リベラル化した欧州で「リベラルでないもの」に 分類されたイスラームを排除する論理 [橘玲の世界投資見聞録] | ニコニコニュース

写真:AP/アフロ シャルリー・エブド襲撃事件発生から1年の追悼デモの際に「私はシャルリ」の標語を掲げる参加者が多く見られた
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 今回はフランスの人類学者エマニュエル・トッドの『シャルリとは誰か?』(文春新書)を参考に、移民問題で混乱するヨーロッパについて考えてみたい。

 2015年1月7日、パリの風刺雑誌『シャルリ・エブド』がイスラーム過激派の武装集団に襲われ、編集長やスタッフ、警備の警官など12人が殺害された。この衝撃的な事件を受けてフランス全土で、「私はシャルリ」の標語を掲げた多数の市民が街頭に繰り出した。ドイツのメルケル首相、イギリスのキャメロン首相など各国要人も加わった1月11日のパリの追悼大行進には160万人、フランス全土では450万人を超えるひとびとが「シャルリ」であることを宣言したという。子どもやデモに参加できない高齢者を除けばフランス人の10人に1人がデモに参加したことになる驚くべき規模で、タイトルからもわかるように、本書はトッドが「シャルリ=デモ参加者とは何者か」について考察したものだ。

 トッドはいま、この本によって「多くの侮辱」を受け、フランス国内では表現の自由も討論の自由もない状況に置かれているという。なぜそれほどまで非難を浴びたのか。

 トッドは、追悼デモの参加者をこう評した。

「私はシャルリだ、私はフランス人だ、私には、自分のカトリシズムに対するのとまったく同様に他者たちのイスラム教に対しても冒涜する権利があり、さらにその義務さえもある」

 これでは知識層のみならず、デモ参加者全員が激怒するのも当然だろう。なぜトッドはこんな“カゲキ”なことをいうのだろうか。

トッドが創始した特異な「家族人類学」とは何か?

 本書を理解するには、彼が創始した「家族人類学」について説明しておく必要がある。とはいえ私はトッドの熱心な読者というわけではないので、ここではフランス文学者石崎晴巳氏の「トッド人類学の基礎」(エマニュエル・トッド『世界像革命』所収)に基づいて、その特異な思想をざっと紹介しておこう。

 家族は「社会的動物」であるヒトの基礎をかたちづくる。家族を持たない社会は存在しないし、近親相姦のタブーのような人類共通のルールもあるものの、父系性や母系性、遺産の分配方法など、地域ごとに多様な制度が並存している。従来の人類学では、こうした家族制度はアマゾンや太平洋諸島、アフリカなどの伝統的社会で研究されてきたが、トッドの独創は先進国(とりわけヨーロッパ)にも複数の家族制度があり、それがひとびとの考え方(イデオロギー)に強い影響を与えている、と考えたことだ。

 トッドによれば、日本社会は父が家長として一族を従えるとともに、長子(兄弟のうちの最年長者)のみが結婚しても家に残りすべてを相続する「直系家族」に属する。姉妹は他家に嫁ぎ、弟たちは家を出て自ら生計の道を見つける。江戸時代には、家を継げない農村部の若者は江戸や大坂、京都などの都市に丁稚に出、武家や商家では弟が分家をつくり、貴族では出家して宗教界に身を置いた。

 これは私たちにとって当たり前の家族制度で、西ヨーロッパでもドイツ圏(オーストリア、スイスのドイツ語圏を含む)、スウェーデンとノルウェーの大部分、アイルランド、スコットランド、ウェールズのグレートブリテン西部、フランスの南半分、イベリア半島北部など広い範囲に分布する。だが実際は、直系家族は世界的には少数派で、アジア圏では日本と韓国に見られるだけだとトッドはいう。

 直系家族の特徴は父(家長)の権威主義と兄弟間の不平等だ。そのためこの家族制度で育ったひとたちはごく自然に権威を受け入れ、社会は不平等だと考えるようになる。これは一見、万世一系の天皇を「家長」とする戦前の天皇制や、昨今の格差社会(不平等の受容)をうまく説明しているように見える。

 それに対して、中国やロシア、中東などユーラシア大陸の大半と北アフリカは「共同体家族」で、父親が権威主義的な家長になるのは同じだが、兄弟は成人して結婚しても実家に住みつづけ、遺産も兄弟間で平等・均等に分配される(共同体家族はヨーロッパではトスカーナを中心とするイタリア中部のみに分布する)。

