「どんな子供でも遊べなければいけない」 黄金期のジャンプ編集部で叩き込まれた"教え"が生んだ大ヒットゲーム「桃太郎電鉄」 | ニコニコニュース

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 過去の名作ゲームの企画書を見てもらいながら開発秘話を聞くシリーズ「ゲームの企画書」。連載2回めとなる今回は、人気シリーズ『桃太郎電鉄』を長期にわたって手がけてきた、さくまあきら氏に『桃鉄』誕生秘話を聞いた。
 『桃鉄』といえば、放課後に友達の家に集まって遊んだり、あるいは大学時代にサークルの部室で遊んだり、という記憶が誰しもあるような、"国民的ゲーム"の一つ。しかし、そのゲームデザインについて真剣に語られることは、あまりにも少ない。

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 一方で、制作者のさくまあきら氏は、『ドラゴンクエスト』の堀井雄二氏や『俺の屍を越えてゆけ』の桝田省治氏などの、第一級のゲームデザイナーたちと交流を持ち、互いに影響を与えあってきた人物でもある。実際、このインタビューの後半でも明かされるように、キングボンビーなどの一見してムチャクチャな要素の背景には、さくま氏のエンターテイメント観にもとづく、深い洞察が秘められている。
 本稿では、初期の「桃鉄」開発に関わり、自身でも「"自称"さくま氏の弟子筋」であるという桝田省治氏を聞き手役として招聘し、当時の制作風景をふり返ってもらった。

 また、今回の内容は、ゲーム史における貴重な証言にもなっている。というのも、日本のゲーム文化の成立には、実は出版社の文化からの人材や知見の流入があったという見方ができるからだ。さくま氏は、ドラクエの堀井雄二氏と並んで、そういう出版社文脈からゲームの世界に飛び込んでいった代表的な人物といえる。そんな氏が語る、黄金期のジャンプ編集部や広告代理店カルチャーが『桃鉄』に与えた影響についての逸話からは、黎明期のゲーム業界の混沌としたエネルギーが垣間見える。

取材・文/TAITAI、稲葉ほたて
カメラマン/佐々木秀二

桝田氏:
 久しぶりですね。さくまさんのTwitterを見ていると、最近は熱海が多いようだけれども。

さくま氏:
 ほとんど東京にいて、月イチで熱海にいますね。ちょっと病気をしてから、旅行に行く頻度が減っているんだよね。ただ、今度の月末にチケットが取れちゃったので、北陸新幹線に乗ってきます。実は、去年まだテスト走行だったときに、長野から乗ってるんですよ。新しい新幹線が通ると、すぐ乗りに行ってしまう。

――やはり、旅行そのものがお好きなんですか?

さくま氏:
 まあ、結局は自分の家が一番好きなんですけどね(笑)。実は、ホテルではあまり寝られないんです。よくこれで旅行好きだなと、自分でも思うのですが。

■「さくまさんが全てに目を通している」(桝田)

――今日はさくまあきらさんからのご指名で、桝田省治さんに来ていただいたんです。というのも、さくまさんにメールで依頼したところ、「『桃太郎電鉄』のアルゴリズムを作ったのは桝田くんです」と仰られて、同席をお願いされたんです。実は、不勉強ながら、桝田さんがそんなに桃鉄に関わられていたとは知らなくて......一応、Wikipediaを見ると、クレジットは「シナリオ補佐」なんですよね。

桝田氏:
 このゲーム、シナリオなんてねえじゃん(笑)。

一同:
 (笑)

桝田氏:
 僕は、最初のファミコン版のときは、敵の社長さんの思考ルーチンを書いたんですよ。なぜなら、誰も考えてなかったから(笑)。といっても、用意したルーチンは1種類だけだったかな。各社長の違いはどこかのパラメーターをいじってるだけだね。

 ただ、『桃鉄』って、さくまさんが全てに目を通して作られているんですよ。意外でしょう(笑)。細かい確率も自分でいじるし、メッセージも細部までこだわって作っていますからね。カードの名前だって自分で決めてるし、イラストや音楽の発注も細かく指定付きで渡すでしょう。

さくま氏:
 「ここで、こういう曲にしてくれ」という指定は全て入れてますね。ジャンプ放送局(※)をやっていたので、文字から絵まで幅広く感覚がついてるというのはあると思います。

