの音楽番組「MTV」で、映画からのクリップを何個か取り出してまとめたミュージックビデオみたいな物を見たんです。

もうそれは、感動が大きかったですよ!「WOW!」「なにこれーー!!」っていう感情で(笑)。リアルなアニメーションでダークかつサイバーパンク調のスタイルやクリエイティブは、そのときの僕の歳からしてみたら新鮮で印象的でした。そのようなものはそれまで見たことがなかったのですから。

アニメーターを志すようになった理由は、インターネットのおかげだと思う。僕はほとんどのアニメのことをインターネットで学んだと思っている。何かインターネットの中で生きているような感覚で、様々なインスピレーションや発見もインターネットからきます。もうどこに住んでいるかとか、どのような環境に身を置くかは、あまり関係ないと思っています。インターネット自体がもう、一つのでき上がった環境だと、僕は認識しています。

──インターネットがあるとはいえ、地理的な問題はどうしても存在するという考えも一方で強くあります。オーストリアという国でアニメーターを志す中で、孤独を感じることなどはありませんでしたか?

Bahi JD 僕の友人や家族は、僕がアニメーターという職業につくことに興味を持っていたんです。僕が何をするのか常に知りたがっていたし。両親はアニメについてとても詳しいわけではないけれど、視野が広く、オープンマインドだから、そのようなことも話していましたよ。

様々な分野を自分のメディアに活かさなくてはいけない

──それは羨ましいです。Bahiさんは、オーストリアのどういう場所で生まれ育ったんですか?

Bahi JD オーストリアの首都・ウィーンで生まれたよ! 割と都心部で生活しています。ただ、都心といっても、東京のようなビッグで人口密度も高いような都市のイメージとはまた違いますね。

今では、とてもマルチな文化が渦巻いている都市です。アメリカやフランスから来る人も多いので、街を歩けば、様々な文化や背景を持つ人が交差しています。ウィーンは美術的にも歴史の深い場所ですが、最近では新しい美術のシーンも上陸しているから楽しいよ。

僕はグスタフ・クリムト──ウィーンで活躍した近代の美術家が大好きです。同時代の作家ではないけれど、現代のコミックアーティストとイラストレーターに似た手法を思わせるスタイル。彼の作品は、コマーシャルや祭典の広告ポスターにも使用されているから、街を歩けばよく見かけるよ。インターネット以外での、肌で感じるインスピレーションっていう意味では、彼にも影響を受けているよ。

クリムトの作品では、『Drawing for the Allegory 'Junius'』と『Portrait of Helene Klimt』がお気に入りです。Google画像検索で『Portrait of Helene Klimt』と検索してみてください。とてもきれいですよ(笑)。

──同時代のアーティストはどうですか? 日本のアーティスト・Houxo QueさんやTOKIYA SAKBAさんとの関わりもありますね。

Bahi JD はい! 彼らとは、友達という関係のレベルになる前は、インターネット上からずっとインスピレーションを受け続けていました。彼らと知り合って、アートやアニメーションについて一緒に話したい! と思っていたんです。

Houxo Queさんはペインターとして名が知られているけれど、実はアニメーションに対する知識や興味もすごく大きい。彼らとは、アニメという世界から出て、イラスト/現代アート/インタラクティブ・メディアなどの多方面の分野について話し合っています──もう彼らとは、すべてについて話す仲だよ(笑)。

たしか最初に、Houxo Queさんとはアニメーターの板野一郎について話した気がします。「板野サーカス」と讃えられる彼独自のスタイルは、アニメ界では有名ですが、本当にすごいんです。何個ものロケットが飛行機やロボットから発射され、それが飛び交うそのアクションスタイルがとても面白いね! と二人で話し合いました。音楽やアニメーション、映画の情報を友人とシェアしたり、交換するのが大好きなんです。

──アニメーターとして初参加した作品は何になるのですか?

Bahi JD 確か、高校を卒業するときくらいかな。アニメーション作品ではなかったけれど、『SKULLGIRLS』というビデオゲームの仕事をしました。動画や原画だと、細金卓矢さんが監督した「日本橋高架下R計画」が最初の仕事だったと思います。じん(自然の敵P)さんのボーカロイド楽曲のMVです。

日本橋高架下R計画 MV


Nihonbashi Koukashita R Keikaku from Takuya Hosogane on Vimeo.