 大家族を形成する共同体家族で生まれ育ったひとたちは、権威を当然のものと受け入れるものの、社会の基本は平等にあると考える。共同体家族にはイトコ婚を優先する内婚制と、家族の外から嫁を探す外婚制に分かれ、外婚制共同体家族は中国、ロシア、ベトナム、ブルガリア、旧ユーゴスラヴィア、フィンランドなどに分布する(それに対して内婚制共同体家族はパキスタン、アフガニスタン以西の中東と北アフリカに分布)。そしてトッドは、権威主義と平等主義を原則とする外婚制共同体家族の地域が旧共産圏と見事に重なることを発見したのだ(イタリア共産党の最大の拠点はトスカーナだった)。「家族制度がイデオロギーを規定する」というトッドの主張は、当然のことながらはげしい論争を巻き起こした。

 トッドによれば、世界にはこれ以外にも、ヨーロッパ起源の2つの主要な家族制度がある。

 ひとつは「平等主義核家族」で、子どもは成人して結婚すると、長子も含めて全員が家を出て独立の家庭を構える。親が死ぬと、遺産は兄弟のあいだで平等・均等に分けられる。この家族形態はパリ盆地を中心とする北フランス、北部沿岸部を除いたイベリア半島の大部分、イタリアの西北部とシチリアを含む南部などに主に分布し、植民地主義の時代にブラジルやアルゼンチンなど南米に広がった「ラテン系の家族制度」だ。

 もうひとつは、成人して結婚した子ども全員が家を出て独立した世帯を構えるが、遺産相続は遺言によって行なわれ、兄弟間の平等はあまり顧慮されず、親が自分の好みと意志を主張する「絶対核家族」。こちらもヨーロッパ特有のもので、イングランド、オランダ、デンマークの大部分やフランスのブルターニュ地方に分布し、植民地主義によって北米、オーストラリア、ニュージーランドに広がった。こちらは「「アングロサクソン系の家族制度」だ。

 平等主義核家族と絶対核家族に共通する特徴は親の権威が相対的に弱いことで、「自由」や「自立」といった概念に親しみやすい。ラテン系の平等主義核家族は「ひとは自由で社会は平等だ」と考え、アングロサクソン系の絶対核家族は「ひとは自由で社会は不平等だ」とする。トッドによれば、自由と平等を至上の価値とする革命がフランスで起こったのはそこが平等主義核家族の地域だからで、アメリカが新自由主義(ネオリベ)なのはイギリスから絶対核家族の価値観を引き継いだからなのだ。

 こうしてトッドは、主要な家族制度をラテン系(平等主義核家族)、アングロサクソン系(絶対核家族)、ゲルマン=日本系(直系家族)、旧共産圏(外婚制共同体家族)の4つに分ける。トッドの家族人類学は、家族制度のちがいがひとびとのイデオロギーやその国の歴史を決めてきたという「家族決定論」なのだ。

 ひとつ付け加えておくと、トッドの主張は、「前近代的な直系家族や共同体家族から(絶対/平等主義的)核家族へと家族制度が近代的なものに変わっていく」という進歩史観ではない。どの社会がいかなる家族制度を採用するかは偶然の要素で決まり、いったん成立した家族制度は容易には変わらない。だからこそ、歴史の偶然がひとびとの運命に大きな影響を与えるのだ。

家族人類学による説明は一見分かりやすいが…

「日本とドイツが似ている」のは、どちらも直系家族だから?

 日本とドイツは枢軸国として第二次世界大戦を戦い、戦後はともに経済成長に成功し、日本のサッカー選手がもっとも活躍できるのは(ドイツの)ブンデスリーガだ。「日本とドイツは似ている」というのは誰もが漠然と思っているが、トッドの家族人類学はこれにシンプルな説明を与える。日本もドイツも同じ直系家族の国なのだ。――ついでにいうとユダヤ社会も直系家族だ。これは「日本人とユダヤ人は似ている」説の傍証になるかもしれない。

 しかし、こうした論理にいかがわしいものを感じるひともいるだろう。すべての「決定論」に共通することだが、あとづけではなんでもいえてしまうのだ。

 トッドによると、日本と韓国は直系家族で、中国は(外婚的)共同体家族だ。その一方で、中国と韓国は父系の一族が宗族を形成し、同姓同士は結婚せず、女性は結婚しても苗字が変わらない。日本には同姓不婚のタブーがなく、女性が苗字を変えて「イエ」に入るのだから、家族制度に顕著なちがいがある。中国・韓国は儒教社会で祖先の霊を祀る家長は長男だけだが、日本のイエ社会では血縁関係のない養子や入り婿でも家長になれる。後世に引き継がれるのが血(父系の血統)なのかイエなのかはひとびとの意識や社会の形成に大きな影響をもたらすだろうが、家族人類学ではこのちがいは捨象されてしまう。

