「大人向けを作るヒマはない」富野由悠季のガンダム秘話 | ニコニコニュース

特集上映「ガンダムとその世界」のトークショーに登壇した富野由悠季
Movie Walker

1979年にテレビアニメとしてスタートした「機動戦士ガンダム」。第28回東京国際映画祭では、ロボットアニメーションの祖であるこのシリーズの特集上映「ガンダムとその世界」が開催され、連日多くの観客をにぎわせている。

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そんななか、シリーズの生みの親である富野由悠季監督が「映像の世紀に進化はあるのか?」と題されたトークショーに登壇。メディアアーティストで筑波大学助教の落合陽一をゲストに迎え、司会のサンライズ小形尚弘プロデューサーと共に制作秘話や作品に込めた思い、さらに次世代に向けた未来への提言など、熱いトークを展開した。今回は、10月23日に「ガンダム Gのレコンギスタ」の上映後に行われたこのトークショーから、ハイライトとなった4つのテーマに絞ってレポートする。

■ 「手描きのアニメーションを続けて、なぜ悪い?」

小形「ディズニーの『アナと雪の女王』(13)はCGですし、あの宮崎(駿)さんも短編でCGの映画を作ろうとしている。そんななかで『Gのレコンギスタ』はいまだに手描きのアニメーションをやっていますが…」

富野「だから、富野はバカだよね(笑)。偉そうなこと言うと、手描きアニメは20世紀が作り上げた文化で、その遺産になるような作品をやっておきたかった。それを『Gのレコンギスタ』でやってみせるぞ、と。それがなぜ悪い?という粋がりがあります」

落合「僕は手描きアニメーションが逆に好きなんですよ。世の中が全部CGの方向に行っちゃって、そこで手描きアニメをやってたら、パンクじゃないですか?初代ガンダムのロボットの動きの方が、人間の感覚的に、CGよりロボットとしてしっくりくる」

富野「そういう意見は、ここ1年ぐらいで我々の周囲でも出始めましたね。手描きアニメの方がレアに見えるんだよね?っていう言い方で理解されている部分もあるけど、この文化はいちジャンルとして残していきたい。そのために『Gのレコンギスタ』で手描きをやっているのは、僕は間違いじゃないと思っています」

■ 「ミノフスキー粒子の設定は改めて秀逸だと思う」

富野「『Gのレコンギスタ』をやって、ファーストガンダムの時に作った設定について改めて考えたんです。つまりミノフスキー粒子があることによって人型のロボットの格闘戦ができる、ということ。そもそもミノフスキー粒子はドラマを作るために発明したんです。科学技術を使って地球の反対側にいる奴をやっつけるのではドラマにならないので、無線を遮断して、遠隔兵器をすべて壊す」

落合「それにしてもめちゃくちゃ秀逸な設定だと思いますけどね」

富野「秀逸なのは、15年ぶりに『Gのレコンギスタ』をやってもまだミノフスキー粒子が使えるということ。コンピューター技術がこの20年ぐらいでとんでもなく発達したにもかかわらず、ガンダムの世界が揺るぎないのは、ミノフスキー粒子のおかげなんです。だからいまだに取っ組み合いができるし、“劇”ができる。もっと言えば“愛憎劇”ができる。改めて秀逸なアイデアだなって感動したんだよね」

■ 「『Gのレコンギスタ』はロボットものではない」

富野「今回『Gのレコンギスタ』を作って気になったのは、地球上の資源が消費されている問題。その問題を次の世代の人に本当に考えてほしいと思ったから、『Gのレコンギスタ』みたいな舞台をつくったわけです」

小形「電力とコンピューターって切っても切れない関係というか…。『Gのレコンギスタ』にもそういう部分がありますね」

富野「例えば『Gのレコンギスタ』に出てくるキャピタルタワー。つまり宇宙エレベーターですね。じつはあの絵ずらを作りたかったから、あの設定を作った部分もあるんですが、その時に考えたことがひとつあるんです。それはエネルギーの問題です。あれだけの規模のものを動かす時に必要なエネルギーを、人工的に作ることは絶対にできない。そこで地球そのものがバッテリーになるかもしれないと想定したんです。このキャピタルタワーを若い子に見て、考えてもらえたら、エネルギー問題を突破する方法論を見つけてくれるんじゃないか、と」

落合「つまり大気層の摩擦を使うっていうことですよね?」

富野「まったくその通りです。実際に電離層があるということがどういうことなのかも含めて、我々が研究しなくちゃいけないことがいっぱいある。この話は今日初めてするんですが、じつはそれを伝えるために『Gのレコンギスタ』を作ったんです。ロボットものとして見ていた人はビックリするでしょうけど、この話もわかってほしいんです」

■ 「ニュータイプにならないといけない時代がきた」

落合「14歳の時になにを見たかで人生が決まると思うんです。僕は『Zガンダム』を見て、『どうやって人類を革新するか』に燃えて、コンピューターをガリガリやり始めたわけなんですけど」

富野「そういうところから裾野を広げていった時に、何かが起こるかもしれないという期待はあります。申し訳ないですけど、大人にわかってもらう話を作っているヒマはなくて、10〜15歳の子どもたちに“種まき”をしたいと思っていて。(会場にいる子どもに向けて)頑張ってね!」

落合「僕はニュータイプの設定にモロに影響されていて、人間が3次元的に宇宙に出ると人の認識が拡大するということに心を打たれたんです。いま思えば宇宙に出るより先にコンピューターがこの世界にはびこってしまったけど、それはほぼ等価の議論というか。どっちも人間の精神性は拡大していて、それはある種ニュータイプみたいなものなんだろうなと思って研究しています」

富野「ニュータイプっていう単語を思いついた35〜36年前の気分で言えば、若い時っていうのは直線的に物事を考えて、未来を想像したくなる。でも、この年になるとそれが全部却下されるんだよっていうのを僕自身が考えていました。人間はニュータイプになれないんじゃないか…という年をとった人間の絶望感です。人は共同社会の中でしか生きていけない、そこには組織がある、組織の中には派閥が発生する…。でも、この派閥をコンピューターが上手にコントロールできるかというと、絶対にできないと思う。そういう時にコンピューターが怒って、人類を絶滅させるのかもしれない。ただ、その時に電源切っちゃえば、こっちの勝ちなんだよね(笑)。コンピューターを発明した我々が、これ以後コンピューターと寄り添っていけるかは重要で、本当にニュータイプにならなくちゃいけない時代がきた、と痛感しています」

【取材・文/トライワークス】