吹き出る血と汗…日本に降臨した聖母マリアの奇跡と予言! そして人類の恐るべき終末とは? | ニコニコニュース

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TOCANA

■聖母マリア出現

 キリスト教の救世主イエス・キリストの母である聖母マリア。

 愛と慈悲の象徴とされる聖母マリアは、全世界の人々の前に現れ、奇跡を起こすことがあるという。そして、そんな聖母マリア出現の中でも、最も有名なのが「ファティマの予言」だ。

「ファティマの予言」とは、1917年、ポルトガルの一寒村、ファティマにおいて、羊飼いの3人の子どもたちの前に聖母マリアが出現し、人類の行く末を示す重大な3つの予言を託したという出来事である。

 1942年、3つの予言のうち、2つはバチカンから公表された。しかし、3つめの予言に関しては、「1960年まで公表を待つように」と約束されていたため見送られていた。しかしそれにもかかわらず、結局60年には公開されず、世に出されたのは2000年だった。このこともあり、この公表された予言は捏造だという噂も根強い。

 そして、この謎多きファティマに出現した聖母マリアが日本にも降臨していたというのは、ご存知だろうか?

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■日本での奇跡の始まり「秋田の聖母マリア」

「秋田の聖母マリア」とは、秋田県にある在俗修道会「聖体奉仕会」において、聖母マリア像が涙を流すなど、さまざまな奇跡が起こった現象のことを指す。

 これは、同会に所属するシスター笹川の手に出血を伴う十字型の傷が現れたことから始まる。

 シスター笹川は、19歳の時、盲腸の手術の失敗により半身不随となる。その後、16年間も闘病を続け、のべ20回以上も手術を受けることを余儀なくされた。病院を転々とする生活をおくる中で、熱心なカトリック信者の看護婦と出会い入信。しかし、病状は改善することはなく、一時は意識不明の危篤状態に陥った。その時、ルルドの泉の水を一口飲んだところたちまち意識が回復、麻痺していた手足まで動くようになったそうだ。その後、シスターとなり生活を送るが、苦難は続き、進行性の難聴にかかり、聴力をすっかり失ってしまう。


■シスターの身の回りに起こったこと

 そんな彼女に、1973年6月12日、奇跡の兆候が現れる。シスター笹川は、聖体礼拝のために聖櫃を開けようとしたところす、まぶしい光に打たれ、思わずひれ伏してしまったという。

 この様子はファティマで、羊飼いの3人の子どもたちの前に稲光と共に現れた聖母の出現に似ている。その後、シスター笹川の手のひらに十字架の聖痕が現れた。その傷からは血が吹き出し、えぐられるような痛みも感じたそうだ。

 それからしばらく経ち、手の激痛で眠れなかったとある夜、シスター笹川の前に、聖母マリアのような美しい女性が現れた。(守護天使のような女性と記されている場合もあるが、ここでは聖母マリアとする)。そして、シスター笹川は女性より「耳はきっとよくなります。人々の償いのために祈ってください」と告げられる。

 その翌日、聖堂内にある聖母像の右手に十字架型の聖痕が現れ、そこから出血。さらに、8月になると、聖母像が全身から汗をかき始めたという。


■マリア像が続々と奇跡を起こす

 1975年1月に入ると聖母像から涙が出始めた。この涙を多くの人々が目撃しており、合計101回もの涙が流れた。実際に聖母像からの落涙の様子はテレビ東京でも放送され、大きな反響を呼んだ。そして、驚くべきことに、美しい女性が告げたように、シスター笹川の耳は奇跡的に治癒し、聴力を取り戻したのだった。

 出どころを伏せて、聖母像から吹き出た血や汗そして涙を大学医学部法医学教室へ鑑定に出したこともある。結果は、B型の人間の血液で、涙と汗も人間の体液であるということだった。


■聖母から託された恐るべきメッセージ

 シスター笹川は、聖母マリアと思われる美しい女性から、何度かメッセージを託されている。そして、その中に恐るべき人類の終末予言がある。

「もし、人類が悔い改めないならば、御父は全人類の上に大いなる罰を下す。これまでにない大きな罰が下され、天から下る火とその災いにより人類の多くが死ぬ。善人悪人、司祭や信者も関係なく死ぬ。生き残ったとしても、死んだ人々をうらやむような苦難が待っている……」

 …まさに救いようにない人類の終末宣告だった。


■奇妙なファティマの聖母とのリンク

 冒頭のファティマの聖母から託された3つの予言は、人類に警告を与えるものだった。

 第1の予言は、第一次世界大戦の終結と、その後人類が悔い改めなければさらにひどい戦争の開始。第2の予言は、第二次世界大戦の勃発と広島長崎の原爆投下。

 だが、時の教皇が読んで失神してしまうほどの衝撃を受けたといわれる第3の予言に関しては、長い間、封印されていた。

 ファティマ第3の予言を保管していたバチカンより、2000年に入ってやっと公表されたものの、その内容は約20年前に起こったローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の暗殺未遂事件ということで片付けられた。だが、これまでの予言の規模から考えても公表された第3の予言に納得する者はいなかった。


■マリアの催促!?

 第3の予言をいつまで経っても公表しないバチカンに対して聖母マリアがしびれを切らして今度は秋田にメッセージを託したのかもしれない。

 また、シスター笹川は聖母マリアと思われる美しい女性から、「ファティマの祈り」を教えられている。この祈りは、1917年ファティマにおいて、聖母マリアから3人の子どもたちが教わったものである。

 だが、シスター笹川が伝授された1970年代当時は、日本ではまだファティマの祈りが和訳されていなかった。シスター笹川は、ファティマの祈りを知るすべもなかったのである。それにもかかわらず、「秋田の聖母マリアの祈り」と「ファティマの聖母マリアの祈り」はまったく同じであったのである。

 これは、ファティマの聖母が秋田の聖母と同一人物であるという証明のひとつとなるのではないか。

 聖母マリアは人類に警告を発し続けている。だが、人類の多くは聖母マリアの奇跡に目を向けず、そのメッセージにも耳を傾けようとはしない。全人類に大いなる罰が下る日は近いだろう。

(文=白神じゅりこ)


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