第1期叡王戦 決勝三番勝負 第2局 郷田真隆九段 対 山崎隆之八段(先崎学) | ニコニコニュース

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 雲ひとつない冬晴れの京都にて、第1期叡王戦三番勝負の第二局がはじまった。豪華な装飾の博物館の大部屋にて、ふたりの棋士の顔に固さはない。凛とした緊張があるのみで、百戦錬磨の両棋士なら当然ともいえるが、やはり日本一を争う棋士ならではの矜持がたしかにあった。

【第1図】http://p.news.nimg.jp/photo/071/1733071l.jpg

 静かに横歩取りの序盤がすすんでゆく。まあしばらくはのんびりできるなあ、と思っていると、山崎が△2四飛(第1図)とぶつけて控室のプロは皆色めきたった。山崎と同門の糸谷哲郎八段がいろいろと解説してくれる。「この△2四飛は山崎さんの好きな手なんですよ」。研究済みというわけだ。すぐに▲3三角成△同銀▲2四飛△同銀▲2二歩以下の変化が並べられ、なるほど難しい。ここで昼食休憩となり、再開後すぐに郷田は▲2五歩と打った。研究と気合をはずしたわけである。もちろんこれで悪いわけではないから、ここでの気合い負けはどうということではない。郷田も四十代のベテラン、もはやつまらぬ気合負けを嫌がる年ではない。

 ▲3六歩は「やってこい」、△8六歩は「そんじゃやります」。両者の会話が盤上に表れる。△8二飛は「読んでないでしょ」。意表の一手である。▲8七歩に△8五飛とまた浮こうという手でヒネった手だ。郷田は長考して▲3七桂。これは「恐くなんかないもん、その手悪い手だよ」という手である。

 △1五角は「なめんなよ」だが、▲5六飛△8六歩に▲8四歩△同飛▲6六角(第2図)で山崎は困ってしまった。△8二飛には▲4五桂△4二角▲7五角(参考1図)で困ってしまう。不思議なことだが、この単純過ぎる筋は控室のプロの盲点となっていた。

【第2図】http://p.news.nimg.jp/photo/072/1733072l.jpg

【参考1図】http://p.news.nimg.jp/photo/080/1733080l.jpg

 △5四飛は「すみません、これしかないです」という手で▲3六飛は「そういうなら、ま、許したろ」という手である。飛交換をしていくのは先手も危い。

【第3図】http://p.news.nimg.jp/photo/073/1733073l.jpg

 しばらくして第3図▲6五桂と跳ねたところである。この手は文字通りのノータイムだった。飛車を横に逃げればおだやかだったが、遂に進軍する決断を下したのだった。次に▲4五桂と跳ねれば終りである。よって後手は△5四角と打って▲5六角に△4四歩と突いた。

 この△4四歩は恐い手である。他に△3三銀という自然な手があるからだ。しかし、右の桂を封じれば、6五の桂が先手にとって重荷になる。ただし玉のナナメが空いて心理的に恐いわけで、読みの裏付けがあるとはいえ後手にとって気持ちよい瞬間ではない。

【第4図】http://p.news.nimg.jp/photo/074/1733074l.jpg

 本譜はすらすら進んで▲5五金(第4図)まで。後手にとってはこの程度なら仕方ないというところである。金を打って、飛角桂だけが動く将棋がおおきく動いて終盤へと入ってゆく。私は心の底からおもしろい終盤になってくれと念じた。こうした横歩取りの「飛角桂将棋」は終盤が短いことが多いのだ。将棋はやはり難しい終盤が醍醐味である。

 山崎は△5二銀としたが、ここは△4三金のほうが良かった。というよりそうするよりなかった。

【参考2図】http://p.news.nimg.jp/photo/081/1733081l.jpg

 この瞬間、奇手ともいうべき妙手があった。すなわち▲5四金△同歩▲5三桂成(参考2図)である。△同玉なら▲7一角、△同銀なら▲4一角だ。私はこの手を見つけた時、経験したことがないたぐいの感動を覚えた。これは十年に一回みられるかという好手だ。6五のド急所の桂を、歩も取らずに成り捨てるなんて手が普通あるわけがない。それがあるから十年に一回なのだ。

 郷田は考えている。気がついていないのが一目で分る。こんなうまい手に気がついたら、私は一目で分る。なにせ小学校時代から三十年以上付合っているのだ。苦悶して▲7五歩と突く。山崎はさっと△9四歩と9五に角を打つ筋を受ける。こちらも気がついていない。

 私は人間の盲点とは凄いものだと思った。こうした手は、知恵の輪みたいなもので、知ってしまえば「なあんだ」なんだが、見つからない時はいくら考えても分らないものだ。アルキメデスが「ユーレカ!(発見した)」と叫んだ故事を想い出す。

