不倫て略奪愛なの? そもそも愛って奪えるの? | ニコニコニュース

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ここ最近多くなされた、タレントや国会議員の不倫のニュース。ベッキーの不倫報道ではプライベートでのやりとりが公に出され、彼らの関係は「略奪愛」という言葉で表現されていました。

そして、当然のように使われている「略奪愛」という言葉の意味について、疑問をもちました。

英語には略奪愛という単語はない

「略奪愛」というと、「妻のいる男性を女性が奪った」というイメージをもつ人が大半かと思います。なぜ「略奪」という表現が使われるのでしょうか? 『大辞林』(三省堂)によると「略奪」とは、「力づく・暴力で奪い取ること」とあります。が、実際にそんなことが起きているとは思えません。

さらに、英語には「略奪愛」という言葉がありません。がんばって訳したとしても"stolen love"という表現になります。ただ、そう表現しても英語圏では通じないでしょう。文法の構造から考えても、誰かから愛を無理やり「奪う」ことができないものだから、単純に意味が成り立たないのです。

その背景には、愛はふたりの気持ちが相互にあることで成り立っている、という成熟した考えがあるからだと想像します。たとえ誰かががんばって好きな人を奪おうとしても、相手にその気持ちがなければ、奪えるはずはありません。

また、ふたりが恋に落ちたことで元々あった別の恋愛関係が壊れたとしても、それは新しい恋が始まっただけで、誰も「略奪」はしていないし、されてもいません。実際そこにいるのは「新しく出会った相手を選んだ人」ですが、日本のメディアは常に「奪った」とされる人を大批判します。また、大抵の場合それは女性であり、男性が略奪愛をしたということはあまり聞いたことがありません。

他人の恋愛は、自分には関係ないこと

私の住んでいたアメリカやヨーロッパでは、個人の意思や生き方を尊重し認める文化があります。不倫をした男女がいて、それが夫婦の別れに至ったとしても、ただそれだけのこと。

ドラ・ドーザン著『フランス人は「ママより女」』には、

「(フランスは)愛については寛容な国です。たとえ政治家でも不倫はスキャンダルになりません。フランス人はアムールについては大人なのです」

と書かれてあります。

2014年にフランスのオランド大統領に不倫騒動があったときも、「辞任をしろ」という声はあがらず、フランス人は彼のプライベートを尊重したそうです。オランダ大統領は、真夜中にパリの官邸エリゼ宮をこっそりスクーターで抜け出して愛人のジュリー・ガイエに会いに行く姿をパパラッチされましたが、不倫そのものよりは官邸のセキュリティ態勢に対する批判があったそうです。

アメリカでも不倫はスキャンダルになりますが、有名人の場合は、最初はメディアも騒ぐものの、そのふたりが結ばれたときにはふたりは正式なカップルとして認められます。

例えば、アンジェリーナ・ジョリーとブラッドピットの例がそう。当初はアンジェリーナがジェニファー・アニストンからブラッドを奪ったという見方はされていましたが、今では憧れのカップルとして全米から見られています。最終的にアンジェリーナを選びジェニファーと離婚をしたのはブラッドであり、お互いでその関係を選んでいる姿は堂々としています。

愛とは、無理やりに略奪できるほど簡単なものではなく、過程を経て、気づいたらそこにあるもの。そして、簡単にひとつの言葉で形容できるものでもありません。そしてどんな愛も、当事者にしかわからないこと。結婚しているからといって愛し合っているとは限らないし、逆に法的に認められていなくても、本当に愛し合っている形もある。不意に始まる恋もあれば、終わってしまう恋もある。

メディアが騒ぎ立てることを鵜呑みにしないで、ただ「あの人たち恋をしてるんだね」とさらっと見れるようにになれたらいいな、と思います。

image via shutterstock

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