※ジャンプ放送局
集英社の少年向け漫画雑誌『週刊少年ジャンプ』巻末で連載された読者投稿コーナー。投稿者は「投稿戦士」と呼ばれ、年間を通して採用された葉書についた点数を競いあった。投稿戦士の中からは、放送作家の北本かつら(当時のP.N.は「竜王は生きていた」)など、後にメディア業界で活躍する人間も登場した。

――まさに、今日はそういうゲームクリエイターとしての、さくまあきらさんについてお伺いしたいんです。というのも、桝田省治さんや堀井雄二さん(※)たちのような一流のゲームデザイナーから、さくまさんのお名前が"尊敬するゲームデザイナー"として挙がるんですね。その割に、さくまあきらと『桃太郎電鉄』を、真剣にゲームデザインの問題として検討しているのを見かけないんです。ネットのレビューでも、あまり見かけないですね。キングボンビーの思い出みたいなのは、よく語られますけれども(笑)。

※堀井雄二
アーマープロジェクト代表取締役。「ドラゴンクエスト」シリーズ生みの親であり、『ボートピア殺人事件』や『いただきストリート』など、手がけたゲームは多数。さくまあきら氏とは、大学生時代からの友人で、一緒に出版社を立ちあげている。

桝田氏:
 まあ、僕が関わったのは本当に初期でしかないんだけど、『桃鉄』って、とんでもないゲームだと思いますよ。だってさ、力量もバラバラの4人の人間だとかを数時間プレイさせて、キッチリとレベルデザインが成立するように作ってきたわけでしょう。ハッキリ言うけど、到底、僕には作れない。というか、さくまさんの他に誰が作れるんだと思うよね。その調整作業ときたら、想像するだに気が遠くなるものがありますよ。

――しかも、『桃鉄』の場合は「持ち金2倍マン」だとか「スリの銀次」だとかの、ある種、理不尽なランダムイベントもたくさん起きますよね。その辺はどう調整しているんだろうか、と不思議なんですよ。

さくま氏:
 『桃鉄』を毎年出していた時期は、12月のクリスマス商戦に出すために、5月の段階でテストプレイが出来るようにしていましたね。そのあとは、必死になってギリギリまでテストプレイです。もう、ひたすら徹底的に調整、調整、調整ですよ。やはり、人間というのは怖ろしいもので、そのままゴロンと出してしまうと必勝法を見つける人間が登場するんです。

 ......ただ、その作業というのは、もはやバランスの問題だから理屈でどうこうとは言いにくいですね。一応、ボンビーというキャラクターを出すことになったら、一緒に借金を帳消しにできる「徳政令カード」も作る......みたいな感じで、ゲームを不安定化させる要素とそのバランスをとる要素を同時に入れていくんです。しかも、銀次は駅では出ないようにしたりなど、細々とした設定も作る必要があるわけです。その上で、サイコロを振ったときのイベント出現の確率を計算していくわけですが、そこはもう細かくテストプレイで決めていきますね。

――そのテストプレイには、さくまさんが立ち会うわけですか。

さくま氏:  
 ええ、ノートを持って後ろにいますね。そうして、反応をメモしていくんですよ。ゲームに反応そのものを反映させることもあります。例えば、ボンビーが勝手にカードを購入してきたときに、「そんなことしなくていいのに!」なんていうツッコミをあえて書いたりするんですが、それはその場の人の反応を取り込んだものです。
 ちなみに、テストプレイについては、色々と試したものですよ。そうそう、血液型別でプレイさせてみたこともありましたね(笑)。

――へえー。ネットで血液型の話をすると怒る人も多いのですが......ちょっと気になるので聞いてもいいですか(笑)?

