新作『リップヴァンウィンクルの花嫁』公開で岩井俊二監督が明かす創作エピソード「数十年わからなかった。あれはなんだったんだろうって…」 | ニコニコニュース

新作『リップヴァンウィンクルの花嫁』公開で岩井俊二監督が明かす創作エピソード「数十年わからなかった。あれはなんだったんだろうって…」
週プレNEWS

昨年、『花とアリス殺人事件』で初の長編アニメも手がけ、話題を呼んだ岩井俊二監督の新作『リップヴァンウィンクルの花嫁』が3月26日に公開。

待望の実写長編ということもあり、早くも反響を呼んでいるが、今作のヒロインに抜擢されたのは各方面で注目される黒木華。

彼女が演じる主人公・皆川七海は出会い系サイトで知り合った男性と結婚。それをきっかけに幸せを得たはずが、欺瞞(ぎまん)に満ちたこの世界で否応なく翻弄(ほんろう)され居場所を失っていく。

結婚式での偽装家族のバイトをキッカケに、メイドとして住み込むことになった屋敷で謎の女性・里中真白(Cocco)と同居することになるが…。

我々の生きる現実社会の危うさ、そこで見知らぬ者同士が生きていくということ。この時代に岩井監督が感じ、今作に投影する思いとは? ロングインタビュー前編では女優陣のエピソードなどを伺い、主演・黒木華に対して「惜しみない人ですね、あらゆる面で」と評したが…。

***

―それでいうと岩井さんも多方面に惜しげのない方に思えますけど。

岩井 なるべく惜しげもないところでやろうとはしてるんですけど。あんまり仕事選ばないようにしたりとか。自分のプレステージをケチると、絶対いいことないっていうか。大体、このプレステージがスゴくいいからそこ目指してやろうとすると成功しない気がするんですよ。

―でも、ご自分からステージを広げて、その時々にいろんな可能性を求められてるのでは?

岩井 それはもちろんやるんですけどね。たぶんここに止まってるだけではしょうがないので、もちろん手広く、海外行ったり、いろんなところでやれる環境を作ったりするんだけど。まぁ作れない時は作れないし。作ってくれと言われたらそこはもう縁なので。

『花とアリス』の時もアメリカ行く計画立ててたのに、自分から長編の本書いちゃって、気づいたらなぜこれを撮ってるんだろうなって。同じようなことが『打ち上げ花火(下から見るか? 横から見るか?)』の時もあって。そこでなんでやったかっていうと、やっぱりケチりたくなかったんですよね。

今ここで赤ちゃんができたんだったら産みましょうみたいな感じで。産みたいですって言ったのもまぁ失敗じゃなかったかなって思うんですけど。そういったこともあって、なんかあんまり人生って思い通りにいかないし。やっぱり縁っていうか、出来上がってるもんなんでしょうね。

―そういう積み重ねで今作にも至る、ということでしょうかね。

岩井 まぁこの映画で描きたかったのもそういう感覚なんですけどね。予定されてたこととか定められてることじゃなくて、思いもよらない出会いもあったりする中で、出会い方とかナゼ?の連続だと思うんですよ。自分が同じ体験をしたら相当、クエスチョンが付くと思うんですけど。

―決してミステリー的な手法だったりミステリー作品にジャンル分けされる映画かって言うとそうじゃないのに、どこに向かって進んでいくのか、読めずに追っかけていく感覚はすごくありましたね。ほんとローリングしてる感じで。

岩井 そこはかなり意識してやってたと思うんですけどね。大体、常にそうですけど、次こうなるよねって読まれたくないっていうか。裏をかきたいわけでもないけど、作ってる側のプライドとして、やっぱりできるだけ隙は与えたくないよなっていう。そのために時間かけて本書いたりしてるので、そこは常に頑張ってはいるところなんですけど。

ただ、自分がビックリしながら書いてたところはありましたね。最初、花嫁さんだった人が結婚式に代理出席してもらうアルバイトを雇うことになって、気がついたら自分もそのバイトのほうになっていくって…。自分でビックリしました、こんな風になっちゃうんだ、このコはって。こんなことあんのかって思いながら。だから面白かったですね、そこは。

―エンディングが思い浮かんで、そこに向けて書く方もいらっしゃいますけど。岩井さんの場合、シナリオとノベライズ版もありますが、違いは?

