「2016年はダラダラ生きない」……400人の偉人の没年を調べて「いつ死ぬか」を考えた | ニコニコニュース

歴史上の偉人のほか、作家やプロレスやプロ野球を含むスポーツ選手、内外の個性派俳優などの名前も(歴史上の人物は推定の享年)
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■400人の「享年」を一覧表にして気づいたこと

私は「(極私的)気になる男たちの享年」なるものを、エクセルで一覧表にしています。気になる男の対象は、まず歴史に登場する人物。織田信長とか、ナポレオンとか、ベートーベンとかです。

次に私自身がすごいと思ったり、生き方に共感したり、なんとなく気になる存在も入れています。作家、画家、音楽家、政治家、映画監督、俳優などで、有名無名問わず。これに肉親や恩師、友人などを加え現在、一覧表には400人ほどの名前が並んでいます。男に限定したのも自分と照らし合わせて見る、という意図があるからで、この辺も極私的なわけです。

作り始めたのは10年ほど前。49歳の頃でした。何か目的があって始めたわけではなく、暇を持て余していた時、なにげなく作り始めたという感じです。

ただ、どこかに次のような思いもありました。50歳の大台を目の前にし、自分自身の来し方を振り返るとともに現状を見て、

「50年近く生きてきて、お前は何か成したのか」
「これまでの人生に納得しているのか」

という自問があったわけです。

気になる男たちは与えられた一生という時間で何かを成した。まあ歴史に名を残す大人物や類まれな才能を発揮した人たちと比較すること自体、身の程知らずというか、おこがましいのですが、その享年を知り、自分に残された時間を考え刺激にしようという意識があったのです。

それで、暇があるとエクセルの表に思いついた気になる人物の享年を調べては名前を打ち込むという作業を始めたのですが、当初の自分自身への問いかけはどこへやら。表にある人物の享年を見比べること自体が面白いというか、趣味のようなものになっていきました。

いろいろな発見があるからです。やはり気になるのは同じ年代。一覧表を作り始めたのは49歳ですから、その年齢の前後で死んだ人たちです。

■自分と「同い年」で没した信長・漱石

織田信長が「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり……」という謡曲を好んで謡い、その言葉とおり50歳になる直前、本能寺で死んだことは知っていましたが、それ以外にも聖徳太子や上杉謙信は48歳、夏目漱石は49歳、松尾芭蕉は50歳で亡くなっています。

49歳になり、若干の衰えは感じつつも、とりあえずピンピンしている自分と比較し、「意外に若死にしているんだな」と思うわけです。

とくに驚いたのは夏目漱石でした。

漱石の作品を読むようになったのは小学生時代で『吾輩は猫である』や『坊ちゃん』を読んだ記憶があります。読むと同時に、一時期1000円札に採用された、あの肖像写真も見ているわけです。小学生の目からは、あの口髭をたくわえた堂々たる姿は"おじいさん"に見えました。

その後、成人した後にも漱石の作品は読みましたが、そのイメージを引きずったまま来たわけです。ところが一覧表に入れるために調べてみると享年は49。

「エッ、今のオレと同じ年で亡くなったの?」

と驚き、自分の風貌を鏡に映し、あの肖像写真にある貫禄がまったくないことに愕然としたわけです(自分が50歳前後になって、あの写真をじっくり見ると、意外に若い感じもするようになりましたが)。

同様の驚きは吉田松陰の享年を知った時もありました。歴史をしっかり学んでいれば、こんな錯覚を起こすはずはないのですが、高杉晋作、伊藤博文など明治維新の原動力となった偉人を多数輩出した松下村塾の指導者というイメージ、それにやけに老けた感じに描かれている肖像画の印象がプラスされ、幕府によって死刑に処されたのは中年以降と勝手に思い込んでいました。

ところが享年は29。

「そんなに若かったの!?」という驚きを覚えるとともに、その29年間という限られた時間で、外圧にさらされている日本の行く末を憂い、それに対抗すべき人材を育てたこと、外国に学ぶためにロシア軍艦に乗せてもらおうとしたり、ペリーの艦船で密航を企てたりした行動力をすごい! と心底思うわけです。

■大事を成して、30歳前後で死んだ松陰・龍馬

松陰と同時代を生きた坂本龍馬も31歳という若さで暗殺により、この世を去っています。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』は愛読しましたし、実は龍馬ゆかりの土地を巡る旅行ガイドを作ったことがあるので、そこそこ詳しいのですが、後半生は移動の連続です。