さくま氏:
 これが、面白いことにハッキリと出たんですよ(笑)。  
 まず不思議なことに、なぜかO型の人間たちはすぐにヘリコプターを使いたがるんです。どういうわけか、彼らは自分がその目的地の近くに行けると思う傾向が強いのですよ(笑)。B型になると、今度はやたらカードを相手に使うんです。しかも、「ねえ、このカード使ってイイ?」なんて言いながらね。だから、もうB型同士でプレイすると、会話が弾みながらどんどんカードが使われていきますね。一番つまらないのは、A型同士の対戦ですね。もう、みんな堅実に淡々と地味なプレイをするんですよ。

――なるほど。

さくま氏:  
 ちなみに、僕はA型です。そして、とても地味な性格なんですね(笑)。でも、だからこそ自分のゲームを作るときには、あえて明るい作品になるように気をつけてきました。ジャンプでは流行る漫画の原則に、「派手に・元気に・明るく」というのがあって、やっぱりエンターテイメントでは派手であるのは大事なことなんです。

桝田氏:
 さくまさんが凄いのは、自分の感覚を信用していないところなんですよ。めちゃくちゃに頭がいいから、自分が普通の人の感覚がわかるとは思っていない。だから、自分の代わりに、周囲に普通の人を置くんです。さくまさんの周囲には、スーパーデバッカーのチームがいたんですよ。それは、見事に日本人の平均値の感性をもった連中なんだよね。

――スーパーハッカーならぬ、「普通の人」で構成されたスーパーデバッガー(笑)。

桝田氏:
 ジャンプ放送局に"どんちゃん"(※)というプレイヤーがいたんだよ。彼が、もうとんでもない男なんですよ。

※どんちゃん
ジャンプ放送局9代目優勝者の投稿戦士。その後、ここでも書かれているようにジャンプ放送局のアシスタントに採用されて、井沢ひろし(井沢どんすけ)として、後継となる読者コーナー『ジャンプ団』、『じゃんぷる』、『ジャンプ魂』の構成を担当した。現在は、漫画原作者・編集者として活躍。

さくま氏:
 ええ、何についても彼は日本人の平均値なんです。彼が面白いと言ったテレビ番組は視聴率が伸びて、「つまらない」と言い出したら視聴率が落ちてきて、打ち切られてしまう。

桝田氏:
 どんちゃんで忘れられないのは、キングボンビーが出そうになったら、本当に手が震えていたことなんだよね。こんな素直な反応をする人間がいるなんて、って(笑)。それに、どんちゃんはあの頃、ジャンプの人気アンケートの結果を当てていたでしょ。

さくま氏:
 むしろ、編集部がアンケート結果を信じていいか、彼に聞きに行きましたから。だから、ウチはアンケート要らず(笑)。

 まあ、そういう子を他にも投稿戦士たちから何人か見つけられたので、彼らの反応を徹底的に見ましたね。別に、その子たちがカワイかったからじゃないですよ。単純にその子たちが日本人の"スーパー平均値"だったわけです。大事なのは買ってくれる人なわけだから、彼らがキャーキャー言ってくれれば、お客さんもそう言ってくれたも同然でした。逆に彼らが理解できなかったり、面白そうにしていなかったというので、削除したイベントもたくさんあるんですよ。

桝田氏:
 さくまさんや堀井雄二さんが他の連中と違うのは、「マス・メディア」というものを肌で理解していることなんですよ。なにせ、あの当時の600万部近く売れていた『週刊少年ジャンプ』という戦場を肌で体験していたんだからね。

■「プレイヤーごとに目的地が違ったんですよ」(さくま)

――『桃鉄』の最初の企画書も、そういうふうに調整作業で作られたのですか?

さくま氏:
 桝田くんが一番よく知っていると思いますが、僕は企画書を作らないんですね。

――実は、このインタビューは、ゲームの企画書を色々な人にみせてもらいに行くという企画だったのですが、実際取材をはじめてみると、昔のゲーム会社は企画書なんて作っていなかったと判明してきて......あるいは、もう紛失していたり......。

桝田氏:
 まあ、そりゃそうだよ(笑)。『桃太郎伝説』のときは、確か3枚だか4枚だかの企画書はありましたけどね。

さくま氏:
 『桃鉄』の場合は、まずは模造紙にマジックで大きなマス目を書いて、ボードゲームを作ったんですね。それをサイコロを振って遊びながら、何ヶ月ものあいだ、毎日のように修正したんですよ。当時は、確か物件もなくて、チップでやっていたはずですね。

桝田氏:
 で、僕はそれを後ろで見ていた。たぶん、一度もプレイしてない(笑)。

 確か、その半年ほど前に『鉄道王』というゲームが出ていたんですよ。それが、狙いはいいのにすっげえ操作性の悪いゲームでさ、その欠点をどう解消したらいいかを分析したんですね。あと、その頃にさくまさんが、西武鉄道の堤さん(※)にハマってたのもある(笑)。