岩井 これは決まってなかったですね。本当にどこまでいったら終わるんだろうって思いながら…。小説のエンディングとはまた違ったりして、似て非なるものだったりするんですけど。それも面白い終わり方だなと。ただ映画はこれである必要もないかなと思ったり、いろいろありましたね。

―細かいネタでいうと、結婚式の代理出席もですが、ネット見合いだとか、別れさせ屋、偽装家族…そういうひとつひとつを普段から何気にチェックされてたんですか?

岩井 意識してニュースを見たり、ドキュメンタリー見たり、ルポタージュを読んだり、基礎知識は大体持ってるんですけど、なかなかそこから映画になることは少ないですね。本気で踏み込めばできるんでしょうけど、意外となかったりして。

で、今回出てきたのが、実はものすごい身近で起きたことが多くて。偽装家族はたまたまいた居酒屋にああいう4人組がいたんですよ。なんだろう、これはと思って。

普通に結婚式の帰りに引き出物を持った人たちなんですけど、会話が変なんですよね。どちらからいらしたんですか?とか聞き合って。まぁ他人の会話なわけです。お父さんお母さん子供達みたいな顔ぶれで家族にしか見えないんだけど、映画のエキストラの人たちかな?と(笑)。

―あのシーンそのもののシチュエーションに現実で遭遇されていたとは…。

岩井 で、ネットで調べたら、普通にサービスが出てきて。うわーあるんだってことがあったり。あと、まぁ別れさせ屋もたまたま知り合いが身の上話をしていて、それって世にいう別れさせ屋ってやつじゃないの?とか、お見合いサイトで彼女ができたって話をしてたり。実はフェイスブックにあるらしいんですよ、なんて。

そうやって意外と意外なものが非常に近くにあるんですね。で、学生時代なんですけど、その後、AV女優になる後輩がいて。自分の映画に使ってたりした女優で…。ヒロインじゃなくて、エロい母親役だったんですけど。まぁその時代からエロかったですよね。撮影が終わって、まだアフレコとか残ってる段階でデビューされてしまって。なかなかつかまらなくなって苦労したことがあったんですけど(苦笑)。

彼女の家に電話したら、お母さんが出て、ものすごい娘に対して怒ってて。もう、ああいう時の親の怒りって本能としか言いようがないくらい全否定する感じ。でも娘は娘で全然自分のやってることになんの疑いも持ってないっていう。この極端さを目の当たりにして、数十年わからなかったんですけどね、あれはなんだったんだろうって…。

―まさに作中のエピソードまんまというか。実在の方がモデルだったとは…。

岩井 まぁ彼女も異様な人でしたから…。その時の経験があって、たまたま友人の監督からAV女優の映画作りたいんで手伝ってくれって話をもらったんですね。本書いてくれないかって。で、何度もそういう人たちに会って取材とかしてたんですよ。そしたら途中で本人がもうあれは飽きたとか言い出して。ちょっと待ってくれよって(苦笑)。

じゃあ自分の作品で書いていい?って言ったら、どうぞどうぞって。その時にどっか自分でも大学時代のそのコの追体験っていうか再検証をしてた、答えを探してたと思うんですよ。興味があったんですね。

―それが真白というキャラクターに投影されているわけですね。

岩井 女優を職業とする真白が「里中真白は私にしかできない」って台詞も、本当に取材した時にAV女優さんのひとりが言ってたことにインスパイアされて。そこまでの自我同一感ってすごいとしか言いようがないなというか。岩井俊二は僕にしかできないって思ったことないよなって。“我思う以前から我あり”みたいな(笑)。そういう発想がなかったんですよ。

―この作品におけるスゴく重要なきっかけがそこに…。

岩井 そんなアイデンティティにいけたことないな自分はって考えた時に、それってある意味、幸福でもあるだろうし。でも、その職業がよりによって親からするともう全否定したいようなことでもあってっていう。なんだろう、これ?って…実はまだよくわかんないんですけどね。これは本当に人の生き様だなって。

友人の監督がこれ映画化したいって言ったのよくわかるんだけど、なんで飽きたんだろうと思って(笑)。全然飽きなかったですけどね、このテーマに関しては。でもそのまま映画化すると難易度が高いので、まぁ主役じゃなくしたことでここまでやれたってのはあるでしょうし。普通の映画の中で客観的にそのことが描けたっていうか。

―その七海と真白、両方の物語を交錯させて描いたことで成立できた?