 トッドは、平等主義の社会は異民族や人種間の結婚に寛容で、不平等主義の社会は人種や民族のちがいを当然と考えるという。これも南米などラテン系平等主義(スペイン、イタリア)の植民地で混血が進み、北米などアングロサクソン系不平等主義(イギリス)の植民地では人種間の結婚が少ない理由を見事に説明しているようだ。

 ちなみにトッドは、平等主義が善で不平等主義が悪だという道徳的評価をしているわけではない。平等主義には「平等」のカテゴリーに入らない相手を全否定する悪弊があり、不平等主義には異なる相手を異なるままに受け入れる寛容さがある。「分割して統治せよ」のイギリス流の植民地政策はその典型だ。

 だがこの分類は、不平等主義の直系家族であるはずの日本の植民地政策には当てはまらない。周知のように、戦前の日本は五族共和、一視同仁を掲げて朝鮮や台湾のひとびとを「日本人」にし、建前のうえでは「平等」に扱おうとしたからだ。日本がなぜ不平等主義のイギリス型植民地政策を採用しなかったかは、天皇を幻想の家長とする「イエ社会主義」から説明した方が説得力があるだろう。

 もちろんここで、トッドの家族人類学の当否を論じるつもりはない。そこにさまざまな議論の余地があることを確認したうえで、「シャルリ」についての分析を見てみよう。

 トッドによれば、世界の多くの地域では「ひとつの国家=ひとつの家族制度」なのに対し、フランスには上記4つの社会制度がすべて含まれている(それ以外にもイギリス、イタリア、スペインは複数の家族制度があるが、ドイツは直系家族制度で統一されている)。フランスの主な家族型はパリ盆地と地中海沿岸の平等主義核家族と、プロヴァンスなどフランス南部(スペインとの国境沿いのオック語地方)の直系家族で、10世紀のカペー朝発足以来、パリ盆地の勢力とフランス南部の勢力が内戦と征服を繰り返してきた。中世以降のフランスの歴史は、「自由+平等」(パリ盆地)と「権威主義+不平等」(フランス南部)の対立であり、フランス革命によって平等主義核家族が直系家族に勝利したのだ。

 とはいえ、家族人類学ではいったん成立した家族制度は容易なことでは変わらない。家族型による地域対立は、現代フランスの政治・社会状況にも影を落としているはずだ。

 こうしてようやく本題にたどり着いた。『シャルリとは誰か?』は、フランスにおける家族型の対立から移民問題や政治的対立を読み解こうとする試みなのだ。

「ゾンビカトリシズム」と「ネオ共和主義」

 トッドはこの本の冒頭で、1960年に日曜のミサに参加する地域別割合の図を掲載する。それによると、パリ盆地と地中海沿岸はミサの参加率が20%未満で、南部のピレネー山脈麓から東部のアルザス=ロレーヌ、西部のブルターニュ、北部のノルマンディなどはミサへの出席率が高い。これはまさに、パリとプロヴァンスを中心とする「自由と平等」の世俗的なフランスと、それを囲む「権威主義と不平等」のカトリック的フランスの対立が20世紀半ばまでつづいていることを示しているようだ。

 この説明から誰もが、世俗的なフランスがリベラル(左翼)を志向し、カトリックのフランソが保守(右翼)を好むと思うだろう。実際、共和主義、共産主義、労働総同盟(CGT)は世俗的なフランスで発展し、伝統的な保守勢力とフランス・キリスト教労働者同盟(CFTC)は「カトリックのフランス」を拠点とした。この2つのフランスの対立が1789年(フランス革命)から1960年まで、フランスの社会および政治の基本的な構造をつくってきたのだとトッドはいう。この関係が現在もつづいているのなら話はかんたんだ。

 だが、議論はここから徐々に錯綜していく。

「私はシャルリ」を掲げたひとびとがもっとも多く集結したのはパリだった(人数だけでなく参加者の人口比も高い)。もちろん南部のボルドー、東部のリヨン、西部のレンヌ、北部のシェルブールといった「カトリックのフランス」でもデモの参加率は高い。だがパリと並んで「世俗的なフランス」を代表するニースやマルセイユなど地中海沿岸では参加率は相対的に低いのだ。

