メキシコで単身12年に渡り活躍する日本人プロレスラー・OKUMURA「日本に帰るとか辞めるという考えは捨てました」 | ニコニコニュース

メキシコで単身12年に渡り活躍する日本人プロレスラー・OKUMURA「日本に帰るとか辞めるという考えは捨てました」
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すっかり新日本プロレスの1・4東京ドームに続く新年の風物詩となったルチャの祭典「FANTASTICA MANIA」。

今年も1月17日の高知を皮切りに24日の後楽園ホールまで、17選手がメキシコから飛来し、全会場超満員札止めの大盛況に終わった。

新日本の主力選手も参戦しルチャスタイルで沸かせる中、実はそのメキシコ人レスラーに混ざり6年連続で“来日”しているのが「OKUMURA」こと奥村茂雄だ。

その日本でのキャリアは2004年3月に全日本プロレスを退団して以来、更新されていない…。なぜ日本を後にしメキシコを目指したのか。その主戦場CMLLでの存在とは…? ヴェールに包まれた男に突撃インタビュー!

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―今年の「FANTASTICA MANIA」も盛り上がりました! この大会で初めて奥村選手を知った人も多いと思いますが…。

奥村 メキシコには今年の5月で12年、自分のキャリアの半分以上を過ごしてますからね。僕も逆に今の日本のことはわかんないですよ…。ウィキペディアで調べてみてください(笑)。それに日本にいた当時はもう吹けば飛ぶような「ひと山いくら」の選手でしたから。それで2004年3月に全日本プロレスを退団した時、馳浩さんや師匠の栗栖正伸さんに相談して。

―31歳の時ですね。

奥村 僕はまず“イス大王”栗栖正伸さん、それから東京プロレスでグレート・カブキさんに教わったのがキャリアの始まりなんですが、その栗栖さんが「メキシコに行ってみろよ!」と新日本プロレスのネコさん(ブラックキャット)を紹介してくれて。ネコさんが「最低1年間耐えること」を条件にCMLLへの道筋をつけてくれたんです。

―メキシコ最大であり、世界最古の団体ですよね?

奥村 今年で83周年なんですけど、首都メキシコシティに「アレナメヒコ」「アレナコリセオ」とふたつ常設会場があり、毎週何回も試合をする大きな団体です。所属選手はメキシコシティだけで150人ぐらいいて、地方のプエブラやグアダラハラにも支部があるし練習生はプロもアマも何百人もいる。他にもメキシコには町中にたくさんジムがあってとにかく選手の数がすごいんですよ。昔は3千人ぐらいと言われてましたけど今はその倍ぐらいじゃないですかね。

その頂点である団体なので、詳しい人には「まぁムリだろうな」と言われましたが、そもそも誰にも期待されてないし。消えたらそれまでだと覚悟を決めて、海外転出届を出して飛行機に乗りました。乗っていた車も売って(笑)。

―そんな背水の陣で臨んだメキシコでは?

奥村 実は着いて2時間で帰りたくなりましたね…。これはとんでもないところに来たなと。右も左もわからず看板や標識も読めないし、タクシーに乗ったら違う場所に行かれたりメーターを深夜料金にされたり。文句を言おうにもスペイン語がわからない。練習に行けば掛け声の発音が変で笑われる(苦笑)。

何より愕(がく)然としたのは練習です。レベル別のクラスのうち、僕は1番トップのサタニコ先生の教室で、周りもウルティモ・ゲレーロ、レイ・ブカネロ、メフィスト、ヴィールス、ボラドール・ジュニアなどすごい選手ばかりで、しかも「誰コイツ?」って感じなんですよ。

―ルチャマニアなら凄さが伝わりすぎるメンツ!!

奥村 今思えばネコさんの紹介だし外国から来たプロだと期待されていたんでしょうね。1ヵ月後にはメキシコデビューしたんですけど、身の丈に合ってない起用だと思いました。このすごい人達の中では、もっと技術を上げて日本人キャラとかアピールを考えないと、これは終わるなと。

とにかく練習に出ないと試合で使ってもらえない団体なので、火・水・木の午前11時から13時頃まで練習があるんですけど、毎週水曜の夜はアカプルコで試合があり戻って来られるのは翌朝7時なんですが、11時からの練習には必ず行ってましたね。

―ハードスケジュールですね…! 年間の試合数はどれぐらいなんですか?

奥村 今では150試合以上ですね。まとまって休める時もありますけど、先月は18試合でした。

―2日に1回以上の計算じゃないですか!

奥村 1日に何試合かやることもあるんですよ。今までで最大はWヘッダーを2回で1日4試合ですね。でも腐るほど選手はいるし仕事があってナンボだから(笑)。それにもう日本に後ろ盾の団体もないし、ここで生きていかないと。来た当初は週2回スペイン語を習って、あとはスタイルを覚えるため、とにかく人の試合を観に行きました。

―そのメキシコのスタイルというのは、全く違う競技のようなものなんですか?