土佐から江戸へ剣術修業に出たり、土佐藩を脱藩して長州に行ったり、薩長同盟を結んだり自身の海援隊の活動のために、京都、薩摩、長崎、山口などを激しく行き来しています。

当時の移動手段は徒歩か船。移動には大変な時間や労力がかかりました。しかし、龍馬は外圧に屈せず、新たな日本を作ろうという思いに突き動かされるように時間や労を惜しまず東奔西走したわけです。

最後は暗殺という無念の死を遂げますが、31年間という短い人生で時代の流れを変える働きをした。それを思うと改めて龍馬をはじめ、不便な時代に大事を成した人たちのすごさを思い知らされます。

こんな風に享年の一覧表を見ると、色々な男たちの人生に思いを巡らせることができました。そうした楽しみを見つけ出すと「自分の年齢や人生と照らし合わせる」なんてことは考えなくなりました。そもそも彼らと自分は、持って生まれた資質も違うし、生きた時代も違う。その人にしか送れない人生を生きたわけで、比較なんかできないわけです。

また、私の目からは偉業を成し遂げた、あるいは自分の人生を見事に生ききった人に見えても、本人は達成感や充実感を味わっていたわけではないかもしれません。

自分が生まれた時代や環境、運や巡り合わせのなかで、与えられた資質を生かしてできることをしていたら、何事かを成すという結果がついてきたのだと思います。

そう考えると「自分と比較して刺激にしよう」なんてことはどうでもよくなり、「何かを成さなければ」などという力みも消えました。ということで、それまで通りの平凡な日々を重ねてきたわけです。

■父の介護経験で「死生観」ががらりと変わった

ただ、最近になって享年の一覧表を見るときの心境に変化が生じました。

父親の介護を経験した後からです。父は昨年89歳で亡くなりました。ガンを患い、何度かした手術が成功、寝たきりになる直前まで元気で、余生を十分楽しんでいました。これは医学の進歩のおかげです。

しかし、寝たきりになってから死までの期間の、まるで朽ちていくような急激な衰え方や、精神的に追い詰められていく姿は見ていられないくらい辛いものがありました。

介護が終わり、知り合ったその道の専門家に話を聞くようになりましたが、そのような現場を見続けているからでしょう。話が、医学の発達によって人が長く生かされ過ぎていることに対する疑問に及ぶことがよくあります。

また、長く介護をしている方々からは、その物心両面の辛さに、「正直、早く死んでくれないかと思うことがある」という話を聞いたことが何度かあります。

社会的には要介護人口が急増し、社会保障費がひっ迫しているという問題もある。人が長く生きられる時代になるにともない、多くの悲劇や不安が生じるというおかしな事態になっているわけです。

もちろん人が「死にたくない」と思うのは当然です。

死そのものが怖いですし、自分がこの世から消えてなくなるというのも辛い。だから日々健康に気をかけ、不調があれば病院に駆け込みます。医療だって、そのニーズに応えるため、精一杯のことをしてくれる。これも当然です。でも、それが行き過ぎてしまい、不自然なところまできているのではないか、とも思うのです。

■「太く短く」生きた人に学ぶこと

私が作った享年の一覧表を見ると、結構若くして亡くなっている人が多い。

60代から70代半ばくらいまでにほとんどの人が亡くなっています。なかには親鸞=89歳、葛飾北斎=88歳のように満足な医療がない時代に長生きをしている人もいますが、たぶん超人的生命力を持っていたのでしょう。

多くの人が現在の平均寿命には遠く及ばない年齢で一生を終えている。限られた時間を全力で生きた、という感じです。そういう心境で表にある男たちの名前を見ると、「オレらはこのトシで死んでいるんだぜ」と言われているような気がして、いつ死んでもいいとまでは思いませんが、いたずらに生に執着したくないと思うようになりました。

松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅に出たのは45歳ですが、このとき、死を意識していたといいます。あれだけの長旅を徒歩でするのですから健康だったはずですが、昔の人は50歳を前にしたあたりで人生の締めくくりを考えたのでしょう。

命をコントロールすることはできません。

生きていたいと思っても、突然死を迎えることもありますし、長生きするつもりはなくても、ダラダラと生きながらえることもあります。でも、ある程度は自分の死にどき、人生の締めくくり方を考えておくのもいいのではないでしょうか。