 さらに困惑するのは、2012年のフランス大統領選で極右政党である国民戦線のルペンの得票率だ。中東部のブルゴーニュなどと並んで国民戦線の牙城となったのは、もっとも世俗的なはずの地中海沿岸とパリ盆地の北東部なのだ。その一方で、同じく2012年の大統領選で社会党のオランドに投票したのはもっとも保守的なはずのピレネーなどフランス南部と西部のブルターニュだった。こうなると「世俗派」と「保守派」が逆転してしいるわけで、平等主義と不平等主義の構図が崩壊してしまう。

 そこでトッドは、2つの新奇な概念を登場させる。それが「ゾンビカトリシズム」と「ネオ共和主義」だ。

 まずトッドは、2009年にカトリックだと自己申告した割合から、フランス全土で宗教が急速に消滅していることを指摘する。従来、カトリックの影響が強かった保守的な地域における教会の消滅は無神論や啓蒙主義につながるのではなく、心理的な空白をもたらした。これが「ゾンビカトリシズム」で、そこでは彼らは“新しい神”としてユーロを崇拝する。これが、保守派がキリスト教系の政党から社会党に乗り換えた理由だとトッドはいう。

 その一方で「世俗的なフランス」は、共和主義のよき伝統を捨てて偏狭な普遍主義に堕した。普遍主義者たちは、フランスに暮らすムスリムも「自由と平等」のフランス革命の理念に完全に従うべきだと主張し、この要求を厳格に満たせない者を「平等」のカテゴリーから排除し、全否定する。その結果彼らは、イスラーム排斥を唱える国民戦線を熱烈に支持するようになった。これが「ネオ共和主義」だ。

 繰り返しになるが、シャルリ追悼デモの参加者をトッドは次のように評した。

「私はシャルリだ、私はフランス人だ、私には、自分のカトリシズムに対するのとまったく同様に他者たちのイスラム教に対しても冒涜する権利があり、さらにその義務さえもある」

 これはパリ市民がネオ共和主義になったからで、ボルテールらがかつてカトリックを冒涜したのと同様に、自分たちにはイスラームを冒涜する権利があるばかりか、イスラームへの冒涜は「共和制原理主義者」の義務なのだ。

 トッドの難解な議論を私なりに簡略化すると、シャルリとは「ネオ共和主義」と「ゾンビカトリシズム」によって変容し不寛容になったすべてのフランス人のことなのだ。

EUを支持する層と支持しない層

「家族人類学」より職業や所得の違い?

 トッドの議論がどこまで妥当性があるかは読者が判断することだが、このようなアクロバティックな理屈が必要になるのは「平等主義的核家族」と「直系家族」という枠組に拘泥しすぎているからのように思える。

 たとえばトッドは、EU創設を定めたマースリヒト条約に賛成票を投じた層と、シャルリ追悼デモの規模が、生産人口に占める上流中産階級(管理職・専門職層)の割合と相関関係にあるという。これはカトリシズムの退潮(ゾンビカトリシズム)と、ライシテ(世俗主義)を金科玉条とする中産階級(知識層)がネオ共和主義化した結果だとされるが、私見では、この変容は知識社会化におけるヨーロッパの二極化と、ヨーロッパ全体のリベラル化によってすっきり説明できそうだ。

 ヨーロッパを旅行して驚くのは、複数言語を話す(マルチリンガルの)ひとたちが急速に増えていることだ。EU成立で域内の移動が自由化されると、北欧やベネルクス三国のような小国では英語が第二外国語化した。アムステルダムやストックホルムでは、通りがかりのひとに道を訪ねれば即座に英語でこたえが返ってくる。

 彼らのなかには他のヨーロッパの言語を習得するひとたちもいて、私がモロッコのレストランで出会ったオランダ人のカップルはフランス語で店主と会話し(モロッコはかつてのフランス植民地)、ドイツ人のレズビアンカップルにはドイツ語で話しかけ、私には英語でお勧めの土産物店を教えてくれた。彼は語学の専門家ではなく、旅行好きのなかには3~4カ国語を話すひとは珍しくないのだという。

 こうしたヨーロッパのマルチリンガル化は、ドイツやイタリア、スペインなどの都市部に広がり、「フランス語以外は言語とは認めない」といわれたパリでもほとんどのレストランで英語が通じるようになった。しかしその一方で、ヨーロッパの片田舎にはいまだに英語で数も数えられないモノリンガル(単一言語)のひとたちがいる。

 労働者や農業従事者に多いモノリンガル層と、管理職・専門職層が中心のマルチリンガル層とでは、同じフランス人(イタリア人、スペイン人)でも仕事はもちろん価値観、生活習慣、趣味に至るまでまるでちがう。そう考えると、ヨーロッパにはさまざまな「国家」があるのではなく、「マルチリンガル国」と「モノリンガル国」に二極化していると考えた方がいい。リベラルなマルチリンガル層がEUを支持し、保守的なモノリンガル層が共同体を求めるとすれば、マースリヒト条約への支持層が職業や所得で分かれるのは当然なのだ。