岩井 まぁそういうのも取材してとかじゃなく、どっかに自己体験があるのって強いんだな、逆に僕はそれじゃないと作れないのかなと思いますけど。ある種、我が身として実感しないとピンともこないっていうか。頭では理解できてるんですけど、人に伝える表現にまでなかなか届かない。そういう意味では体験が必要なタイプなのかもしれないですね。

―それもまた多作ではない、他の人の脚本で監督を次々引き受けるタイプでもなく、という理由でしょうか。

岩井 まぁ監督と職業どっちなのか…。自分でも本当に映画監督だとはあんまり思っていなくて。結局、費やしてる時間のほとんどが原作だったり脚本だったり。それをやらなければ、確かに脚本をいただいて、本読みながらロケハンして、衣装合わせして現場に入って。それで岩井作品として名乗れるんだろうし、量産可能なのはわかってるんですけど。

自分の中で意外とお手本にしてるのが漫画家さんだったりとか。漫画家目指してた時があって、出版社に持ち込みとかもしてたんですけど。あの人たちのように毎週ネームを書いて物語を作って、しかも絵で仕上げていくじゃないですか。ああいうすごい人たちがいるのに負けてらんないよなって思いがあって。

―オリジナルで創作していく魅力というか、それに対する憧れが?

岩井 だから、そういうエンジンっていうか、ちょっと映画界はそこを失いすぎているなって気はしてますよね。作ってる側からすると、撮影現場に入っちゃうとカメラマンもいるし役者もいるし、そこは完全に共同作業なわけで。監督が隅から隅まで全部注文付けて、俺がやったんだぞってならない世界ですから。

その中で映画監督が達成感を得るって、プロデューサーもですけど「俺やった!」って実感をなかなか持ちづらいんですよ。監督なんて良くも悪くも「よーいスタート、はいカット!」って言ってるだけで。説明はするけど、やきもきしながらやってもらってるっていう。自分の家を大工さんに建ててもらってるオーナーって感じで。手も足も出ない(笑)。

―全権を握っている万能感かと思いきや、そこまで歯がゆさが…?

岩井 漫画を描いてた時の感覚とか、自主映画で作ってた時の感覚ってそうじゃないわけですよ。充実してるんですね、やっぱり。なんでかっていえば、お話考えてるからなんですよ。そこを奪い取られると、やってて楽しくないんだろうなって気はしますね。だから原作ものとか与えられて、そういう企画も随分やってきたけど、ほとんど失敗していて。

描き直しちゃうんですね。まるで原作の片鱗(へんりん)が残らないくらいまで書き倒さないと書いた気がしないんで。唯一、『なぞの転校生』って作品だけ自由にやらせてもらえたんですけど。あれが唯一、原作モノの成功例ですかね。

やっぱり自分で書いて納得したいんでしょうね。物語を作り上げたっていうところを楽しみたいタイプ。だから監督じゃないのかもしれないな、職業として。わかりやすいんで名乗ってはいるんですけど。

―では、求められなければ小説家として物書きに専念しても?

岩井 でも映像作るのは好きなんですよ。漫画はなんで挫折したかっていうと、それも満足しきれなかったからだし。小説も書いてて楽しいけど、やっぱりまぁ活字は大変なんですよ。自分で味わい直すのが大変っていうか、読まなきゃなんないでしょう。

書いてる時は集中できるんですけど、もう1回読み直せっていうとなかなかしんどいものがあって。映画も完成しちゃうと、観るのがまたしんどかったりするんですけど。意外とショートフィルムって、そういう意味で作ってる時も楽しいし、作った後も100回くらい観直すんです。あんな至福な瞬間ないですね(笑)。

長編であれができるかっていうと、見ることに疲れてる状態になっちゃってるんで。まぁ何年後かに久しぶりに観て、ああこういう映画だったかって時があるくらいで。やっぱり実感を求めてるのかな、きっと。

学生の時、8mmフィルムで映画撮って、自分で映写して観るっていう時もやっぱ快感で。そういうのは忘れられない時があるんですよ。原点はやっぱり変わらないっていうか、それやってるのが楽しいので。物語を考えて作って、それを映像にして仕上げと音楽付けたりして眺めてるのが好きなんでしょうね。

―それでもこうやってまた長編監督作を世に出すのは、最初に仰ってた通り、この時代の危うさでもあり、様々な題材が蓄積して満ちたタイミングでという。

岩井 そうですね。ただ、作ってる時はそんなに緩やかな気分で作ってることは少なくて。もっと急かされてやってることのほうが多いですね。むしろ誰かにプレッシャーかけてもらって、ぐりぐり引きずり出されてっていうほうが多いですけどね。

―それにしても、本当に岩井さんのやられてることが手広すぎて。追い切れないくらいなんですけど(笑)。自分としては何を目指してとかでもなく、身を任せてる感じですか?

