【インタビュー】大河ドラマ『真田丸』三谷幸喜、「笑わせるつもりはない」ユーモラスなのは人間として描いた結果 | ニコニコニュース

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●「ひょっとしたら信繁、勝つんじゃないか?」と思って欲しい
1月10日からスタートするNHK大河ドラマ『真田丸』は、堺雅人演じる真田幸村(信繁)を主人公に、さまざまな人物たちが戦国時代を舞台に繰り広げる人間ドラマを描く群像劇。はたしてどのような物語となるのか期待が高まる中、2004年の『新選組!』以来、大河ドラマ2作目となる脚本の三谷幸喜に話を聞いた。

――今回、真田幸村を主人公にした理由は?

前回の『新選組!』同様、僕は敗者が好きなんです。時代を作り上げた人よりも、時代から虐げられ、取り残された人たちの人生に興味がある。また、1年間かけて歴史上の人物を描くにあたって、死という人生のクライマックスが最終回にくる、そういう人物を描きたかった。その意味でも信繁はドラマチックな最終回を迎えられる人物であると。ただ、確かに敗者は好きだけど、滅びの美学みたいなものは好きじゃなくて、最後の最後まで希望に満ちた信繁でありたいし、ドラマでありたいと。最後の戦いも「ひょっとしたら信繁、勝つんじゃないか?」と思ってくれるようなドラマにしたいですね。

――知名度は高い一方で、実は謎の多い人物である信繁をどう描いていこうと思っていますか。

信繁を演じる堺(雅人)さんとも話したのですが、基本的にまず彼は傍観者であって、最初はお父さん、上杉謙信、そして秀吉と、いろいろと渡り歩きながら歴史の出来事を観察し、吸収していく人物であると。その中で心がけているのは、信繁が見ていない、経験していないことはどんなに大きな歴史上の出来事であってもなるべく描かないようにしよう、ということです。その代わり、彼が見たり経験したことは詳細に描こうと思っています。

――信繁役の堺雅人さん、信幸役の大泉洋さんについてお聞かせ下さい。

信繁が持つ知将のイメージと、傍観者としての存在感において、堺さんはふさわしいです。僕よりもはるかに真田家の知識があるし、役に対する入り込み方が並の役者さんとは違いますし。信幸はあくまで信繁と対等な存在でないといけないと思い、思い切って大泉洋の名前を挙げました。彼はすごく個性的で明るくて、信幸とは一見、正反対に見えるけど、お芝居が上手でクレバーで、どんな役でもキチンとこなせて心で演じることが出来る。受けの芝居も上手いのでイケるのではないかと。本人には「くれぐれもふざけすぎないように」と毎日電話で言っているので、心配はいらないでしょう(笑)。

――きり役の長澤まさみさんはいかがでしょう。

信繁の幼なじみで生涯の伴侶であるきりは、視聴者のみなさんにとって一番身近であり重要な人物だと思います。感情移入する人も多いと思うので、なるべく親しみやすいキャラクターにしたいです。長澤さんは去年舞台を一緒にやらせていただいて、気持ちでお芝居をされる人だなと感じましたので、この方だったら一年間、視聴者と共に信繁について行けると思います。

――徳川家康役は内野聖陽さんです。

僕らが知っている家康のイメージって、どうしても晩年のタヌキ親父的なものを思い浮かべてしまいがちなのですが、彼だってきっと悩んでいたし、不安だったと思うんです。悩みをいっぱい抱えながらも徐々に偉大になっていく家康を描いてみたいと思う中で、内野さんの名前が挙がりました。実際にお会いして話すと戦国の香りの漂う方で、家康にぴったりだなと。真田家は堺さんをはじめ、わりとサラッと演じる俳優さんが揃っているのに対して、徳川家は内野さんを中心に藤岡弘、さんや近藤正臣さんなど重厚な芝居をするクドい人たちばかりなので(笑)、この『真田丸』という作品の中では最も大河らしい空気を醸し出してくれると期待しています。

●物語の前半が難しかった
――そのほかのキャストで三谷さんが注目している人は誰ですか。

僕の中では緒形拳さん、勝新太郎さんが大河ドラマで演じた秀吉が双璧なので、今回、豊臣秀吉を演じる小日向文世さんには、お二人を越える秀吉を演じて下さいとお願いしました。今まで描かれてきたものとは違う「人間・秀吉」を描きたいという思いがあり、彼がなぜ朝鮮征伐をしたのか、人間味にあふれ「人たらし」と言われていた明るい彼がなぜ暗黒の世界へと入っていったのかを上から目線ではなく、信繁を通じて等身大に描いてみたいです。小日向さんが演じると相当いいものになると期待しています。あと、まだ見てないですが藤岡弘、さんの本多忠勝はスゴい、という話をよく聞きますね(笑)。

――今回、脚本を書くにあたってのこだわりは?

僕が書く以上、もしかしたら通常の大河ドラマよりユーモラスなシーンは多いかもしれませんが、コメディーにしようとか、笑わせようというつもりは全然ありません。僕にとってのユーモアとは「人」を描くことにほかならないんです。年表はあくまで歴史を俯瞰で見たものであって、そこには「笑い」も「人物」もいません。そこから目線をどんどん下げていくと、それぞれの登場人物たちの顔や言葉、息づかいが見えてくる。僕にとってのユーモアは、彼らをひとりの人間として描いた結果にすぎないんです。

――ここまで書かれてみての感想をお聞かせ下さい。

物語の前半は天正壬午(てんしょうじんご)の乱という、本能寺の変(1582年)の後、関東で起こった話なんですが、ものすごく難しかったです。どうしても僕らは信長・秀吉・家康を中心に歴史を見てしまうので、その時、地方で何があったのかについてほとんど知らない。今回も勉強しなければいけないことがたくさんありました。でも、それは逆に楽しくもあって、「こんなことがあったのか」と視聴者のみなさんに早くお伝えしたいんです。ホントにすごいんですよ(笑)。北条・上杉・徳川の争いの中で「昨日の敵は今日の友」みたいな世界が本当にあって、最終的に誰が覇者になるのか、という。資料を読みながら「これは『三国志』だな」って思いました。これだけの迫力、権謀術数が渦巻く歴史ドラマは今まで誰もキチンと描いてないと思います。歴史を知らない人ほど楽しめるのではないでしょうか。

――兄・信幸と弟・信繁という、兄弟の関係性に込めたい思いは?

二人はすごく裏表というか、兄は弟を尊敬し、弟は兄を尊敬しつつ、同じ分だけコンプレックスを持っている、そういう描き方をしています。僕の中ではもちろん真田信繁の物語ではありますが、それと同じくらいの比重で真田信幸の物語でもあるわけで、この長い歴史を二人がどう乗り越えていったのか、常に信繁の心には信幸がいて、信幸の心には信繁がいる、そういうイメージで脚本を書いています。

――ちなみに、三谷さんは一人っ子ですが、兄か弟が欲しいと思ったことはありますか。

僕ですか? 子どもの頃は『三匹の子豚』といった童話を読むと、末っ子が一番立派なことが多いので、ダメな兄が欲しいなとは思ってましたね(笑)。

――その思いは今も変わりませんか?

今さら「兄が欲しい」とは思いませんけどね(笑)。ただ、信幸は決してダメな兄ではなく、悩む率は弟より多いかもしれないけど、彼なりに懸命に生きている姿を描きたいと思っています。

(中村裕一)