なぜ、エリートほど激しく「嫉妬」するのか? | ニコニコニュース

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■嫉妬心のネガティブとポジティブ

他人の成功や幸せに直面にすると、僕たちは「嫉妬」という複雑な感情を抱きます。この感情は、専門分野では「社会的比較ジェラシー」と呼ばれていて、学校の成績や出世の順番など、相手との「社会的な比較」のなかで生まれるようです。

強い「ジェラシー」が生じると、多くの人はそれを「ウザい……。こいつ死ねばいいのに」などといったマイナスのネガティブな感情に変えてしまいます(下方比較)。しかし、一部のポジティブな人は「スゴいな。自分も頑張ろう!」といったプラスの感情に変えることができ(上方比較)、複雑な競争社会の中でも良好な人間関係を築いていけるというのです。

この、嫉妬心のネガティブとポジティブの境目はなんなのでしょうか。

ある研究によると、この「社会的比較ジェラシー」なるものは誰に対しても生じるわけではなく、自分が関心を寄せる分野で、自分と類似性の高い身近な他者が少しだけ優位な場合に最も経験するものだといいます。

「類似性の高い身近な他者」が“少しだけ優位な場合”というのがポイントで、例えば、全国的に活躍するぶっちぎりにすごい成功者などに対してはあまり嫉妬心が起きません。一方で、自分と同じ会社の身近な同僚のちょっとした仕事の成功には、はげしく嫉妬してしまうということです。

これは、なんとも面倒くさい話です。

■境目は「自尊心」

そもそも、僕たちはなんで「他者の優位」に対して嫉妬してしまうのでしょうか。

海外のある研究によると、「他者の優位」は自分の「自尊心」というものを激しく脅かしてしまうようです。つまり、嫉妬心は自分を守ろうとする“防衛反応”の一種だというのです。

そして、その嫉妬心が「死ねばいいのに」といったマイナスのものになるか、「僕も頑張ろう!」というプラスのものになるかにも、「自尊心」が大きく関わっています。簡単にいうと、自尊心が低い人は、「他者の優位」に対して拒否や攻撃といったネガティブな行動を起こしやすく、一方で自尊心が高い人は、挑戦的でポジティブな行動を起こしやすいというわけです。

さて、嫉妬による行動をポジティブにもネガティブにも変える「自尊心」とは、一体どのようなものなのでしょうか?

自尊心(self-esteem)とは、自分を大切にできる気持ちのことをいうのですが、「“ありのまま”の自分を受けいれる力」が関係していると考えられています。この“self-esteem”については、日本のある研究者が説明に用いた「自己肯定感」という言葉がよく使われるようになりました。

これは単に、“自分に自信がある”というような意味ではありません。

自尊心や自己肯定感は、「社会的に評価されたり認められたりしているという『条件』がなくても、自分の存在には価値があると感じられること」、つまり自分の「無条件肯定」といいかえることができます。例えば、学校での成績が低かったり、会社でのポジションが低いなど「社会的比較」における条件は悪くても、信頼できる昔からの友達がいたり、家族に愛されていたりという人は、自分の存在そのものを認めることができ、高い自尊心を持てているようです。

■エリートは自尊心が低い!?

「無条件肯定」の真逆にあるのが、「条件付き肯定」です。それは、自分が社会のなかでどれくらい有能な力を持っているのか、といった社会的比較の指標のなかで、自分の価値を“条件的”に認めることです。僕たちは学校で、テストでいい点数をとるとほめられ、勉強が苦手な場合でもスポーツでいい順位をとれば評価されてきました。それは、社会人になっても変わることなく、常に比較されながら「条件付き肯定」を奪いあう戦いをくりひろげています。

そんな社会的条件の階段を上りつめたのが、俗に「エリート」と呼ばれる人たちです。なんと彼らは、「自分は社会的に有能だ」という実感や強い自信は持っていても、自尊心や自己肯定感は低いということが多いようなのです。

なぜなら、「エリート」と呼ばれる人たちは常に“高い条件”で社会的に認められてきたために、人生の中で「無条件の自分」の価値を意識したことが少なく、「条件を失う」ということがとんでもなく危険なことだと感じてしまうようなのです。そして、身近なところに自分よりもさらに条件的に優れた人間が現れると、自分の存在価値や自尊感情が脅威にさらされて、ネガティブな嫉妬心に火がつき、時には攻撃的な態度に出てしまうのです。

社会に出て仕事や活動をしていれば、「社会的比較」や「条件」は永久につきまといます。それ自体は仕方のないことだと思います。しかし、嫉妬のたびに相手を拒否したり攻撃したりしていては、人間関係は不調になり、当然仕事もうまくいきません。

どこにいけば、社会的条件抜きの“ありのまま”の自分に出会うことができるのか?

どうすれば、「無条件の自分」を認め、自尊心を高めることができるのか?

そして、どうすれば、自分より条件的に優れた人間を歓迎し、健全なコミュニケーションをとることができるのか?

挨拶ひとつ取っても、所属や肩書の説明が必要な(気がしてならない)「条件だらけ」の都会で働くビジネスマンにとっては、とんでもなく難しい問題なのかもしれません。