「独裁者」とはいったい何者なのか?――『悪の力』著者・姜尚中さんに聞く(3) | ニコニコニュース

姜尚中さんの著書『悪の力』(集英社刊)
新刊JPニュース

 出版界の最重要人物にフォーカスする『ベストセラーズインタビュー』!
 昨日よりお送りしている第73回には、『悪の力』(集英社/刊)を刊行した姜尚中さんが登場です。
 凶悪事件が多発し、「悪」の力が増大していると感じている人も多いのではないでしょうか。本書は「悪とは何か」というテーマに、現代人を苦しめる「悪」の起源を探っていく一冊です。
 姜尚中さんはどのような言葉を私たちに語ってくれたのか。 現代社会に深く切り込んだ、注目のインタビュー。その最終回です。
(新刊JP編集部/金井元貴)

■『悪の力』の礎となっている3冊の本とは?

――今回お話をうかがうことが決まったときに、ぜひ聞きたいと思ったことが「倫理」をどのように考えるべきなのかということです。例えば、インターネット上で起こる炎上を見ると、「悪」というよりも「倫理」を欠いていると感じることが多いのですね。

姜: それは重要な指摘だと思います。倫理は、人間には神から与えられた、自分で自分の秩序を作り出せる、自分の行動を律せられる何ものかがあるということが発端だと思うんですね。それはアプリオリに宿っているものである、と。だから、人間は残虐だけれど、物事を認識できることと同じように、一方で自らそれを律する何かを持っている。そう位置づけたのがカントで、倫理は結局、人間に対する最後の客観的な信頼に支えられていると思うんですね。


ところが、私たちは20世紀を経て、「人間とは何か」ということに対峙することになった。たくさんの人間を殺しても、それすら恥じない人すらいる。国家の大義であるとか、いろいろな理屈をこねます。そうすると人間を律する何か(サムシング)があるということが信じられなくなっていきます。そこで登場するのが倫理ではなく「道徳」です。道徳は、一言でいえば外側から押しつけられた価値観です。こうしなさい、というものですね。一方、倫理は自らの内側にある神の声、自然の声、理性の声であり、その人の自由な内発性に裏付けられたものです。
ところが、私たちはこうあるべきという理想像を失ってしまった。もっといえばそれすらも資本主義に犯されてしまった。倫理を支えていた人間の内なる自然や理性への信頼がゆらいでいるのだと思います。

――インターネット上では「目立つ」ことが重要とされています。過激な発言や声が大きい人の意見がクローズアップされることが多いですね。

姜: そうなってしまうと、声が大きい人や多数者が強くなってしまうんですね。非常に病的であり、そこに「悪」が宿ってしまっている。悪は「病」であると書きましたが、個人の病であると同時に、世界も病んでしまっている。その感覚は多くの人が持っていると思います。

――名古屋大女子学生の殺人事件で、遺体と一緒に一晩過ごした加害者を例にあげて、「身体性の欠如」を指摘されていますよね。彼女にとって遺体は単なる物質であった、と。

姜: アウグスティヌスは、人間は身体があるから理性がある、つまり身体という人間に与えられた制約があるから理性が宿っていると考えます。ところが、「悪」を成す人間は、観念ばかりが肥大化して自分に与えられた身体という制約を取っ払おうとする。つまり自分の身体性を実感できなくなるんです。


この本で私は、「悪」は病だと書きましたが、では「正常」や「健康」な状態とは何かという問題が生まれるんですね。キリスト教的に言えば、神によってつくられた被造物である。なぜ「神」という大きな存在が必要かというと、私たちは理性によって説明できない何かをおかないと、合理性が成り立たないからです。
今、グローバルな世界の中で、そういった「理性によって説明できない何か」とは何かを考えると、そう思いつきませんよね。あえて言うなら「掟」です。社会におけるルール。そうすると、これを制定する国家が全能者になってしまい、その国家と自己同一化した人間が…独裁者なのではないかと思います。

――では最後に、本書を執筆される上で影響を受けた本を3冊、ご紹介いただけないでしょうか。

姜: まだ翻訳が出ていないのですが、テリー・イーグルトンの『On Evil』です。おそらくこの本は『On Evil』なしでは書けませんでした。それから、2冊目はジョン・ミルトンの『失楽園』です。もう一冊にはウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』をあげましょう。

(了)

■取材後記


今、日本が大きく動いている中で、この姜尚中さんのお話は非常に響くものがありました。私たちは「悪」というものを異物として排除する方向に進んでしまいがちですが、本書を通して、自らの社会から生まれた「悪」とどのように付き合っていくか、考え直す時期にきているのかもしれません。
(新刊JP編集部/金井元貴)