※堤 義明
西武鉄道グループの元オーナー。西武グループの基礎を一代で築き上げた父の跡を継ぎ、ホテル経営やリゾート開発などを中心に、"西武王国"と呼ばれる西武グループの栄華を築く。バブルの崩壊とともに経営は低調になり、2004年にはグループの不祥事の責任をとって身を引く。その後、インサイダー取引の疑いで、証券取引法違反で逮捕された。

――堤義明さんの著書は200冊近くを読破したとWikipediaで見たのですが、どういう部分に惹かれていたのですか?

さくま氏:
 あの頃、西武や阪急のような会社が鉄道を使って、不動産開発をしていたんですよ。宝塚なんかは、実はその典型ですよね。他にも、湯沢温泉や軽井沢のように、鉄道を敷くことで人の流れを作り、栄えていった街がありました。要は、電車による町おこしの流れがあったんです。だから、当時は本当に「鉄道王」という言い方が存在していたんですよ。

桝田氏:
 だって、あの頃のプロ野球って、近鉄とか南海とか鉄道会社ばかりだったもんね。全部なくなっちゃったけどね。

さくま氏:
 ちょっと、さみしいよね......。あと、堤さんの場合は、もう買うだけ買って人に任せちゃうでしょう。あれも凄いなあと思っていたんです。あの面白さをゲームで再現したかったんです。

――確かに、最初の『桃鉄』は不動産開発がメインで、そのために電車を使うゲームなんですよね。

さくま氏:
 ファミコン版はプレーヤーごとに、目的地が違ったままだったんですよ。ところが、実際にファミコン版をプレイさせてみると、岡山に作った「桃太郎ランド」というとんでもない高額物件を、プレイヤーみんなが最後に買いに行く流れになったんですね。特に意図してはいなかったのだけど、そうやってみんなが一つの場所に向かって走るのが、もう楽しくてね。
 だから、PCエンジンで二作目の『スーパー桃太郎電鉄』を出したときに、毎回の目的地を全員一緒にしてしまって、先に到着した人間がたくさん利益を得るように変えてみたんです。一応、1作目をボードゲームでテストプレイしていた段階で、基本的なルールそのものは完成していたのだけど、ここで現在の原型になるものが完成したように思います。

桝田氏:
 このルールの変更は大きかったんですよ。
 というのも、ボードゲームからコンピュータの画面に移したときに、一覧性の問題にみんなで頭を抱えたの。リアルに置かれた模造紙のときは、みんなで全体像を見渡しながらプレイできたのだけど、テレビ画面でそれをやるのは難しいんだね。無理に全て映そうとすると、小さすぎて何が描かれてるのかわからない。
 その情報の出し方をどうするかは、かなり徹底的に議論したのだけど、最初の時点では縮小画面を何パターンか用意するくらいで、上手く詰めきれなかったんだよね。

 ところが、このさくまさんによるルール改正で、目的地が一箇所になったの。そうすると、目的地に近くなった重要な場面では、自然にプレイヤーのコマが1画面に収まるようになったんだね。

――なるほど、確かに! それにしても、本当にユーザーを観察して、改善に改善を重ねていくスタイルで最初から作られているのですね。

さくま氏:
 コンピューターにしたときの苦労という意味では、手札が見えてしまうのも困ったところでしたね。元々、人間同士でプレイしていたときは、トランプみたいにカードを隠してやっていましたから。基本的に、現在の『桃鉄』のカードというのは、他のユーザーに見えても面白さが損なわれないようなものなんですよ。ただ、コンピューター化での苦労って、そのくらいじゃないかなあ。

桝田氏:
 ええ!? CPの社長の思考ルーチン考えるの、大変だったんですよ。かなり複雑なルールだったんだから。

一同:
 (笑)

■「"NPCの頭が良すぎる。ズルしてるように見える"と怒られた」(桝田)

