90年代“スーパー読モ”ピロムが振り返るギャルと渋谷のヤバイ話 | ニコニコニュース

90年代“スーパー読モ”ピロムが振り返るギャルと渋谷のヤバイ話
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90年代中盤以降に創刊された『Cawaii!』『egg』などのストリートファッション誌で読者モデルとして大活躍し、「スーパー高校生」と呼ばれた“ピロム”こと植竹拓(うえたけ ひろむ)。

高校生ながらカリスマ的な人気を誇った彼を羨ましく思っていた同世代の読者も多いはず? しかし、誌面上で見せていた楽しげで華やかな生活の裏には90年代の荒れた渋谷をサバイブする壮絶な日々があった。

―初めての渋谷は?

ピロム 17歳の時ですね。友達がオヤジのクルマのキーを盗んできて、『行かない?』って誘ってきたのがきっかけ。埼玉の田舎からギャルを見に行ったんです。2月で寒かったし、平日の深夜だったからギャルどころか誰もいませんでしたけどね(笑)。でも、スクランブル交差点を見て『都会だな』って思ったのはよく覚えてます。

―つまり、最初の渋谷はナンパ目的ってこと?

ピロム 最初だけじゃなくずっとそうですよ。渋谷に行く目的は、あの頃はとにかくナンパ。ただ、当時は高校がブランド化していて、昭和第一高とか法政二高とか、一部の頭のいい高校に通ってる男しかモテなかったんですよ。

だから雑誌に出て自分の行っている高校の知名度を上げればモテるようになるんじゃないかと。元々、目立ちたがり屋ではあったんですけど、読者モデルを始めたのもモテたかったからですね。

―当時はどこでどんなふうにナンパしてたの?

ピロム センター街とかスペイン坂の辺りですね。声のかけ方はいろいろ。当時、久保田利伸のシャウエッセンのCMが流行っていて、そのモノマネをしながらナンパしたこともありました(笑)。

『遊ぼうよ』なんて声をかけても誰も遊んでくれないんで。どうすればギャルの気を引けるか、話を聞いてもらえるか、そればっかり考えてた気がしますね。

―それが読者モデルになってガラッと変わった?

ピロム そうですね。チ○チンが乾く暇がなかったです(笑)。

―スゲェ!

ピロム 有名になってからは女のコに囲まれてセンター街を歩けないこともありました。

―そんな中でも特においしい思いは?

ピロム 『今から温泉に行きたい』って言ったら超金持ちのギャルが迎えに来てくれて、そのコの友達も含めた5人ぐらいのギャルと草津の別荘に行ったことがあるんですよ。もちろん、男は俺ひとり。それでギャル5人と一緒に風呂に入ることになって。あのときはいい思いしましたね。

―羨ましい! じゃあ、ひと晩で5人のギャルと?

ピロム いや、でもその時はかなり飲まされて、ダメになっちゃったんですよ。

―もったいない!

ピロム でも、後で聞いたらその金持ちのギャルは怖い人の奥さんで。結局は何もなくてよかったんですよ。もし、あのまま何かしてたらどうなってたかわからないですね。

―90年代の渋谷といえば、かなり治安が悪いイメージがあるけど。

ピロム そうですね。チーマーのピークは過ぎてましたけど、もっと怖い人たちがたくさんいた頃で。俺も正直言うと、ギャルとのおいしい思い出より、男に狙われた思い出のほうがよっぽど多いです。

―なんで狙われるの?

ピロム 読モとかいってチャラチャラ目立ってるのが気に入らないんですよ。毎日のようにケータイに『殺すぞ』とか『金持ってこい』って電話がかかってきてましたよ。

―相手は誰?

ピロム 知らないです。でも、『どこどこのナントカだけどよぉ!』ってかかってくるんですけど、そのチーム名は知ってるんです。そんなことが毎日続くと精神的に参りますよ。

―確かに。

ピロム 一番怖かったのは当時、渋谷で一番イカれてると噂の、こいつにだけは関わっちゃいけないといわれていた先輩に『どこどこへ何時に来い』って呼び出された時です。

―なんで呼び出されたの?

ピロム やっぱり俺が目立ってるから面白くないんですよ。で、仕方なく行くことにしたんですけど、その後、その人となぜかケータイがつながらない。後で聞いたら、別の先輩に拉致(らち)されたみたいで。その時は『俺、持ってるな』と思いましたね。それがなければどうなってたかわからないですね。

―ヤバい話ですね。

ピロム もっとヤバかったのは、出るはずだった先輩のイベントにどうしても出られなくなってしまった時ですね。その先輩も“渋谷のキング”と呼ばれていた人で、その人が渋谷に来るって噂が立っただけで、その日は怖い人たちが渋谷からいなくなるってぐらいの人だったんですよ。

―マンガみたい。

ピロム その人が激怒して、『こいつ、やっちゃおうぜ』って怖い人たちをケータイで呼び出したんです。それで俺はその人たちに連れ出されるんですけど、その中に知ってる人がいたんです。

で、『やったことにしてやるから今日は帰れ』って解放してくれたんですね。そこに知り合いがいなかったら、たぶん殺されてたと思いますね。そういう人たちなので。

―そんな中でよく無事でしたね。

ピロム だから、一時期は渋谷には行かないようにして、明治神宮辺りで平和に遊んでましたね。で、その間に渋谷に顔が利く人たちとの人脈をつくるんです。その人たちと一緒にいれば危険な目に遭わずに済みますから。そうやって渋谷とは付かず離れずの関係でいた時期がありました。

―そこまでして渋谷にいたかった理由は?

ピロム 当時の渋谷には、渋谷にしかないものがたくさんあったんですよね。109もスクランブル交差点もそうだし、マックだってセンター街にあるだけで俺はカッコいいと思ってました。

そういうイケてる街だからいい女が集まったし、その女を目当てに男も集まってきた。で、そこで名を上げればモテるんです。そんなギラギラしたところが渋谷の魅力だったと思いますね。

■週刊プレイボーイ49号(11月24日発売)「俺たちが(そして彼女たちが)熱狂した90年代カルチャー大図鑑【渋谷&コギャル編】」より

ピロム(植田拓)

1978年、埼玉県生まれ。37歳。90年代を代表する読者モデル。1999年創刊の『Men’s egg』(大洋図書)では約10年間読者モデルを務めた。現在はファッションデザイナー、DJ。初の自伝本『渋谷(ピロム)と呼ばれた男 ギャル男の終焉』(鉄人社)発売中

(取材・文/井出尚志(リーゼント)、撮影/下城英悟)