「母親は乳がん」6歳の娘にどう伝えるべきか | ニコニコニュース

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■妻のがんと娘へのがん教育

5年前、妻が乳がんになったとき、小学1年生になったばかりの娘に、どう伝えればいいのか、すぐに夫婦で話し合いました。「母親ががんになったことを娘に伝えない」という選択肢は、私たち夫婦には初めからなかったのです。

抗がん剤治療が始まれば、妻の髪の毛は抜けてしまいます。また、顔色が悪くなったり、爪が割れたり、寝込むことが多くなったりするのは避けられません。幼くとも娘にも、母親の身体に大変なことが起こっているのを隠すことはできない、と思ったのです。

まだ小学校に上がったばかりとはいえ、娘が家族の一員であることに変わりはありません。そのため、できる範囲でかまわないので、娘にも母親をサポートしてあげてほしい、と強く思いました。娘のサポートで妻が励まされたり、癒されたりする度合いは、夫の私よりも、はるかに大きいはずだからです。

そして、妻にもしものことがあった場合、娘に母親の病気のことを伝えていなければ、「どうしてママの病気のこと、教えてくれなかったの?」と娘に一生の悔いが残ると思ったのです。

ただ、うまく伝えなければ、残酷なような気がしました。特に妻がこのことについて悩んでいました。そこでまず妻に「がんの治療で髪の毛が抜けてしまうこと」「きちんと治療しなければ死んでしまうこと」「元気になるには娘のサポートが必要なこと」を娘の反応を見ながら、伝えてもらうことにしたのです。

また、妻がネットで調べたところ、親が早く死んだとき、幼い子どもは自分がいい子でなかったから、親が病気になって死んでしまったのではないか、と思うそうです。それなのに、いつまでも親が早く死んだことを怒りとともに思い出し、そんな親が許せない気持ちをもつというのです。そのため妻は「ママが病気で死んでも許してね。でも、あなたのせいじゃないのよ」と何度も娘に言って聞かせていました。

その後、私も娘と母親の病気のことを話しました。母親が大変な病気になったことは理解しているようでしたが、まだ6歳の娘には、母親が死んでしまうことはないと思っているようで、動揺の欠片すら感じませんでした。幼いため仕方がないと思ったのですが、娘のショックは、決して小さくはなかったのです。

■原因不明の娘の咳とチック症

母親の病気のことを話しても、娘は普段どおり明るく元気で、学校生活も楽しんでいました。まずはホッとしたのですが、しばらくすると、娘がよく咳をするようになったのです。クリニックに連れていったのですが、風邪ではなく原因は不明で、喉が敏感なのではないか、という診断でした。そのため、しばらく様子を見ることになったのです。

部屋の掃除が行き届いていないのが原因かと思い、部屋をきれいに掃除したのですが、それでも娘の咳は止まりませんでした。瞬きもよくするようになっていたので、何かのアレルギーかもしれないと思って、耳鼻科にも連れていったのですが、異常はありませんでした。

いろいろと調べていくうちに、どうやらチック症の可能性が高いように思えました。担任の先生にも学校での娘の様子を聞いてみたのですが、積極性があり、勉強も頑張っており、友達とも楽しくやっているとのことだったため、そのうち治まるのではないかと思いました。

その後、娘のチック症は軽くはなりましたが治まることはなく、これまでに咳や瞬き以外の症状も出て、心配は続いています。ただ、気難しいところはなく、毎日楽しそうに過ごしています。私に似て勉強は嫌いですが、成績に問題はなく、「しっかりしていて、クラスのまとめ役的なところがある」と担任の先生から評価されており、習い事のダンスにも夢中になっています。

住んでいるマンションの玄関ドアの斜め前にエレベーターがあるため、ドアを開けて娘が学校に行くのを毎日見送っているのですが、いつも娘はエレベーターに乗ると、能天気に両手を振って登校するくらい元気です。仲のいい友達ばかりと遊んだり、小学校5年生にしては親に甘えたりするところがありますが、素直に育ってくれているように思います。

平日、私が学校の行事に参加し、父親で来ているのが私だけのときは、娘に「ママばかり参加しているところに、パパが来たらイヤだよね」と聞いても、「私はパパが参加してくれるのがうれしいから、そんなことはない」と笑顔でいってくれます。

しかし、私と娘の2人で外食をすることになると、「家族全員じゃないと、楽しくない」といったように、何をするにしても、娘は家族全員が揃ってすることに、かなり強いこだわりをもっています。時には家族の大切さを娘に気づかされることがあるくらいです。これも母親の病気を意識してのことかもしれません。

このような娘の言葉は、気を遣っていってくれているとしても、こんなにうれしいことはありません。家族のために頑張ろう、と自然と力が湧いてきます。親バカではありますが、娘のやさしさが身に沁みるのです。

■「がんの話題」はタブーではない理由

ただ、定期的に母親の病気のことについて、娘と話す機会を設けようとするのですが、いつも「わかっている」と私を制して、いろいろと話しをされるのを嫌がるため、見た目よりもショックを受けているのかもしれません。妻も自分の病気のことで弱音を吐くことは皆無に近く、かなり我慢強いといえるので、妻に似たのかもしれません。

これはいいのかどうかわかりませんが、わが家では「がんの話題」はタブーではありません。妻が娘と一緒にがんをテーマにしたテレビ番組やドラマを見るのはめずらしいことではなく、乳がんブログ村のオフ会に娘を連れていくこともあります。今年の8月には、この集まりのメンバーが亡くなったため、妻が葬式にも娘を連れていったくらいです。

娘は母親の病気のことを冷静に受け止めているのか、がんに関することに接しても、動揺することはありません。母親にアドバイスすることもあるくらいです。だから、私たち夫婦のやり方が「正しい」「安心」というわけではありませんが、母親の病気ときちんと対峙させるのがわが家流とはいえます。

ただ、母親の具合が悪いのに、手伝いをしないときは、私がきつく叱ることがあります。「ママが死んでしまったらどうする」というと、娘は悲しそうに顔を歪ませますが、それで落ち込むわけではなく、反省して手伝いをしてくれます。

私のような言い方をするのは、ひどいに違いありません。妻からも「私の命を盾に叱らないほうがいい」と注意されます。ただ、娘が母親の病気を冷静に捉えているというよりは、どこか「ママは死なない」という絶対的な安心感のようなものがあるように思えることがあるのです。

そのため、母親にもしものことがあったら、娘のショックは普通の子どもよりも大きいのではないか、と心配になることがあります。現実をきちんと把握しているのだろうか、と思えて仕方がなくなるのです。これでは娘にも悔いが残るのではないかと思い、ついきつく叱ってしまうことがあるのです。

私も娘も、妻が長生きしてくれるのを強く願っています。妻ががんになったからこそ痛感したことですが、妻は私と娘にとって、なくてはならない存在なのです。妻がいなければ、家族がまとまらないとさえ思っています。ですから妻には、「家族に迷惑をかけているなんて思わず、しぶとく生き続けてくれ」といっています。家族3人が一緒にいる1日1日が貴重で、とにかく悔いを残したくない、と思っているのです。