――ここからは、桝田さんのターンですね。でも、実は『桃太郎伝説』(※)で、すでにさくまさんのゲームには関わられているんですよね。

※桃太郎伝説
1987年にハドソンから発売されたRPG。おとぎ話の『桃太郎』を題材に、さくまあきら氏が監督した。

桝田氏:
 だから、「また来たか」って思ったけどね(笑)。

 ただ、誤解のないように一つ言っておくと、基本的なイメージはさくまさんが作るんですよ。『桃太郎伝説』だったら、ドラクエと違って桃太郎は先制攻撃をしないんだ、とかね。モンスターが気づいていないのに先制攻撃をするのは卑怯だからやらないとか、「たおした」ではなくて「こらしめた」と書くとか、そういう方針はさくまさんが決めるんです。

さくま氏:
 ただ、当時は、秋葉原に行けば戦闘ルーチンをパカっと入れるようなパーツが売ってるのかな、と思ってましたね(笑)。

桝田氏:
 そこで当時、広告の担当者だった僕が登場したの。さくまさんが「プログラマーが作るんじゃないの?」と言うのに対して、「いやいや、そうなんだけど、仕様書を頂けないと......」なんて話すわけ(笑)。
 その時点で、まだ僕は正式にプロジェクトに入ってなかったはずですよ。だって、さくまさんがポケットからクシャクシャのお札を僕に渡して、「これでファミコンとドラクエを買ってきて調べてよ」と言ったのを覚えてますからね。つまり、僕に渡されたお金はプロジェクトの経費で落ちなかった(笑)。

――桝田さんはルーチンの書き方はどこで覚えたんですか?

桝田氏:
 いや、誰からも教わってない。以前に、サイコロを転がす対人ゲームのマニュアルをたまたま読んでいたので、RPGの判定はだいたい予想ができたってだけ。それをベースにドラクエのダメージを見て、「こういう感じの式だろう」と逆算して作ったんだよね。  
 ......ま、あとで『メタルマックス』のときに宮岡さん(※)と一緒に組んだので、せっかくだから答え合わせをしてみたら、だいぶ違ってたけどね(笑)。実は、ファミコン版のドラクエには質の悪い擬似乱数が入ってたみたいなんですよ。そうすると、ただの乱数の振れ幅の中で時折、会心の一撃くらいのダメージが出てしまうんです。でも、僕はそのゆらぎを計算で出しているのだと思って、一人でウンウン考えていたんだね。

※宮岡 寛
クレアテック代表取締役。『ドラゴンクエスト』では、シナリオのアシスタント、ダンジョンなどのデザインを担当した。『メタルマックス』シリーズの生みの親でもある。

さくま氏:
 あの頃は、まだゲーム制作の手法が確立していなかったからねえ。僕も何か思いついたら、桝田省治にいえば、何とかしてくれるというくらいに思ってたね(笑)。

桝田氏:
 で、『桃鉄』の方のアルゴリズムの話をすると、やっぱりコンピュータの計算の待ち時間がネックでしたね。だから、複雑な思考をさせるわけにいかないんですよ。でも一方で、ルールも結構複雑なので、そこそこ考えているようにみえるくらいの思考ルーチンを作らなきゃいけない。そこが、本当に大変だった。

 しかも、さくまさんは思考ルーチンがあまりに強すぎると「頭が良すぎる。これではズルしているように見える」というわけ。でも、パターン認識能力って、人間のほうが高いんですよ。そうなると、人間では面倒くさくてやらないような総当りで攻めるくらいしか、コンピュータを強くする方法がない。「じゃあ、CPはサイコロの乱数をいじりますか?」と聞くと、さくまさんは「それはズルだよ!」と怒りだすしさ(笑)。

さくま氏:
 確率をいじったのは、基本的にはベイスターズの勝率だけですね(笑)。あとは、序盤だけは目的地に着きやすいようにしてますが、まあそのくらいですよ。

桝田氏:
 大多数の人間たちというのは、自分が勝てないと「コンピュータは絶対に乱数をいじっている」と必ず疑うんだよ。だから、彼らに納得感を与えるようなバランスにこだわるのは大事なんだよね。

――先日、スタッフ全員で『桃鉄』をプレイしてきたのですが、みんなでシーンごとに変数をいじってるんじゃないかと疑ってました......。

さくま氏:
 はっはっは。そりゃ気のせいですけど......まあ、僕としてはそういうのも含めて楽しんでほしいんですよ。  

 ただ、そういう意味では、計算時間の問題については考えました。やはり、ゲーマーではない「普通」の人たちというのは、テンポが良くないとすぐに放り投げてしまいますから。だから、徹底的に内部の計算時間を削りましたね。特に困ったのがイベントで、あれは同時に進行しやすい上に、一つ出るごとに計算が変化しますからね。そのせいで、イベントはだいぶ削りましたし、それこそメッセージの文字まで細かく削って、何度も何度もテストプレイをしながら調整をかけました。