奥村 いや、そこまでは違わないです。同じ3本ロープのリングの中のことですから。まあヘッドロックも逆だし動きも早いし、ロープの飛び方も受け身も違うんですけど。あと、練習は見ていてどんな技があるか知っていても、リングに上がる時はマスクを被っていて誰だかわかんないんですよね(笑)。

―マスクマンに変身しちゃって(笑)。お客さんの反応も日本と違う?

奥村 一度、闘牛場のような場所で試合をした時、場外乱闘で倒れている時にお客さんに顔を蹴られたんですよ! 天龍さんが相手を蹴るみたいに(笑)。

―メキシコのお客さん熱すぎ!

奥村 それでカチンと来ちゃって追いかけようとした時、誰かが僕にすがりついていると思ったら対戦相手のフェリーノで(笑)。止めてくれなかったら出場停止になった上に警察沙汰にもなっていたでしょうね…。助かりました。アレナメヒコのような大きな会場の時もありますけど、屋外や夜店でもありますし、平日の昼間に市場で開催されることもある。お客さんは主婦ばっかりで、そんな時は僕もミカンなどで攻撃しますけどね(笑)。

―客層もスタイルも本当に幅広い、と! そんなアウェイでなぜ12年も続けられたんでしょう?

奥村 一度、2008年に試合中に鎖骨を骨折して、最後まで試合はしたんですが、結局4ヵ月半休みました。鎖骨折れたらムチャクチャ痛いんですよ!(笑) 試合も出られないし調子も悪いしで絶望して、その時は辞めて日本に帰ろうと思いましたが、ネグロ・カサスさんが「行くなよ。頑張っていればいいこともあるよ」と引き止めてくれた。

―新日本にも参戦していたネグロ・カサスが!

奥村 金属プレートとネジを入れたら体に合わなくて再手術になって…でも手術費用は2回とも会社が持ってくれて、社長も僕の努力を見ていてくれたんだなと気づいて。それからはもう日本に帰るとか辞めるとかいう考えは捨てて、感謝の気持ちを持って続けようと。

―その結果、2009年にトルネオ・ラ・グラン・アルテルナティーバで優勝してトップ選手の仲間入り、CMLL世界6人タッグ王座のほか2011年には日本人初のCMLLオクシデンテライトヘビー級王座獲得も果たしています。

奥村 2009年のマキシモとのカベジェラ戦(敗けた方が丸坊主にされる)にも勝つことができましたし、僕はたいした選手じゃないですけど、12年弱生き残ってきて、例え小さな足跡でも少しは残せたと思います。

―カベジェラ戦といえばメキシコでは大一番ですもんね! その成果を残せた理由は?

奥村 3年目に気づいたことがあって。自分もムーンサルトなども飛べますけど、でも誰も僕に輝かしい空中殺法は求めてないんですよ。じゃあ刀の切られ役になろうと。切られることで主役を食ってやろう、どこの会場でも相手の長所を引き出せるような職人になろうと思ったんです。CMLLに出ているとアメリカや中米諸国、南米からもオファーがくるんですよ。外国人選手をどう攻略するかしっかり考えて、どこでもCMLLのクオリティを出さなきゃいけない。

それに試合がたくさんあれば旅をし続けなきゃいけない。カマイタチ(新日本プロレスから遠征中の高橋広夢)も先日マキシモと髪の毛を賭けて戦って敗けて。でもそこで悲嘆にくれているヒマはなく、翌日は離れたハリスコ州で試合なのですぐに向かってましたし。

―その中で精神と技が磨かれるんですね…。カマイタチ選手は今回の「FANTASTICA MANIA」に突如として現れてすごい試合を見せていましたし、メキシコでヤングライオンから大きくステップアップしたのでは?

奥村 1番いい形で(経験を)日本に持って帰れたんじゃないですか? 自分で努力してドラゴン・リーというライバルを見つけてお客さんを沸かせてましたし、今後の選手のお手本にもなりそうですね。

―奥村さん自身も2011年からは「FANTASTICA MANIA」で毎年来日されていますが。

奥村 この大会はやはり新日本プロレス・菅林会長とCMLLのアロンソ社長との信頼関係ですね。トップの選手をあんなに大量に送り出すというのは普通はあり得ない。年々試合数も増えてますし、これまで築き上げてきた努力の結晶ですよね。

今年参戦したヴィールスもベテランの大選手ですが、唯一の心残りは新日本プロレスに行っていないことだと。そこでライガーさんとシングルでできたら思い残すことはないって言ってましたから。やはり新日本プロレスは日本で一番のブランドなんですね。僕もCMLLのひとりとして繋げなきゃという思いがあります。

僕自身はキャリアのファイナルカーブ、トラックの第4コーナーを回っているところだと思ってますが、CMLLの素晴らしさを日本で伝えるひとりでありたいですね。

―日本とメキシコの架け橋として…! 来年も日本でお待ちしています!

●OKUMURA(奥村茂雄 おくむらしげお)

1972年5月25日生まれ。1994年12月31日にデビューし、日本で各団体に参戦したのち、2004年5月単身メキシコへ。以来12年に渡りメキシコ第1の団体CMLLで活躍を続けている。2015年に選手生活20周年を迎えた。