ジェンダーロールに影響を与えたゲームデザイン 広告展開が男女の役割分担を明確にした?【GDC 2016】 | ニコニコニュース

文・取材・撮影:編集部 古屋陽一

●女性が公の場でチェスを遊べなくなった理由

 2016年3月14日~18日(現地時間)、アメリカ・サンフランシスコ モスコーニセンターにて、ゲームクリエイターの技術交流を目的とした世界最大規模のセッション、GDC(ゲーム・デベロッパーズ・カンファレンス)2016が開催された。

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 ここでは、会期最終日に行われた、“History Shaping Design: Gender Roles As Shown In Centuries of Game Design(時代が形作るデザイン:ゲームデザインの歴史に見るジェンダーロール)”の模様をお届けしよう。ジェンダーロールとは、性別によって社会から期待されたり、みずから表現する役割や行動様式のこと。要はゲームにおける性別の役割の事例を紹介した内容となる。ただし、本講演でフォーカスしているのは、どちらかというとボードゲーム。講演を行ったUntameのゲームデザイナー、ジュリア・ケレン・デタ氏によると、「昨年GDCでボードゲーム関連のセッションを行ったあとで、ボードゲームにおけるジェンダーロールのありかたに興味を惹かれた」ことが、今回の講演のきっかけになったとのことだ。一例を挙げると、1860年にミルトン・ブラッドリー氏により制作されたボードゲーム『The Game Of Life』(『人生ゲーム』の原型)では、100周年バージョンで“男女のコマ”が、新要素として追加されたという。この100年のあいだに、男女の役割というのは確実に変化してきたのだ。

 ちなみに、Untameに所属するジュリア・ケレン・デタ氏が手掛けているのは、『Mushroom11(マッシュルーム11)』というインディーゲーム。東京ゲームショウ2015のインディーブースで出展されて、話題を集めた1作だ。

 さて、ずっと昔からゲームや玩具は子どもが人生や責任について学べる役割を果たしてきた。そして、多くの社会では特定の仕事が特定の性別に強く結び付けられていたという。講演では、かつて制作された玩具の写真として、女性がパンを作ったり、子どもの世話をする一方で、男性が畑仕事をする……という様子が紹介。「これらを通して、子どもは大人になったときに、自分がどのような仕事をするのかを学んだわけです」とジュリア氏は言う。

 一方で、同じゲームでも、性別により好まれかたが異なるという。1895年に刊行されたM.H.グッドウィン氏による『The serious side of jump rope』という縄跳びをテーマにした書物では、子どもが縄跳びをみずからの振る舞いを見つめ直したり、現実社会におけるさまざまな問題に対処するための手段として使っていることを紹介しているのだが、同書では男女間で縄跳びに対する扱われかたが異なることが報告されている。同書によると、女子が遊ぶときは、誰と遊ぶかや見た目が大事で、男子の場合はいかにすごいプレイをするかが重視されるという。

 続けて講演では、一例として、チェスにおけるルールと社会受容の移り変わりが、いかにジェンダーロールに変化をもたらしてきたかを俯瞰する。チェスは、10世紀くらいにペルシャから西ヨーロッパに伝わり、徐々に進化を遂げてきたようであるが、初期はクイーンは2番目に弱い駒だったという。また、いちばん弱いポーンが“プロモーション(いちばん奥まで進むと昇格できる)”するとクイーンになることから、「当時のポーンは女性と考えられると思う」とジュリア氏。そして何よりも、当時のチェスは駒の動きがかなり制限されており、いまよりも進展がずっと緩やかだったという。「戦争というよりは、ロマンスのようなものだった」(ジュリア氏)なのだとか。ちなみに、どれくらい緩やかだったかというと、1試合が1日~数日にわたるほどだったという。

 こうしたゲーム性とも相まって、当時チェスは中流~上流階級の女性にとっては、知的さを魅せつけるものだったという。そして女性が公の場でチェスを遊ぶことが推奨される雰囲気ができあがり、11世紀初頭には“愛のゲーム”として知られるようになったのだとか。

 そんなチェスに対して、1495年に歴史を大きく変える出来事が起こる。“Queen's Chess”の登場だ。この“Queen's Chess”により、クイーンがめちゃくちゃに強くなった。一部の歴史学者によると、当時の女性活動家が関与したのではないかと目されるこのクイーンの大幅強化により、「チェスは何日もかかるものから戦争になった」(ジュリア氏)。そして女性は17世紀から公の場でチェスを遊ばなくなった……。クイーンの強化が、女性が公の場でチェスを遊ぶことを遠ざけるようになるとは、何とも皮肉な話ではある。

●広告が影響を与えた男女の役割の違い

 さて、講演はアメリカにおける社会的背景の変化とボードゲームの扱いについてのお話に。かつて、アメリカでは、“教育用具”としての側面を打ち出した広告が多かった。また、家族で遊ぶ姿が多く活用されており、実際にそのように遊ばれることが想定されていた。つまり、性別に関係なく遊ばれていたということだ。

 一方で、特定の性別に向けた玩具やゲームも当然存在しており、それらも時代の示す性別像を示唆するものとなっていた。たとえば、女性にとっては家計管理やミシンのおもちゃが、男子にとっては建築関係のおもちゃがそれにあたる。ジュリア氏は、「驚きだったのは、1920年代では、特定の性別に向けたおもちゃの広告は全体の半分程度でした」と口にする。20世紀には、家族で男女揃って遊んでいる広告がふつうになったという。

