「お客なんだからエラい」という錯覚が生まれるメカニズム | ニコニコニュース

「客=エラい」という考えは錯覚
ITmedia ビジネスオンライン

 先日、コンサルティングの現場で、お客さんから罵声に関する話を聞いた。「カスタマーハラスメント」と呼ばれるこの行為、多くはクレーム対応時に発生する。どうやら、「こっちはお客なんだから、カネを払う立場だからエラい」という意識が大きくなりすぎてのことらしいが、その内容が常軌を逸しているという。

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 そこで、今回は「お客さんは本当にエラいのか?」ということについて考えてみたいと思う。

●「お金を払うからエラい」というわけではない

 筆者がコンビニを運営していたとき、よく来てくれるお客さんがいた。ここでは割愛するが実は非常に面倒なクレーマーで、ほとほと手を焼いていた。シビレを切らした筆者はとうとう、伝家の宝刀「出入り禁止」を抜いた。

 「うるせー、コッチは客なんだぞ。客に向かってそんなこと言っていいのかよ!」と怒鳴り散らして散々文句を言っていたが、商売とはいえ、こちらにも客を選ぶ権利はある。第一、そんな人がいたのでは他のお客さんにも迷惑だし、何より店の印象が悪くなる。

 筆者にとっては、お客さんを1人失い、わずかな売り上げを逃したことになったが、そのクレーマーも自宅から遠い所へ買い物に行くハメになった。買い物ができずに困るということは、つまり、お金を払う立場に優位性があるわけではないということだ。

●客が持っている情報は2つだけ

 なぜ「客=エラい」という意識を持っている人がいるのだろうか。原因は「お客の情報量の少なさから生まれてくる感情」だと筆者は考えている。

 例えば、スーパーに買い物に行ったとき、店員から「今日は大根がお買い得だよ!」と聞いて思わず買ってしまった経験はないだろうか。このとき、あなたが持っていた情報は、貼ってある商品の価格と店員からの「お得だよ」というセリフのみ。

 しかし、店側には商品の原価や売価から得られる利益、大根はどれくらい鮮度を保てるのかなど、実はさまざまな情報がある。極端な話、その情報の中からお客さんの購買欲をあおる情報だけを提供すればいいのだ。

 大根などは鮮度が落ちれば簡単に見分けがつくのでさほど大きな問題は起こらないだろうが、かつての廃棄カツ横流し事件のように、安いモノにはそれなりの理由がある。賢明なお客さんなら疑問を感じるはずだ。「お買い得?」「なんで安いの?」「それ、大丈夫なの?」と。

 都合の良い情報だけを開示していると詐欺まがいなことが横行するため、現在では法律によって開示すべき情報が義務付けられている。それでも、店側が多くの情報を持っていることに変わりはないのだ。

「客=エラい」という錯覚

 では、情報の少ないお客さんに気分よく商品を買ってもらうにはどうすればいいのか? 答えは簡単、接客の仕方だ。やましいことはなくとも、店側は全ての情報をあれこれ聞かれたくない。だからこそ、丁寧な言葉づかいと親切な対応を心掛ける。筆者は、「接客のレべルは利益率の高さに比例する」と考えている。

 「社長、ゴキゲンですねえ。一杯やっていきませんか?」「今日はちょっといいのが入ったんで特別にサービスしますよ」。金払いの良いお客ほど、扱いが良くなる。飲み屋などではよく見掛ける光景だ。

 ところが、こうした接客が積み重なると、お客は「自分はエラい」「客だからエラい」と錯覚するようになる。中には度を過ぎたお客さんもいる。相手を威圧するようなものの言い方をされれば、店側としても「なんでそこまで言われて黙っていなきゃいけないのか?」「お客さんはそんなにエラいのか?」――そんな疑問を抱くようになる。

 ネットなどで情報が簡単に得られるようになり、お客さんと店との情報量の差は狭くなった。ある商品やサービスについて、情報弱者であるお客さんを「エラい」と思わせなくてもよくなった今、果たして“猫なで声”は必要だろうか?

 現在は、そういう店側の思いがお客さんの横柄な態度に対する寛容さを失わせていると筆者は推測している。

人は“鏡”

 少し専門的な話になるが、「感情労働(emotional labor)※」という言葉をご存じだろうか。社会学者A・R・ホックシールド氏の著書によると、感情労働において労働者は以下の2つの演技を行っているとある。

・表層演技:感情の表出のみを変化させる

・深層演技:内面の感情の経験を変化させることによって、適切な感情の表出を導く

※感情労働=公的に観察が可能な表情と身体的な表現を作るために行う感情の管理。(参照:『管理される心――感情が商品になるとき』)

 近年、感情労働に関する研究は進み、勤務時において感情を表に出すことはネガティブにもポジティブにも作用することが分かってきた。その中で、ポジティブな深層演技によって労働者のストレスが軽減したという事例が見つかったという。

 組織的な面から見ても、ポジティブな影響が多くなるとお客さんとの関係も良好になり、社内も活性化することから、現在、ポジティブさを全面に出す企業研修が増えてきている。

 つまり、「お客さんはエラい」どうこうではなく、誠心誠意をつくしお客さんといい関係を築くことで業員側のストレスも軽減するメリットがあるということ。人は、自分の気持ちが相手に映し出される“鏡”なのだ。

 ただ、尽くすことが本心なら問題ないが、「顔で笑って心で泣いて」というムリな状態が続くと大きなストレスとなり、「お客さんはそんなにエラいのか?」という思考回路に陥ってしまうので気を付けたい。

 最近はTwitterやFacebookなどのSNSでお店でのマナーについて議論されることもあり、従業員に対する一方的な“イジメ”とも言える行為は嫌われるようになった。一部のモンスタークレーマーを除いては、従業員を召し使いのごとく扱うお客さんは少なくなってきたように思う。

 「お客さんはエラいのか?」。この問いに対して、明確な答えはいまだ持ち合わせていない。ただ、30年以上接客業に関わった筆者の経験から言えるのは、「お客さんはエラくない。エラいと思わせてしまったのは売り手側」だということだ。

 接客の基本はいたってシンプル、難しいことではない。お客さんを持ち上げて勘違いさせるのではなく、誠心誠意尽くして良好な関係を築く。プロとしてその仕事にとことん徹すれば、クレームの対応もさほど難しいことではなくなるのではないだろうか。

 一方で、コンビニのような接客にスピードを求められるシーンでは、時間をかけて丁寧にすることが、逆にクレームにつながる場合もある。このような場合、従業員側のがんばりとお客さんのニーズに大きな溝を生んでしまう。結果、感情の処理を誤ることになり、ネガティブな感情を生み出す。最悪、精神的に病んでしまうこともあるのだ。

 「お客さんはエラいのか」そんな思いがよぎったら、「いやいやお客さんをエラくしている自分がエラい」と思ってみてはいかがだろうか。そんな接客をしている人が、「エラい」のだ。

(川乃もりや)