報ステ・古舘、最後の言葉1「窮屈になってきました」 | ニコニコニュース

3月31日の放送をもって、古舘伊知郎が「報道ステーション」(テレビ朝日系)のメーンキャスターの座を降りた。

'04年4月のキャスター就任から丸12年。古舘は、さまざまなニュースと向き合い、国内外を精力的に取材してきた。

この日はお天気キャスターの林美沙希アナ、スポーツキャスターの青山愛アナもそろって最後に。

番組最後のおよそ10分間、古舘は下記のようなコメントで、テレビ朝日の“夜の顔”としての役目を終えた。

■古舘伊知郎「報道ステーション」最後のコメント その1

2004年の4月5日に、この「報道ステーション」という番組は産声を上げました。それから12年の歳月があっという間に流れました。

なんとか、私の古巣である、学び舎であるテレビ朝日に貢献できればという思いも強くあって、この大任を引き受けさせていただきました。おかげをもちまして、風邪などひとつ引くこともなく無遅刻無欠勤で12年やらせていただくことができました。

これもひとえにテレビの前で今!ご覧になっている皆さま方の支えがあったればこそだなと本当に痛感しております。ありがとうございました。

私は毎日毎日この12年間、毎日毎日テレビ局に送られてくる皆さま方からの感想、電話、メールなどをまとめたものをずーっと読ませていただきました。それはお褒めの言葉に喜び、そして徹底的な罵倒に傷付いたこともありました。でも、全部ひっくるめて「ありがたいな」と今思っております。

というのも、ふとある時気付くんですね。いろんなことを言ってくるけれども、考えてみたら私もこの電波という公器を使って善かれかしとはいえ、いろんなことをしゃべらせていただいている。絶対、どっかで誰かが傷付いてるんですよねそれは因果はめぐって自分がまた傷付けられて当然だと、だんだん素直に思えるようになりました。こういうふうに言えるようになったのも、やはり皆さん方に育てていただいたんだなと強く思います。

そして私がこんなに元気なのになんで辞めると決意したのかということも簡単にお話するとすれば、そもそも私が12年前にどんな報道番組をやりたかったのかにつながるんです。それは言葉にすると簡単なんです。もっともっと普段着で、もっともっとネクタイなどをせず、まぁ言葉遣いも普段着で、司法言葉とかじゃなくて普通の言葉でざっくばらんなニュース番組を作りたいと真剣に思ってきたんです。

ところが現実は、そんなに甘くありませんでした。例えばですね「いわゆるこれが事実上の解散宣言とみられています」。「いわゆる」が付く、「事実上」を付けなくていけない、「みられている」というふうに言わなくてはいけない。これはね、どうしたって必要なことなんです。やっぱりテレビ局としても、放送する側としても「誰かを傷付けちゃいけない」ということも含めて、二重三重の“言葉の損害保険”をかけなくてはいけないわけですよね。

そして裁判でも「自白の任意性が焦点となっています」。任意性…普段あまりそういう言葉を使わないですよね。本当にそういうふうに語ったのか、あるいは強制されたのかで言いわけでホントは。例えばですね、これから今夜の夕食だという時に「きょうの夕食は、これは接待ですか、任意ですか」とは言わないわけです。

だけど、そういうことをガチッと固めてニュースはやらなくてはいけない。そういう中で正直申しますと窮屈になってきました。もうちょっと私は自分なりの言葉やしゃべりで皆さんを楽しませたい!というようなわがままな欲求が募ってまいりました。

12年、苦労してやらせていただいたというささやかな自負もありましたので、テレビ朝日にお願いをして「退かせてください」ということを言いました。

これが真相であります。ですからちまたの一部でですね、何らかの直接プレッシャーや圧力が私にかかって、私は辞めさせられるとか辞めるとか、そういうことでは一切ございません!

ですから、そういう意味では私のこういうしゃべりや番組を支持くださっていた方にとっては、私が急に辞めるというのは裏切りにもつながります。本当にお許しください。申し訳ありません。私のわがままです。

【報ステ・古舘、最後の言葉2「死んでまた再生します」】に続く