 1950年以降はテレビCMの影響が強くなった。そして、Gimbelsのような大型小売店が登場し、それらのメガ店舗の影響力が大きくなったようだ。それまでは小さな店舗に品物を卸していた製造元も、大型小売店からの“売れるものを作る”というプレッシャーを受けるようになった。それとともに、ボードゲームとテレビ番組とのコラボなども展開されるようになったようだ。

 1964年のヒット作『Mystery Date』は、衣装を集めてデートに行くという内容で、同作からもうかがえるとおり、ボードゲームに当時の価値観が反映されるようになってきたという。「ことにアメリカでは消費主義の影響が強く感じられるようになってきた」とジュリア氏。時代は“消費者による消費”を意識したものにシフトしていったようだ。

 ちなみに、1960年代のボードゲーム3大大手と言えば、Milton Bradley、Parker Brothers、Selchow & Righter。そのころのボードゲームメーカーは、いまで言うインディーゲームのような“ニッチな攻めた内容のボードゲーム”を作っていたという。本講演の趣旨とは少し外れるかもしれないが、興味深いので少しピックアップしよう。

■『He She Him Her』1960年

 男女に分かれ、男性は女性をボードの中心にある“キッチン”に閉じ込めることを、女性はボードの外側に到達することを目指してゲームが進行する。プレイするときは、男性が女性役、女性が男性役をプレイするように推奨されていた。「インディーゲームという潮流は最近できたような気がしていたけど、このゲームを見て昔からそういうスピリットはあったんだと再認識させられた」(ジュリア氏)。

■『The Exciting game of Career Girls』1966年

 キャリアウーマンを目指すボードゲーム。用意されている職業の幅が狭く、女性差別的だった。同時期に発売された男子版である『The Exciting game of career boys』には、さまざまな職業が用意されていた。『The Exciting game of Career Girls』は10年後に改訂版が発売され、宇宙飛行士などにもなれるように。また、かつてはパッケージイラストが白人だけだったが、改訂版では人種的多様性が見えるようになるなど、人種的配慮が施されるようになった。ちなみに、人種的配慮の流れは1970年代になって加速したらしい。

 「興味深いのは、1975年時点での玩具広告のうち、特定の性別向けはたった2%だったということ」とジュリア氏。「当日は性別による社会的役割の固定はなくそうという流れがあったので、広告もそれに倣ったものになっていたのでは?」と、ジュリア氏は分析する。

 ところが……、玩具広告の研究によると、1970年代、80年代は特定の性別に向けた玩具広告はなかったのに、1990年代になると流れは完全に反対になったという。ある研究者は、これは1980年代に施行された、子ども向けテレビ番組の規制緩和が関係していると推測する。具体的には、これまでは子ども向けテレビ番組における広告の内容や比率が規制されていたものが、1980年代中盤を境に大幅な規制緩和。さらに玩具メーカーがそれを受けて、テレビ番組とタイアップした玩具の売り出しに積極的になったからだという。

 玩具会社とPR会社は、これまでテレビで楽しまれていたキャラクターやスーパーヒーローを玩具にすることで子どもたちにより親しまれるようにした。これが加速していった結果、“男の子にはスーパーヒーロー、女の子にはプリンセス”という傾向が深く浸透するようになった。こうして“女の子はピンクが好き”、“男の子は青が好き”となった。三輪車なども、女の子向けはピンクに、男の子向けはブルーが売られるようになったという。

 こういった流れを受けて、子どもたちが“そういうものだ”と思い込むことによって、その傾向はさらに強化されていった。つまり、PRにおいても特定の性別に向けて売り込むほうが、有効な土壌ができたという。これが、「こっちは女の子向け、あっちは男の子向け」という流れになった。「こうして、いまの欧米における流れができた」とジュリア氏は言う。「これは“女性は女性らしく”という押し込めの悪影響だけではなくて、家庭のことをする男性を減らすという悪影響もある」とジュリア氏。

 もちろん、いまはそれに対する反動も出ており、1970年代の流れに回帰しようという運動もあるという。たとえば、Let Toys Be Toysというイギリスの活動グループは、ジェンダー的に中立な広告に戻れと主張しているのだとか。ジュリア氏も「今後はそういった活動が成果を結ぶことを願っています」と言う。

 最後にジュリア氏は言う。「さて、ビデオゲームに立ち返ると、ゲーマーのおよそ半分が女性なのは周知の事実ですよね。そしていまやゲーム業界は、自身の作るゲームがどのような人たちに遊ばれているかについて、とても自覚的になってきています。だけど、こうして歴史を振り返ってみると“自分たちの行いがどれほど文化に影響を与えるか”について、気を使うべきだと感じます。自分が作ったゲームを遊んだときに、ゲーマーは何を思うだろう? 何が残るだろう? と考えることが大事だと思います」。

 広告が、男女の役割の流れを作っていったとの分析は極めて興味深い。そして、ジュリア氏が指摘するように、ゲームコンテンツが文化に与える影響は、いまや無視できないものがあるだろう。ジェンダーロールに関心を促す講演は、クリエイターにとっても極めて興味深かったのでは?