 局後に聞いてみた。郷田は「まったく気がつかなかった」と引っ繰り返りそうになった。そしていった「将棋にはうまい手があるんだなあ」は、控室のプロ達の台詞と同じだった。

 本譜は▲7二歩△同玉まで決めてから▲5三桂成(この手はすぐ見える。玉が6二にいるからこそ盲点になるのだ)だが、これでは先手が歩切れとなり苦しい。しかし山崎も間違えた。△6二金から△7五桂ではなく、△5一桂▲3二角成△3一金とゆっくり指すべきだった。

【第5図】http://p.news.nimg.jp/photo/075/1733075l.jpg

 ▲8五金打(第5図)からいよいよクライマックスである。マラソンなら、ラストの三キロ勝負だ。両者一分将棋で、しかし過去の読み筋にない形での勝負で、私がいう「スプリント勝負」という奴だ。一瞬の瞬発力を発揮したほうが勝ち。高い技術を持つトップ棋士にあっても運がある世界である。

 △7三桂は決めに出た手。もう恐いなんていってはいられない。金を出させて△7八馬から8六飛と捌く。先手陣は左からの飛車の攻めに弱い。

 その代わりに▲8四桂の王手があった。対して△8二玉を山崎は悔やんだが、△7一玉と引くのも嫌なところだろう。一分では、正しく指せるのは不可能である。それだけ難しいのだ。

【第6図】http://p.news.nimg.jp/photo/076/1733076l.jpg

 △8七飛成として第6図。ここで第二の妙手があった。信じられない手で、当然両者見えるわけもなかった。すなわち▲7三金△同金▲8三歩(参考3図)がそれである。△同玉には▲6五角の王手飛車、△同金には▲7一角で詰み、他は▲7三飛成と金を取るまでである。

【参考3図】http://p.news.nimg.jp/photo/082/1733082l.jpg

 第一の妙手▲5三桂成が説明しづらい心理的盲点だったとしたら、この▲7三金ははっきりとした理由のつく盲点である。だって第6図で7四の金は玉を押えつけて盤上でもっとも急所の駒に見えるもん。

【第7図】http://p.news.nimg.jp/photo/077/1733077l.jpg

 ▲9五角△7八竜▲同角とすすみ、△7七飛(第7図)は山崎にとって敗着となりかねない手だった。△7九飛と打つべきで、それなら波乱は起こらなかっただろう。

 ▲5九銀がどんぴしゃりの受けで、また先手が勝ちになった。▲7一銀は基本筋で、プロなら眠っていても打てる。玉が下段に落ち、これまでと思われたが......。

【第8図】http://p.news.nimg.jp/photo/078/1733078l.jpg

 控室には第8図▲2一馬の局面が並べられていた。目の前には香川愛生女流三段がいた。香川は無言で、さっと△4二銀と引いた。咄嗟に私はいった。「お前、できるな」

【参考4図】http://p.news.nimg.jp/photo/083/1733083l.jpg

 そうこの△4二銀はもの凄くいい手なのだ。参考4図として出すので、第8図とくらべていただきたい。後手玉の形が変わり、また△5三玉のルートができたため、先手は混乱する可能性が高い。局面は負けだが、銀を引くのは高度な技術であり、この手以外では絶対に逆転しないのだ。この手も盲点の一種だが、これはプロならば乗り越えなければならない盲点で、先のふたつの妙手とは違う。この微妙な差が、棋士以外のファンに分りづらいのがもどかしくて仕方がない。ともあれ、△4二銀は修羅場の一手で、これで郷田は間違えた。▲3二馬では▲3四桂が正しいし、▲4一飛が敗着で、▲3四桂や▲2二飛など、他の手なら難しかった。

【投了図】http://p.news.nimg.jp/photo/079/1733079l.jpg

 投了図にて、7八の歩は三手前に投げ切れず打った歩だが、この歩がある前は、後手玉は打歩詰だった。▲5三桂△7一玉▲7二歩△8一玉▲8二歩(打歩詰の反則)である。ふと、熱戦には打歩詰がよく似合う、と思った。私も何度も泣いた。棋士なら誰でも、打歩詰に数知れず、泣き、きっと笑った。不思議なルール打歩詰、しかしこのルールは、棋士の運命におおきくかかわってきて、ここにまたその歴史の一ページが加わった。

 人間同士ならではの、ミスあり妙手あり、死力を尽くした熱戦だった。これほどまでに盲点というものが露骨に出た将棋もそうはあるまい。実に人間はいい加減だ。トップ棋士といえども将棋に弄ばれることがある。盲点に遊ばれ、打歩詰に遊ばれた。本当に将棋は意地悪で、だから一生を賭けて打込む価値がある。

 山崎君おめでとう。ぜひコンピュータ将棋に、棋士の強さ、人間の強さを見せてやってくれ。

(先崎学)

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・将棋叡王戦 - 公式サイト
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