新たな挑戦で教えた「非不能也」 -日本たばこ産業社長 小泉光臣【2】 | ニコニコニュース

日本たばこ産業社長 小泉光臣氏
プレジデントオンライン

■「やればできる」で長期低落に歯止め

2004年5月、専用のプリペイド式ICカードがないと、たばこが買えない成人識別機能付き自動販売機の実証実験が、日本たばこ協会などによって、鹿児島県の種子島で始まった。翌月、執行役員のまま、人事労働グループリーダーから、たばこ事業本部の事業企画室長へ異動する。

専売公社が1985年の民営化で日本たばこ産業(JT)になって以来、市場開放が進んだ外国たばこの伸びで、市場シェアは下がり続けていた。47歳のとき、その歯止め役が、やってきた。

街のたばこ店で、おじさんやおばさんが店番をする姿が、激減していた。高齢化に加え、後継者がみつからず、代わりに自動販売機が増える。ただ、自販機は誰でも利用できる。次第に未成年が買って喫煙することが問題視され、政治の場でも議論になっていた。対応策の切り札として、成人識別機能付き自販機の導入が浮上、08年の全国導入が目標となる。

すでに千葉県八日市場市で1次実験をやり、カードは本人識別だけでなく購入にも使えるようにしてほしいとの声があり、プリペイド式にした。ただ、種子島で新たな課題に気づく。カードを置き忘れてくると買えないから、自販機の販売量が減る。でも、コンビニにいけば、みるからに成人とわかれば確認は省いてくれるから買える。実験データから、自販機からコンビニへの移行がみえた。

でも、当時の営業部隊は、たばこ店は長いつき合いで気軽に訪ねるが、つき合いが浅いコンビニはあまり回っていない。あるとき、「もう時代は変わる、コンビニの店頭が主体になっていく」と指摘すると、部長以下が「違います、自販機のほうが便利ですから」と反論した。種子島のデータが出ても、まだ現実がみえないのか、みたくないのか、「それは、種子島の特殊事情」とまで主張する。

人間は、過去の延長からなかなか抜け切れないことは、よくわかる。だが、世の中には「非連続」というものがあり、どこかで断ち切るべきこともある。それを、やらないだけで、できないのではない、と思っていた。

ただ、いくら数字を示して説いても、営業部隊は頷かない。もう一度考えさせようと、海外たばこ市場の視察に出す。欧州やアジア諸国をみれば、自販機が主体というのは特殊だということがわかるはずだ。07年12月、識別機能付き自販機の第1陣が鹿児島と宮崎で導入されるまで、もう3カ月に迫っていた。

ところが、視察後に会議をすると、同じ答えが続く。フランスやロシアでコンビニ風の店でたばこが買われるのは、フランスやロシアの特殊事情だ、と言い張る。思わず、激しい言葉が出た。

「もう許せん。民主的にやろうと我慢してきたが、いまからは俺の言うことを聞け」

コンビニにたばこの陳列棚を提供し、JTの品をいろいろと置いてもらう販促策が始まった。いき渋っていた面々も通う。やれば、できた。鹿児島、宮崎、神奈川の3県で「タスポ」と名付けたカードの申し込みが始まり、翌年2月からは全国で受け付けし、3月に鹿児島と宮崎で稼働した。

この間、もう1つ、断ち切ったことがある。民営化時に98%近かった市場シェアは、70%を割っていた。それでも、社内で「世の中も『仕方ない』と思っていること。長期低落は続く」というのが、半ば「常識」になっていた。新年度の販売目標も、前年度よりシェアが何ポイントか落ちることを前提に、立てていた。

縮み志向を一掃するため、「シェアを反転させる」と宣言し、組織にメスを入れる。喫煙者の嗜好の変化に応じて新製品を開発するマーケティング部門と、販促を担う営業部門が、同じ事業本部にあっても連携が悪い。それを一体化するため、07年夏にマーケティング&セールス責任者を新設し、自ら就任した。営業にはコンビニとの接触に力を入れさせ、売れ筋を早くつかんでマーケティング部門に伝え、新しいたばこの開発に活かす。負担が大きいと反対が強かった棚の提供も、首脳陣を説き伏せ、全国で徹底させた。

すると、22年間も下がり続けてきたシェアが、08年にわずかながら上昇へ転じた。翌09年も続く。1%に満たない反転でも、社内の雰囲気は変わる。やはり、「やればできる」で、入社して以来一番うれしかったことだ。

「不爲也。非不能也」( 爲さざるなり。能わざるに非ざるなり)――何かが実現しないのは、やらないからで、できないのではないとの意味で、中国の古典『孟子』にある言葉。困難なことや面倒なことには、できない理由を並べて逃げる人間が少なくないが、やるとの強い心があればできるはず、と説く。変えるべきことは、意思が固ければ変えられると挑む小泉流は、この教えと重なる。

■「非連続」の戦略で世界一を目指す

JTを世界3位に押し上げたM&Aとグローバル化も、社員たちに「非不能也」を自覚させた成果だ。助走が始まったのは、冒頭の種子島での自販機の実証実験に入り、たばこの事業企画室長になった04年。前号で触れた大合理化と事業の絞り込みを鮮明にした中期経営計画「PLAN-V」の実践で、事業収支や財務の手当てで残る現金の累積が進み、自己資本利益率(ROE)も目標の7%が達成できる見通しとなっていた。「次は攻めだ」と判断する。

06年暮れ、英ギャラハーと買収手続きを始めることで合意したと発表、40代が終わる4カ月前だった。買収額は約1兆7310億円、引き継ぐ有利子負債を加えると約2兆2530億円に達し、99年に買収した米RJRナビスコの海外事業の2倍以上の規模。日本企業で最大の買収となる。

ギャラハーは「ベンソン・アンド・ヘッジス」など有力銘柄を持ち、欧州やロシアで強く、地域的な補完となる。たばこの販売数量は世界5位で、3位のJTとの合計は年間5870億本。首位とは離れていたが、2位との差は1億本を切る。交渉には参加しなかったが、本社で指揮を執り続けた。

RJRナビスコのときと比べ、社内もすんなり受け入れた。「非不能也」との意識が、かなり浸透したのだろう。90年代には不足していた海外要員も、経験を積んできたミドル層に買収後に残る外国人を加えれば、「自分たちで経営ができる」と言い切れるまでになっていた。この買収で、売上高の海外比率が5割を超える。グローバル企業へ、大きく飛翔した。

社長になって、口にする言葉がある。「世界一になりたい」だ。グローバル化が順調に進み、現実味が出てきたので、言い始めた。

海外には、アジアやアフリカなど成長が期待できる市場がある。喫煙人口の減少で厳しいとされる国内でも、火を使わず電気的に加熱し、煙ではなく蒸気で吸う新型たばこなど、開拓の余地はある。本数で世界一を目指すのか、利益でかは、言わない。言うと、社員たちはそちらにだけ向かってしまうから、ただ「世界一」。

これも「非不能也」の教えで、挑戦は続く。ただ、戦略とは捨てること、「非連続」にすることだという点までは、まだ浸透していない。最後は社長が決断することだが、全社で次の「非連続」ができれば、世界一にも手が届く。

----------

日本たばこ産業社長 小泉光臣(こいずみ・みつおみ)
1957年、神奈川県生まれ。81年東京大学経済学部卒業、日本専売公社(現・日本たばこ産業〈JT〉)入社。2001年経営企画部長、03年執行役員、04年たばこ事業企画室長、06年常務、07年取締役常務、09年代表取締役副社長。12年より現職。

----------