「つくる」地域活動に、「俺が何とかする!」という人が必ず現れる理由 | ニコニコニュース

プレジデントオンライン

■地域活動とリソース

最近、社会人による地域活動がますます盛んになってきているようです。

それは、単にボランティアという滅私奉公的なものでもないんだと思います。社会の中で自分の新しい役割や楽しみ、やりがいを見いだすためのものとして、「地域活動」は新しいポジションを築きつつあるように感じます。

楽しく活動していても、必ずぶつかるのが「リソース」の問題です。やりたいことを継続するには、場所や材料、人手といった活動資源の調達が欠かせません。

僕たちの生きている現代社会はよくできていて、この「リソース」のほとんどは、お金(貨幣)があれば手に入れることができます。厳密には、お金と交換してもらうことができます。だから、お金はめちゃくちゃ便利です。でも、そんなお金が回り続ける仕組みを成立させるのは、多くの人にとって簡単なことじゃありません。

お金がないけど、なんとかこれを実現したい。必要なものを調達したい。

地域活動を成功させている人たちは、そうやって悩んでいると、なぜか必ず、「俺が何とかしてやる!」という人が現れるんだ、と言います。

そして、その人たちが、自分の得意分野を活かしてすごい勢いと力で「何とかしてくれる」ようなのです。それは、そのうち1人や2人だけじゃなく、「何とかしてくれる人たち」というチームになっていくようです。普通の市民や若者だけでなく、地元の会社経営者や商店の店主だったりして、すべてお金に換算したら、きっとかなりの額になります。

「俺が何とかする!」という人たちは、1回だけじゃなくて、次も何とかしてくれるようです。もしこれが、ただのボランティアだとしたら、「そろそろ続けられない……」となってしまうんだと思います。「出ていくだけ」や「与えるだけ」では、「何とかする!」は続けられません。

■「つくる」のが楽しいからやってるんだ

うまく継続している地域活動と、「俺が何とかする!」という人との間には、お金が循環する仕組みはできてなくても、不思議な「協力関係」が循環しているようにみえます。このようなものを、「人間関係資本」や「ソーシャル・キャピタル」と呼んだりするようです。この協力関係は、貨幣と違って金額の数値で交換できる範囲や条件が決まっているわけではないので、リソースが不足している時にその不足を補うためであれば、「そこまでしてもらえるの!?」というくらい、ものすごく大きな力になることもあるようです。

「俺が何とかする!」という人はなぜ現れ、そしてそれはなぜ循環するのでしょうか?

おそらく、「俺が何とかする!」と言ってくれるような人たちは、その活動に関わることで、「リターン」なるものを自ら見出すことができているのだと思います。そして、もっと言えば、「何とかする!」が大きければ大きいほど、きっと得られる(見出だせる)リターンも大きくなるんでしょう。

ここで言う「リターン」とは何なのか? それは、きっと人それぞれなんだと思います。ただ、多くの「俺が何とかする!」という人たちは、口をそろえて「『つくる』のが楽しいからやってるんだ」と言います。

よく考えてみれば、僕たちが知っている、仕組みとして循環している「仕事」の多くは、対価を「得る」ために「こなす」ことがほとんどです。だからこそ、普段の仕事や生活の中からだけではつくりだせないものを、地域や社会の関係の中でつくり出したい。

僕たちは今、「得る」ということ以上に「つくる」ということを求めているのかもしれません。何をつくるか、ではなく、「つくる」という活動そのものに、人間としての意義を見出だしている、とまでいうと大げさでしょうか……。

市民による地域活動の意義や可能性については、まだまだ議論も発展途上で、開発の余地がある未熟な分野だと思います。

もちろん、お金が循環するビジネスの仕組みは素晴らしいし、助成金などを有効に活用していく、ということも大切ですが、まずはその活動に関わる1人ひとりが「つくる」ということの楽しさを見出して、それに夢中になっている、ということがとても重要な気がしています。