【衝撃】実際のザビエルの髪は「ふさふさ」だったってほんと? | ニコニコニュース

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日本へ初めてキリスト教を伝えた人物といえば「フランシスコ・ザビエル」。教科書で誰もが習う、有名な話です。

本当に彼が最初に日本へキリスト教を持ち込んだ人物だったかどうかは置いておいて、今回は印象的な「髪型」の肖像画が、実際に本人を見て描かれたものではない、という話です。

あの髪型は「トンスラ」と呼ばれ、カトリック系の修道士はよくおこなっていたそうですが、肖像画が描かれたのは没後80年も経ってから。くわえてイエズス会にはその習慣がなかったとされているのです。

■日本での宣教活動は思うようにはいかなかった!

1549年、鹿児島へ到着したザビエルは、日本に対してとても好印象を持っていました。

 ・金銭よりも名誉を重んじている
 ・日本人同士の交際をみていると、たくさんの礼式がある
 ・武器を尊重し、武術を信頼している
 ・平民が武士に対して、最高の敬意を捧げるのと同様に、武士はまた領主に奉仕することを非常に自慢し、領主に平身低頭している

そして考えたのです。もし武士たちがキリスト教へ改宗したら、イエズス会にとって強力なナイトになるのではないか、と。俄然やる気になるわけです。是が非でも日本の国王的な人物に、全国どこでも布教できる許可書をもらうため、ザビエルは上京します。

しかしときは戦国時代、長く続いた応仁の乱が終わったばかりの京都は焼け野原でした。みすぼらしい身なりで現れた外国人は門前払いされ、天皇との謁見は叶わず、そして将軍の足利義輝も洛外(京都の郊外)にいたため、会えませんでした。

その後、数人の大名と面会します。大内義隆には南蛮貿易の仲介や武器・弾薬の援助と引き換えに、山口県での布教を許されましたが、やはり「全国」という目的を果たすことはできません。

そこで、ザビエルはいったんインドへ戻り、日本文化へ影響を与えている中国での布教活動を行うことを考えたのでした。しかしその道中で熱病にかかり、こころざし半ばで亡くなります。彼の遺体はマラッカで9ヶ月安置された後、インドのゴアに運ばれました。その70年後、ローマ法皇から右腕を切り落とし鮮血が確認されれば功績をたたえて、聖人に列せられると伝えられます。

さっそくザビエルの遺体から右腕を切り落とした所、鮮血が確認されたため、1622年聖人とされました。

彼のミイラは10年に一度、現在でも公開されています。

■てっぺんまで「ふさふさ」だったザビエル

さて、問題のあの肖像画ですが、誰が描いたのかはっきりしていません。ただ、作者が日本人であること、死後80年経過したころに描かれたであろうとは言われています。

外国で描かれているザビエルは髪の毛が「ふさふさ」です。遺体が安置されていたマラッカにある石像もふさふさです。

イエズス会創立メンバーであるザビエルは、トンスラを習慣としてはいなかったため、これは当然のことなのでしょう。日本人に親しみ深いあの肖像画は、世界的にはスタンダードな姿ではなかったということです。

最近では、ザビエルのようにじつは本人ではない可能性がある肖像画、というものが増えています。例えば源頼朝。あのスッとした表情の京都にある神護寺所蔵の肖像画は本人ではない可能性が高いとされています。また、西郷隆盛のぎょろっとした目と力強さを感じる肖像画も、死後に描かれたものであり、弟やいとこを参考にして描かれたとのこと。

そのほかにも、聖徳太子や武田信玄、沖田総司などなど多くの人物が別人ではないか、または実際に本人を見て描かれていないのではないか、と見直されています。ただ、ザビエルが絶対にトンスラではなかったという確証があるわけでもありません。まだまだ真相は藪の中、ということなのです。

■まとめ

・有名なザビエルの肖像画は、本人を見て描かれたものではなかった
・ザビエルの髪型はトンスラではなかった可能性が高い
・ほかにも肖像画と本人が違っている人物がいる

(沼田 有希/ガリレオワークス)