──2012年の作品ですね。これ僕、マジで感動しました。この作品がアニメ初仕事だったとは。

Bahi JD いやあ、もう細金監督は本当にすごい方ですから(笑)。彼から仕事の依頼が舞い込んできたときは、「本当に?」と思うくらい驚きが大きかったですからね。なんせ、それまで僕はプロとしての仕事の実績なんて全く積んでいませんでしたから。

ちょうど同じころに、今は作画監督として活躍しているCindy H. Yamauchi(山内英子)さんにも、プロとして仕事がしたいという意志を伝えていましたね。彼女には、2年ほど前から連絡をとり、年ごとに自分の作品を送り、がんばって上達を見せました。僕はどうしてもアニメーション業界と繋がりたかったから、あらゆる手段でコミュニケーションをとって、コネクションづくりに励みました。

ようやくある日、彼女から仕事にできるレベルに到達していると言われて──その準備もできているよとコメントをもらい、今も一緒に仕事させてもらっています。

最初のテレビアニメの仕事は『COWBOY BEPOP 天国の扉』の監督も務めた渡辺信一郎さんのプロジェクト『坂道のアポロン』ですね。

そのプロジェクトに携わる前に、細金監督との仕事経験からアニメ制作のプロセスについて教わっていたので、それを活かしながら仕事ができたからよかった。本当に、細金監督、そしてプロジェクトに関わったチームからは多くのことを教わったよ。

──細金監督は師匠のような存在?

Bahi JD まさしく師匠ですね。細金さんだけではなく、毎回プロジェクトに参加すると、監督たちは僕に何かを学ばせようとする。ただ単に、この仕事をしろと命令をするのではなく、僕に何かを教えようとしてくれます。経歴の長い師匠のような存在の方々と仕事ができるのは最高ですね。

──それらの制作も遠隔で行っていたんですよね。

Bahi JD SkypeとかGoogleドキュメントなどのアプリを駆使して、全部インターネットで完結できました。

ただ、僕が今いるキャリアステージや年齢を考えたときに、スタジオに直接行って、チームみんなと会話をしながら進めたほうが習得スピードも速いと思います。自宅にいると、全部自分でやり、独学し、自分への励ましや頑張りもすべて一人でやるから……

できることなら、直接的に人々と関わったほうがいいと思う。スタジオにいると、ほかの素晴らしいアニメーターと休憩のときに気軽に会話を出来る環境にいるから、ディスカッションに発展することもあり、刺激的です。

オーストリアのアニメーターとしての働き方、そして絶対的な情熱

Bahi JD でも僕はどこかのスタジオに所属するよりも、人やプロジェクト自体を一番大切に考えています。いまはフリーランスなのですが、良いプロジェクトが舞い降りてきたら、それに集中したい。たとえ、スタジオがあまり良くなくても、一緒に働く仲間やプロジェクトが良ければ、がんばって進めていくことはできるから。

──日本に拠点を移したいと思ったりはしませんか?

Bahi JD 今は、こうやって母国に住み、大きなプロジェクトがある度に、日本に数ヶ月行くという生活をしているのですが、苦ではありません。今はこのままで良いと思っています。ある意味、この場所の移動が自分のバラエティの幅も広げているとも思っています。移転生活を楽しんでいます。でももう少しキャリアと歳を重ねたら、もしかしたら日本に拠点を移すことも考えるかもしれないです。

──すごく特殊な働き方だと思いますが、Bahiさん個人として、アニメ制作で最も大切にしていることは何ですか?

Bahi JD ありすぎて一つに絞れないよ! でも言うとするならば、情熱。アニメーション業界は、本当に体力的にも精神的にもつらい業界。アニメを好きというレベルではなく、マジで「愛する」という気持ちがないとやっていられない。アニメーターとして仕事を続けて、進化するには、情熱は重要な気持ちだと思うよ。

アニメーターは単に絵を描くだけではなくて、映画監督のスキルが必要なんです。映画撮影術(シネマトグラフィー)やカメラレンズ、カメラ位置、撮影テクニック、監督術などのすべてが繋がっています。映画をつくっているのと同じ感覚なんですね。単にキャラクターを表面的に描くのではなく、映画のような世界観を包み込むために、キャラクターに命を吹き込むんです。

Bahi JD またエフェクトやアニメーションをやっていない場合も、良い俳優になることが重要です。だって、そのキャラクターの気持ちや存在を深く理解する必要があるから。アニメーションは「絵を描く」という一つの技術だけでは、全く足りない……!