岩井 そうですね。環境作りとしてはこの数年でアメリカでも映画作れるようになったし、もうチームがあるので企画を持っていけば走れるんですよ。同じものが中国にも韓国にもあって、これも下準備できてますし。去年、アニメをやっちゃったんで(『花とアリス殺人事件』)そのチームも持ってるんですね。

っていうと、4ヶ国×実写かアニメかって8パターンくらいあるってことなんですかね。どっちで何をやればいいんだっていう嬉しい迷いはあるんですけど。こういうのが意外とバカにはなんなくて、自分では相当、偉業を成し遂げたなって思うんですけど。日本で実写だけやってたら、いつ撮れなくなるかわかんないですもんね。予算が残念ながらどんどん下がってますし、なかなか自由自在に撮れる状況ではないんで。

―岩井さんを取り巻く状況でさえもそこまで…という感じですが。

岩井 って考えると、それだけで精神的に参っちゃう人たちもたくさんいると思うんですよ。他で保険をかけていかないとって。でもそれって本末転倒なことになったりするじゃないですか? それはできるだけ避けたいなと思うので。

僕はここまでフィールドを広げてこれたんで、当面そこで苦しまなくていいっていうか。それは他の方々がやってこなかった努力を地道にいろんな国に行って、いろんな人たちに会ってって自分なりに開拓してきたことなんで。そこはいいんですけどね。

そういう中で、じゃあ次は何をってところは常に白紙で…。漫画やってた頃から同じで、白紙の紙にネーム書かなきゃいけない過酷さっていうのはありますよね。

まぁ過去作品でも企画があって本になってたり、絵コンテまでできてるものもあったりして、ストックやってるだけで5年10年保つのもわかってるんですけど。それやっちゃうと結局、物語を作るっていう勘が失われるのもイヤだというのがあって。これだけは休ませたくないなと。

―これまでの蓄積でビジネスとしては回るし、それを消化する必要もあるけど…という。創作とはまた別な話で。

岩井 それで常日頃、自分が新たに書いてるかっていうとそうでもないんですけど。今のローテーションを崩して、また戻らなきゃいけないと思うのも過酷で恐ろしい場所ですから。それで他の監督みたいに、書かなくていいじゃん、監督だけしてればいいじゃんとか。年とって体も動かなくなってきたら、自分もいつかは思うかもしれないけど。

心身共にそこに向かい合える限りはそれを続けなきゃっていう。今まさにこの映画が終わったら、次また白紙に向かい合わなきゃいけないわけで。そこだけは辛いんですよ。それを抜きにしたら後は楽しいことばかりで…。まぁヒットするとかしないとかって悩ましいところはあるんでしょうけど(笑)。

―生みの辛さと向かい合える限り、またオリジナルを期待してもいいでしょうかね。

岩井 何にしろ、ない話を作るっていうのは、あらゆる漫画家さんや小説家、オリジナルライターであり、本を書いてる人たちが苦悩する場所ですから。やっぱり手放した時点でひとつの引退を迎えるってことだなと思うし。その後の監督業っていうのもなくはないんでしょうけど、今はまだそこは考えたくないところかなって。楽しみでもあり、恐ろしくもありっていう次回作ですよね。

―ではまたその際はお話を伺えればと。本日は長々とありがとうございました。

(取材・文/週プレNEWS編集長・貝山弘一 撮影/首藤幹夫)

●岩井俊二

1963年生まれ、仙台市出身。横浜国大在学中の88年からドラマやミュージックビデオ、CFなど多方面の映像世界で活動を始め、独特な映像美が“岩井 ワールド”と評され注目される。主な監督作に『打上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』(93年)、『Love Letter』(95年)、『スワロウテイル』(96年)、『四月物語』(98年)、『リリイ・シュシュのすべて』(01年)、『花とアリス』(04 年)、海外にも活動を広げ、『ヴゥンパイア』(12年)などがある。また小説家や作曲家としての創作活動も幅広く、2012年には震災復興の支援ソング 「花は咲く」の作詩も手がける