なぜ医療事故はなくならないのか | ニコニコニュース

順天堂大学病院副院長・心臓血管外科教授 天野 篤
プレジデントオンライン

■医療事故調査制度を評価する理由

誰しも、医療事故にはあいたくありません。でも、残念なことに、本来なら避けられたはずの医療ミスは起こっています。

2015年10月から医療事故調査制度がスタートしました。すべての病院、診療所は、患者が死亡するような医療事故が起こったとき、第三者機関の「医療事故調査・支援センター」へ報告しなければならなくなったわけです。届け出対象となる医療事故は、「医療に起因すると疑われる予期しない死亡・死産」と定義されています。この制度の目的は、医療事故の原因や背景を第三者機関が調査してそれを取りまとめた情報を公開し、事故の再発防止を図ることです。

医療界では、この制度のスタートによって医療訴訟が増えるのではないかと危惧する声があります。一方で、遺族が調査を依頼できるのは、医療機関自身が医療事故調査・支援センターに届け出た事例に限られるため、医療被害者の支援者からは、「遺族や医療事故被害者のための制度ではない」との批判も出ています。しかし、私自身は、この制度は、患者さんにとってメリットの大きい制度だと考えています。

なぜなら、この制度は、医師側が積極的に患者との信頼関係を築くことが前提になっているからです。例えば、心臓外科手術を受ける患者や家族への説明の際に、「高齢のため何が起こるか分かりません」「一定の確率で死亡するリスクがあります」といったあいまいな表現でのインフォームド・コンセント(説明と同意:IC)は許されないことになっています。そういうあいまいな説明をしただけで手術を行い、もしも患者が死亡したら、それは「予期しない死」であり、医療事故として届け出ないといけないということです。

当たり前ですが、患者の病状や手術の内容に応じてどういうリスクがあるのか分かりやすい言葉で患者・家族が納得できる形で説明し、インフォームド・コンセントを取らなければなりません。患者・家族の側が理解し納得していないのであれば、説明をしていないのと同じです。また、手術の直前まで「手術しない」という選択を保証することも付け加えていなければ100%の説明と同意にはならず、こういった形でインフォームド・コンセントが成熟すれば、より患者さんの権利を守る方向に進むと考えます。今後は、大都市の先進的な医療を行っている大学病院も地方の開業医も、同じレベルで医療安全に取り組む必要があります。「勉強不足でした」といった言い訳は許されないと警告するような制度がスタートしたのですから、医療の安全性は高まるはずです。

■無理な手術か、手術方法が間違っている

ただ、医療事故ではないかと思われるような死亡例を立て続けに出すような医師は許されるべきではありません。この新制度とは無関係ですが、一定の期間内に同じ手術によって4例以上、複数の患者さんを死亡させた場合には、執刀医である外科医が刑事告訴されても仕方がありません。裁判で量刑を決める際に、殺害被害者の人数、犯罪の性質、動機や計画性など、死刑にすべきかどうかを判断する「永山基準」がありますが、それと同じように、本人に故意がなかったとしても、医師が業務上過失致死で刑事罰を科される基準を作る必要があると思いますし、そのように自ら医療安全上の負荷をかけることによって、評価に値する職業集団となることでしょう。

今年の夏、神戸市の民間病院「神戸国際フロンティアメディカルセンター(KIFMEC)で、2014年11月から15年6月までに生体肝移植を受けた患者9人のうち5人が術後1カ月以内に死亡したことが発覚しました。短期間に8人中4人の死亡例が出た時点で、日本肝移植研究会が調査を行い、「手術前の計画や術後の管理に問題がなければ、4人中3人は救命できた可能性が高い」との報告書を出しています。しかし、KIFMECは、一時的に休止していた生体肝移植を再開して9人目の患者を執刀し、5人目の死亡例を出す結果となりました。

生体肝移植は、確かに、患者の側にも肝臓の一部を提供する家族の側にもリスクの大きい医療です。ただし、いくら生体肝移植の権威でも、立て続けに死亡例が出るという事態は異常であり、重く受け止めなければなりません。生体肝移植は、死亡してもいいからイチかバチかで行う手術ではないはずです。