リベラルで所得の高いマルチリンガル層が「私はシャルリ」を掲げた

 冷戦終焉後の四半世紀でヨーロッパは急速にリベラル化してきた。現在の「保守」は、かつての「リベラル」よりもずっとリベラルになっている。

[参考記事]
●極右もみんなリベラルになった社会で「保守派」の役割を考える

 かつてはリベラルで寛容だったひとたちが「イスラーム」に対して不寛容になったことを、トッドは平等主義的な家族制度の負の側面(ネオ共和主義)として説明するが、これも話はもっとシンプルだ。

 私たちの価値観が急速に変わっていることは、喫煙を例にあげるとわかりやすい。1970年代までは病院の待合室にも当たり前のように灰皿が置いてあって、風邪で咳き込む子どもの隣で大人が平然とタバコを吸っていた。80年代になっても病院の一角に喫煙スペースが設けられ、その周囲は紫煙が立ち込めていた。だがその後、こうした光景は急速に消えていく。いま病院の待合室でタバコをくわえようものなら、狂人を見るような視線を浴びることは間違いないだろう。

 同じような価値観の転換がドメスティック・バイオレンスや子どもへの虐待、同性愛者への就職差別などでも起きた(これらはどれも70年代は広く許容されていた)。この「権利革命」を牽引したのがヨーロッパのリベラルだ。

 何年か前のことだが、マレーシアの空港で搭乗を待っていると、若い白人女性の近くにアラブの夫婦が座った。バカンスらしく、白人女性はタンクトップにシュートパンツという下着のような格好をしていた。それに対してアラブ人の妻は、全身を黒のブルカで包んで目だけを出していた。そのとき白人女性がアラブ人の夫にちらりと目をやったのだが、そこには、露骨な嫌悪が表われていた。ヨーロッパのイスラーム批判の中核にあるのは宗教的対立というよりも(女性の)人権問題で、それは「多文化の共生」というリベラルの理想の適用外なのだ。

 このように考えると、マルチリンガルのリベラル(知識層)が「私はシャルリ」を掲げて街頭に出た理由もわかる。彼らはムハンマドへの冒涜を義務だと考えたのではなく、病院の待合室で堂々とタバコを吸うような行為に対して「NO」を突きつけた。リベラル化したヨーロッパにおいてイスラームは「リベラルでないもの」に分類され、市民社会から排除されつつあるのだ。

 リベラルで所得の高いマルチリンガル層がEUを支持し、「私はシャルリ」の標語を掲げた。それに対してモノリンガル層はナショナリズム(共同体)を好み、「シャルリ」にはさして興味をもたなかった(同じマルチリンガルでも、事件現場から遠い地中海沿岸ではわざわざデモに出ようとは思わなかった)。このように考えると、家族制度の複雑な議論を抜きに、知識社会における二極化とヨーロッパのリベラル化だけでフランスで起きている変化を説明できそうだ。

 もちろんこれは、イスラームの側に一方的に非があるということではない。女性の権利の明らかな侵害でも、ヒンドゥー教のインド人コミュニティが批判されることはほとんどない。だとしたらなぜイスラームだけが目の仇にされるのか、そう思うのは当然だろう。

 しかしリベラル化の大潮流は、こうした反論をいっさい受けつけない。病院の待合室でタバコを吸うことが禁じられていても、交通機関での喫煙は黙認されているかもしれない。だとしたらやるべきことは、病院での禁煙を緩和するのではなく、禁止を徹底したうえで、それを他の場所に広げていくことだ。こうして、ヨーロッパのリベラル化に合わせてこれまで社会に潜在していたイスラーム嫌悪が浮上してきたのだろう。

 これは、トッドの家族人類学がなんの意味もないという話ではない。その詳細な分析には教えられるところが多々あるが、それを一種の決定論としてヨーロッパの移民問題やテロに当てはめて複雑な議論をするよりも、もっとシンプルに考えてもいいと思うのだ。

橘 玲(たちばな あきら)

作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』(ダイヤモンド社)など。中国人の考え方、反日、歴史問題、不動産バブルなど「中国という大問題」に切り込んだ『橘玲の中国私論』が絶賛発売中。最新刊は、『「読まなくてもいい本」の読書案内』(筑摩書房刊)●橘玲『世の中の仕組みと人生のデザインを毎週木曜日に配信中!(20日間無料体験中)