ホームレスから「全米1位のスタバの店長」へ アメリカン・ドリームを果たした男性の話 | ニコニコニュース

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ファストフードのアルバイトでいくら働いても、貧困から脱却することは難しい――。そう考えている人も多いでしょう。しかし米国には、努力と運でホームレスを抜け出して重要なポストに就く「アメリカン・ドリーム」を果たす人もいるようです。

1月16日付のForbesにこんな記事が載っていました。マシュー・ティエダさんは19歳の時、米ニューヨークにあるホームレス・シェルター(一時宿泊所)に身を寄せました。ティエダさんには家族がなく、それまで友人のソファやフロアスペースを転々としてきたのです。(文:夢野響子)

シェルターから1年間、バリスタとして店に通い続ける

シェルターの小部屋には4つの2段ベッドがあり、他に7人の男性が住んでいました。シェルターに入るということは、そこにしか行き場がないということ。世界で最も物価の高い都市で、無一文の自分以外に頼るものがない現実でした。

そんな時、ニューヨークで最も忙しいスターバックス店舗のマネジャーが、ティエダさんの助けに乗り出します。友人の紹介で、彼はグランド・セントラル駅店のデビー・ドゥクナー氏の面接を受け、バリスタとして雇われたのです。以来ドゥクナーさんは、彼のメンターとなります。

スタバはパート労働者にも相場以上の賃金を支払い、健康保険や4年制大学の授業料を含む特典も与える思いやりのある職場でした。しかしニューヨークの家賃の高さからすれば、スタバのバリスタの仕事だけではホームレスから抜け出せません。ティエダさんは1年間、シェルターを出ることはできませんでした。

7人のルームメイトのいるシェルターではまともに睡眠を取ることはできず、睡眠不足でも翌朝4時半には店を開けなければなりません。ティエダさんはスタバのチームメンバーに自分の身の上を隠し続けました。シェルターでは盗難が日常茶飯事で、一瞬でも目を離せば私物は盗まれます。洗濯したスタバの制服を、濡れたまま盗まれたこともあったそうです。

「いつか自分の住まいを持てると信じていた」

しかしティエダさんはその半年後には当直長となり、次の半年でアシスタント・マネジャーに昇進することができました。新しい給料と努力して貯めたお金とマネジャーが教えてくれた、従業員間の相互援助のCUP(Caring Unites Partners=思いやりがパートナーを結ぶ)基金で、ようやくアパートの家賃を払えるようになったのです。

「昇進したその週に、アパートに移りました。引っ越した最初の夜は、涙が止まりませんでした。生まれて初めて、翌日の寝場所を心配しないで済むようになったんですから」

その後、彼は向かいに新規開店した店の店長となり、後にはニューヨークで(つまり国内で)一番売り上げの多いペンシルベニア駅店の管理を任されるようになりました。彼は自らの過去をこう振り返っています。

「私はホームレスだった時、いつもある鍵をポケットの中に持ち歩いていました。いつか自分の住まいを持てると信じていたからです」

スタバでの仕事を通して、自分が持っていた起業家精神を見出したティエダさんは、不動産取引の免許を取ることにしました。

不動産取引免許試験に合格。スタバでも週20時間働く

昨年11月に試験に合格し、ティエダさんはニューヨークの大手不動産会社コーコラン・グループに職を得ました。今は週40~50時間コーコランで働きつつ、スターバックスでも20時間働いていますが、スターバックスはとても協力的だそうです。

週70時間も働くとは驚異的なハードワーカーですが、ホームレスの過去を持ち、働き者だったからこそティエダさんは夢をつかむことができたのかもしれません。恵まれない環境にいる人たちに、勇気を与えてくれる話です。

(参照)How Starbucks Lifted A Young Homeless Man From The Streets To Success(Forbes)

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