宮崎駿監督の映画や『攻殻機動隊』や『AKIRA』も、アニメ映画ではなく、本当の映画を見ているような気分になる。

──アニメーションと同じくらい、映画も昔から好き?

Bahi JD もちろん。小さい頃の思い出として強いのは『ジュラシック・パーク』『ターミネーター2』とか。リドリー・スコット監督の『ブレードランナー』は、もうクラシックな定番映画ですが、僕を映画や制作の世界に引き込ませたきっかけです。

アニメーションの世界と映画の世界は重なる部分があると思っているから、アニメーションの仕事をしているときも、絵を描くだけではなく、映画をつくっているような意識でやっている。もう何回も言っているけれど(笑)──映画監督のようなスタンスでアニメーションをすることが重要。

僕は、キャラクターのストーリーを物語るプロジェクトで仕事をするのが、とにかく好き。モーションや生命を創出したいんです。だって、僕にとって、アニメの世界というのは、つくり上げたものではなく、現実に実在しているもの。それが大好き。だからキャラクターを物語る映画とかを見ると興奮します。

あと、一緒に仕事をする人たちが面白かったり、楽しめる仲でないとダメですね。だからチームも大事。幸運なことに、僕が今まで仕事をしてきた仲間は、みんな強い情熱があったから、これまで一緒にやってこれたよ。

アニメの枠組みを越え、発展させるために

──日本以外で気になっている国や、アニメ以外で気になっているクリエティブなジャンルはありますか?

Bahi JD 面白い国に関しては断定できない。だって僕は、インターネットのTumblrやTwitterを通して様々な人やアートの新たな発見に出会っているから。もう国という単位は、本当は関係ないと思っています。世界はどこだっておもしろいと思います。

──あらゆる国のカルチャーやアートに触れる中で、日本のアニメを選ばれた理由はどこにあるのでしょうか?

Bahi JD 自分の幼少時代に、アニメに触れていたことが大きいと思います。ただ、アニメといっても、その枠組みを越えて拡大や発展をさせることを常に念頭に置いています。色々な分野から少しずつ良いところを取り出し反映させていきたい。僕の場合だと、アニメーションをクリエイティブな作品にするために、広い視野を持つことがとても重要なので、映画術やアニメーションはもちろん、幅広いジャンルを気にしないといけないですね。

どの分野で活躍する人だって、必ずほかの分野も学び、それを自分の分野に生かしているよ。

多くの監督たちからの影響と学びについて

──特に一緒に仕事をして良かった、影響を受けた監督はいましたか?

Bahi JD 『スペース☆ダンディ』の監督を務めた渡辺信一郎さんと夏目真悟さん。最近も『コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜』で水島精二監督と作業させてもらっていて、とても楽しかった。あと、いま進めているプロジェクトの詳細はまだ公表できないのですが、その作品を担当している監督もとても良いです! 今まで関わった監督はひとり一人違いますが、どんなに厳しい人でも、何かを教えてくれる上、伝えてくれるので、自分は良い勉強になっています。

Bahi JD アニメーターさんとのコミュニケーションを怠らず、常にアニメーターたちも視野に入れ、コンタクトをとるようにし、正しい方法を教えてくれたりする監督の教育的な優しさと厳しさには、感謝しています。

インターネット時代に突入したこともあり、様々なクリエイターが本当にいろんな場所から情報を入手している。アニメーションを専攻している学生は、ディズニーとピクサー、そして日本のアニメから情報を入手していることが多いんです。最近そういった学生たちの短編映画を観ていると、日本のアニメ技術を思い出すことがあります。例えば、パリの名門アニメ大学のGobelinsでは、インターネットから得た情報で互いを高め合い、情報を結合させ、自分の作品に生かしている。実際にスタジオジブリでインターンシップをしていた学生もいました。卒業後に彼女はスタジオ4°Cとディズニーで働きはじめましたね。

──日本のアニメシーンが抱えている問題点や課題は何だと思いますか?

