こじれた乙女心のルーツ?『なかよし』を20年ぶりに読み直す | ニコニコニュース

こじれた乙女心のルーツ?『なかよし』を20年ぶりに読み直す
独女通信

男性を見ても「カッコ良くない」「優しくない」「キュンとこない」。アラサーにもなると、乙女心が曲がって成長していることがあります。

そこで今回は、我らアラサーの乙女心の基礎である「少女マンガ雑誌」を、約20年ぶりに読んでみることにしました。改めて大人になって冷静に読み返すと、私達はどんな男性像を望んでいたのか、どんな刷り込みがされていたのか見えてくるかもしれません。さあ、少女マンガの世界へカムバック!

■ 『なかよし』に20年ぶりに再会

ところであなたは、少女マンガ雑誌は何派でしたか? 私は「美少女戦士セーラームーン」が大好きだったので、もっぱら『なかよし』派でした。ということで、約20年ぶりになかよしを購入。店員さんに不思議な目で見られましたが、気にしません。心はまだ少女!

まず開封して驚いたのは、その付録のクオリティ。昔は組み立て式だった付録が、すでに出来合いの物に変わっているのです。今月号はジュエルボックスということですが、かなり厚手で撥水加工もなされ、鏡までついてる! 質の高さに驚きました。

続いて本編であるマンガを読み進めていくと、ある異変に気付きます。高校生の学園モノが約8割なのです。変身モノはほぼ無い(ファンタジー系は1作品)という変貌ぶりでした。

筆者が読者だった頃は、セーラームーン全盛期。なかよしではセラムン、りぼんでは「ナースエンジェルりりかSOS」「神風怪盗ジャンヌ」、ちゃおでは「愛天使伝説ウエディングピーチ」など、人気の変身モノが沢山ありました。これも時代の流れでしょうか。

■ キャラクターの区別がつきません

寂しさを感じながらも読んでいくと、作品は違えどストーリーにもキャラクターにも、一定の共通点があることが分かりました。我々アラサーが現役読者だった当時もそうだったであろう、乙女心への理解を深められそうなポイントが見えてきました。

・主人公(女子キャラクター)

女子はほとんど低身長。そしてどこか鈍臭く天然。とにかく周りが「しょうがないなー」と思ってしまうような素直な子が多いです。

一部の作品ではオタクで秀才な女子キャラクターもいましたが、謎にヒーロー男子からモテてるし、ヒーローの前ではやはり超鈍臭くなるという設定でした。

間違っても女子会をしてギャーギャー騒いだり、「カッコ良くない」「優しくない」「キュンとこない」なんて言う女子は出てきません。そして言わずもがな、全員絶対的な美少女!

・相手役(男性キャラクター)

ほぼ全員高身長、ちょっとツンツン系。スポーツが何かしら物凄いレベルでできる(県大会以上)。だいたい学園のヒーロー的存在。

そして、クライマックスで必ず一芸を披露するという芸達者ぶり(デコキスや頭なでなで、肩グイなど)。また、全員髪の毛は長めでいわゆるジャニーズ系です。間違ってもエグザイル系やスポーツ狩りのイケメンは出てきません。

これらを踏まえると、やはり「カッコ良さ」を昔から刷り込まれていたように感じます。また、「守ってあげたい女でないと、男から相手にされない」という思い込みも、この頃に教えられている気がします。

■ ストーリーにも一定の特徴あり

続いてストーリーをざっと流していくと、やはり共通点が2つあります。

・絶対フラれない

ラブストーリーだから当然なのですが、スムーズにお互いが近づきカップル成立か、フラれても実は好きだったという設定ばかりです。それは小学生向きのマンガ雑誌だから、仕方のないことなのでしょう。

・努力は必ず実を結ぶ

とにかく真っすぐで素直な主人公なので、色々頑張っています。男性キャラクターと一緒にスポーツしたり、応援したり、お菓子を焼いたり。

その努力は100%報われます。現実に置き換えると凄い話なのですが、今回読んだ作品のほとんどは、そうでした。私も、努力が必ず報われる世界で生きたい!

今回改めて読んでみて、我々女子の「キュン」とする感情を大切にする乙女心は、少女マンガ雑誌からもらい、心の中で今もすくすくと育てているのだと実感しました。

なぜなら、作品内で男子が必ず「キュン」をくり出すのです。1作品中1,2回はあるので、1冊読み終える頃には、もう20キュンくらい感じている。それが毎月繰り返されていたわけですから、私たちの中で「キュン」に対する重要度は高まり、大切な感情として扱われているのは間違いありません。

乙女心と少女マンガ雑誌。それは、アラサーになっても影響を及ぼすような存在でした。20年の時を経て見ることで当時の純真な乙女心を思い出すと共に、その呪縛に囚われすぎて、知らぬ間に乙女心がこじれていたことを痛感。「キュン」を求めすぎるのもいけないな、と感じたのでした。(おおしまりえ)