同じ外科医として結果を見る限り、外科手術で死亡例が立て続けに起こる理由は、手術の対象にならないくらい患者さんの状態が悪いのに無理に手術をしてしまっているか、手術の方法が間違っているかのどちらかであることが多いのです。いくら患者や家族に懇願されても、勝算もないのに手術をしているとすれば、反社会的行為といわれても仕方がないのではないでしょうか。

■患者さんの死を無駄にしてはいけない

医療界の中には、「医療にリスクはつきもので、外科医を業務上過失致死で刑事告訴するようなことが立て続けに起こると医師が委縮して、手術が必要な患者が治療を受けられなくなる」との主張もあります。しかし、医師だから何をやってもいいわけではないはずです。もちろん、日常診療の中では、患者を救うために、これまで誰も手術をしたことのないような難しい手術に挑まなければならないようなこともあります。私自身、他の病院では「手術ができない」といわれた患者の手術をしたことは少なくありません。でも、手術を引き受けた以上、難しい症例でも手術を受けたことによってその患者さんたちを社会復帰させてきましたし、外科医として、何度も同じ失敗を繰り返すことはありえないと思うのです。社会と医療界が許容できる範囲で、医師の業務上過失致死の基準を決めるべきではないでしょうか。

私が毎日実施している心臓手術も、普段はあまり意識していませんが、常に死と隣り合わせです。心臓の手術は十人十色で一つとして同じ手術はありません。どんなに事前の診断と準備を入念に行っていても、予測を超えた事態が起こることはあります。どんな領域にせよ、外科医にとって患者さんの死は敗北です。万が一、どうしても患者さんを助けられなかったときには、その原因をとことん追及し、二度と同じことが起こらないようにします。急いで手術をせずに、患者さんのリスクを減らしてから手術に挑むこともあります。

例えば、高齢化の影響でかなり患者数が増えている大動脈弁狭窄症という病気では、手術をすると死亡する確率が高いハイリスクの患者さんが分かるようになってきています。大動脈弁狭窄症は、つい最近、俳優の杉良太郎さんが人工弁置換術を受けたことでも話題になりました。この病気では、大多数の患者さんは安全に手術を受けられるのですが、以前は、患者さんのリスクに関係なく手術をしていたために、手術後の死亡率は約7%でした。その7%の患者さんを分析したところ、明らかにハイリスクの患者さんに手術が行われていたことが分かりました。現在は、患者さんの状態を判断するリスクスコアで、「ハイリスク」と診断された場合には、薬物治療を実施して患者さんのリスクを減らしてから手術をするか、最近導入されたカテーテルによる人工弁植え込み術(TAVI)を推奨するようにしています。

TAVIは全身状態が不良の大動脈弁狭窄症患者さんに心臓を停止させずに人工弁を植え込むことができる画期的な治療法ですが、治療にともなう経費が高額なためにどの患者さんにも当てはめるわけにはいかない特殊な治療法です。今後の発展とともに治療費用の低額化が待たれるところです。このように従来の術式を改良して、先進的な治療の選択も考慮するようになったことの積み重ねで、手術死亡率も2%程度に改善しました。以前なら亡くなっていたような患者さんを救い、元通り元気な生活に戻ってもらえるようになってきています。間違っても、患者さんの死を無駄にするかのように、死亡が続いた同じ手術を繰り返し行ってはならないのです。

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天野 篤(あまの・あつし)
順天堂大学病院副院長・心臓血管外科教授
1955年埼玉県生まれ。83年日本大学医学部卒業。新東京病院心臓血管外科部長、昭和大学横浜市北部病院循環器センター長・教授などを経て、2002年より現職。冠動脈オフポンプ・バイパス手術の第一人者であり、12年2月、天皇陛下の心臓手術を執刀。著書に『最新よくわかる心臓病』(誠文堂新光社)、『一途一心、命をつなぐ』(飛鳥新社)、『熱く生きる 赤本 覚悟を持て編』『熱く生きる 青本 道を究めろ編』(セブン&アイ出版)など。

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