Bahi JD 課題はもちろんあります。それは常に自分でも考えていることであり、本当に難しいところ……。特にアニメーターを志す段階にいるビギナーにとってはややこしい問題がある。

でもスタジオはすべて違うから、経営や経済的なスタイルも違う。自分のスキルや所属するスタジオによって金銭的な問題も異なっていると思う。どのように、この課題が解決できるかはわからないけれど、この業界では努力は必ず報われると思っています。上達すれば課題も少なくなるはずですが、初学者にとっては難しいですね。

ただ、誰だって急にスーパーアニメーターになれるわけではなくて、ステップごとに上達していくしかない。最初は辛くても、学び、仕事を重ねて行く上で、やりやすくなるはず。

──業界やスタジオの構造は長らく問題視されていますね。そんな中でBahiさんのようなスタイルで仕事をする人は新しい流れにあたると思います。Bahiさんと同じように日本アニメに関わりながら、海外で活躍しているアニメーターに知り合いはいますか?

Bahi JD  ロサンゼルスで活躍しているアニメーターを知っているよ! アニメーション制作会社のWIT STUDIOが手がけた『ローリング☆ガールズ』の仕事をしていたよ。僕と同じように、母国に住みながら仕事で日本と行き来することが多い人は、あと2人くらい知っています。

『スペース☆ダンディ』のあるエピソードで、作画監督をつとめた湯浅政明さんは「インターネットで活躍するアニメーターと仕事がしたい」という意志からTwitterで呼びかけをしたんです。結果、そのエピソードではアメリカやフランスに限らず、沢山の国からのアニメーターが集ったインターナショナルな環境になりました。

あと、先ほど挙げたフランスのGOBELINS大学の卒業生でもあるAymeric Kevinさんという人も、背景アーティストとして活躍していますが、『スペース☆ダンディ』や松本大洋さんが原作の『ピンポン THE ANIMATION』などの作品のために来日していましたよ!

アニメーターのなかにはそうやってインターネットを用いて働き、ときには来日して直接コミュニケーションをとりながら働いている人もいます。インターネットを通して活躍している優秀なアニメーターの一人が鈴木亜矢さんです。彼女は細田守監督の『おおかみこどもの雨と雪』に参加したイギリス出身の優秀なアニメーターです。

「アニメーターはドリーマーだ!」

──Bahiさん自身は、色々な監督や周りのクリエイターからどんなアニメーターだと言われますか?

Bahi JD  僕がどういうアニメーターだって言われるかって(笑)? 難しい質問。現在のところは未経験のアニメーターです……。

──アニメーターを目指している方たちに対してアドバイスはありますか?

Bahi JD 僕も未だに若手で、発展途上のアニメーターだからアドバイスをすることは難しいです……。だから僕が今まで偉大なアニメーターの人たちから言われてきたことを繰り返します。

腕のいいアニメーターは全てのものに命を吹き込むことが可能です。そして大事なのは、自分で限界を決めないこと、あなたが出会うすべての人、物から学ぶことです。あなたの周りにあるものすべてを観察し、あなたが見て、経験するものすべてを研究してください。最高峰のアニメーターたちや自然から学び取ってもいいです。それもあなたを鍛えることになります。

あなたが基礎と今ある技術を身につけた時、あなたはあなただけのアニメーションをつくり出す、良いアニメーターになることができるでしょう。そして、ネバー・ギブ・アップ!

──映画づくりの話から察するに、物語全体をつくる人、監督になりたいという気持ちも強い?

Bahi JD 未来を予測することはできません。僕にはまだ学んでいないことや、経験していないことがたくさんあります。ただ監督になるまでの道は、ステップを踏まずに自動的になれるような人もいるけど、本当に一握り。大抵はアニメーターやTVアニメのエピソード監督で数本のキャリアを積んで、監督という最終目標にたどり着く、険しいものだと思う。

──最後の質問になってしまうのですが、Bahiさんがアニメーションで成し遂げたいことを教えていただきたいです!

Bahi JD  僕は、アニメーションを通して様々な世界を発見し、他人の目線からのストーリーを物語りたい。そのために面白い斬新なモーションやアニメーションをつくり上げたいですね。アニメーションを通して、人々に新たな世界への冒険の旅に出てほしいとも思います。

そして、これがもっとも大事なことなのですが、ファンタジーか現実に近い設定かに関わらず、キャラクターや、自然、空気などは「本物」でなければいけない。映画で本物の感情を表現したり、面白いストーリーを伝えたり、僕の 感情や感じたものみんなと共有したり。それをアニメーションやその他のメ ディアを通してすることは僕にとってとても楽しいことです。

アニメーションの「動き」を記述するテクニックを使って、色とりどりのストーリーを発信していきたいです! アニメーターは、ドリーマーなのです! 僕は、自分の夢を視覚化したいと思っています。