 ただ、それでも、やっぱり最後はエンジニアから「もう限界です!」と来るんです。だから、もうそこは演出で工夫しました。「こんなすごい数字が出たぞ!」みたいなメッセージを表示してるあいだに時間を稼いで、まだ後ろでは計算しているんです(笑)。ほとんどマジシャンがミスディレクションで気を逸らしておくような話ですよね。

――でも、そういう手触り感への鬼のようなコダワリというのは、実は洋ゲーとは違う発想から生まれた、日本のテレビゲームの凄まじさの一つじゃないでしょうか。残念なことに、ほとんど明文化されたのを見たことがないのですが......。

桝田氏:
 凄いよね。ごまかし方が人力なんだもん。

――昔のゲーム業界の話を聞くと、容量との戦いの中でのあくなき手触り感への追求から、あの名作の数々が生まれてきたんだな、と驚くんです。

さくま氏:
 当時は偶然のバグで起きた面白い現象を取り入れたりとか、まあ色々とありましたよね。

――それにしても、アルゴリズムや乱数が理解できる広告屋さんというのは、今となっては随分と異様な存在に見えるのですが......。当時って、『テニミュ』の片岡さん(※)がアニメに関わっていたり、広告関係の人が妙にクリエイションの現場にいるようにみえるんです。

※片岡義朗
日本のアニメ・舞台のプロデューサー。旭通信社勤務時代に、『ハイスクール!奇面組』や『姫ちゃんのリボン』などの数々の名作アニメのプロデュースに関わる。90年代からいち早く2.5次元舞台を手がけており、『テニミュ』の企画制作プロデューサーでもある。

桝田氏:
 だって、待っててもテストプレイのサンプルが上がってこなければ、そりゃ現場に出向くよね(笑)。媒体に載せる素材が来ないんだから、「どうなってんだ?」という話ですよ。

さくま氏:
 で、「そんなにわかるのなら、一緒にやりましょう」となるわけです。結局、桝田くんには自分でもゲーム制作をするように奨めましたよね。

――逆に本業の広告屋的な視点からのアドバイスというのは、あったんですか?

桝田氏:
 まず、「お願いだから、桃太郎をタイトルに入れてくれ」と言いましたね。当初は『桃太郎伝説』とは繋げてなかったんですよ。まあ、初期出荷数を稼ぎたかったのもあるけど、既にあるシリーズでやれば、新しく宣伝費を投入しなくて済むからね。で、ゲーム中の司会進行の役が決まっていなかったから、「じゃあ、そこに桃太郎でお願いします」と言ったんです。

 制作スタッフの中に広告を作れる人がいると、客受けして欲しいポイントを考慮して、キーワードを外れなく入れられるんですよ。初代『桃鉄』の赤い放射線のパッケージは僕のデザインで、次のPCエンジン版までは僕が広告もやってましたね。

桝田氏:
 「いまだったらどこかからクレームが来そうなデザインだよね(笑)。でも、売り場ではかなり目立ったみたいですよ」  

 で、重要なのはカートリッジに「『桃鉄』と呼ぼう」と書いておいたことなんですよ。たぶん、ゲーム会社の側から略称を推奨したのは、『桃鉄』が初めてのはずですよ。

さくま氏:
 それは、桝田くんが戦略的にやっていたよね。

桝田氏:  
 まあ、それはメーカーの営業からの苦情でやったことなんですけどね(苦笑)。  

 まだ当時は、電話やFAXで注文する時代だったんだけど、そのときに「"ももでん"をあと8本入れて」と言われたときに、『桃太郎伝説』か『桃太郎電鉄』なのかがわからなくなると、ハドソンの営業から言われたんですよ。だから、公式に「『桃鉄』」という呼び方を指定したんです。でも、さくまさんは「間違えて『桃伝』が届いても、それはそれで面白いじゃないか」とか言って、けらけら笑ってたんだよ。ひどいよねえ(笑)。

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