omoplatta: [reading log] ジャロン・ラニアー: 人間はガジェットではない

英語で気になっていた、ジャロン・ラニアーによる人間中心主義の提言書「人間はガジェットではない」が、ついに邦訳された.こういうところを突いてくる辺り、ハヤカワ新書の一歩先に行っている姿勢を出す頑張りに、好感が持てる.

ざっくり内容、合わせて読みたいリンク、注目したい点についてまとめておく.


ジャロン・ラニアーとは

著者のジャロン・ラニアーとは、言わずと知れた奇人であり、バーチャル・リアリティの父であり、現在はマイクロソフトの客員研究員、UCバークレー校起業家・技術センター客員研究員になっている.

相変わらずの縮れドレッドヘアをトレードマークに第一線で創造的な研究を続けている.

また、音楽家・ビジュアルアーティストとしての顔も有名である.(ケビン・ケリーのエッセイに音楽家として登場している)

その仕事の幅、類を見ない独創性はさしずめ現代版ダ・ビンチのごときだ.

彼の

homepage

で自慢のルックスが見れる.

本書の内容

そんな彼が書く本書は、今発生し始めている集団主義“ウェブ 2.0”“オープンソースカルチャー”や“ロング・テール”,"ノウスフィア”

などのカルチャーを、人間個々の創造性を失わせ、堕落に導くものとして徹底批判している.

また、それを主導する人物たちの背後にある思想を”サイバネティクス全体主義”と呼び、

その思想自体に問題があるというよりは、それを安易に鵜呑みにし、考えもせず乗っかているユーザーにこそ問題があるとしている.

そこで書の前半では、これらカルチャーに反する考えを延々と述べ,それが間違った方向であると説得を試みている.

そして後半では、人間主義を強化する、あり得る発展の方向性を、自ら仕掛けているプロジェクトと共に、部分的ながら提示をしている.

この前半/後半の2つを軸に、新たなデジタル人間主義の視点を読者に即すのが目的としている.

目次に表されているように、安易なカルチャーへの徹底した批判、

人間主義の主張・アイデアが全ページに渡って展開されており、どこから呼んでも楽しめる.

本書と合わせて読みたい

本書を読むにあたり、以下記事も合わせて読むのが良いと思う.

ラニアーの名前自体、元々以下の話から知った人も多いだろう.

ソフトウェア開発とゴルディアンの結び目

記事の内容を凄くざっくり言うと、(こういった深い理解なしのメタ情報伝搬ばかりだと書内でも指摘されていたけど..)

  • 今ある、コンピュータ・サイエンス、プログラミング言語は根本的に正しくない方向性のもと構築されている
  • ソフトウェア開発が混乱を極めるのは必然である
  • これらについて設計の抜本的な見直しが必要である.

という主張を展開している.

「ハーフ・マニフェスト - 無能なソフトウェアがネオ・ダーウィニズムマシンから未来を救ってくれる理由」

こちらからは、本書でも議論の主演を担っている、「サイバネティクス全体主義」の、元の定義が確認できる.

元々は、人工知能論者への反論・揶揄のために定義していたものだ.

一方、それに対して自分の立ち位置を人間主義と呼び、対照構造を明確にしていったのが大元の流れだった.

日本語では、以下の本でこれら議論を紹介しているものが読める.


人工知能のパラドックス—コンピュータ世界の夢と現実

注目したいのは表現のシフトに関する具体的なアイデア

ネットカルチャーに関する様々な非難、人間主義の啓蒙ばかりに目が行くが、

背後に共通してある、ラニアーの信念は、現在のあらゆる安易な記号システムに関する不満なのだと思う.

これら踏まえると、ありがちなデジタル主義批判の側面よりも、具体的なアイデアに注目がいくようになる.

それらは、未来への道への具体的なプロジェクトとして、いくつか取り上げられている.

デジタルの抽象性によりそぎ落とされてしまった情報を、上手く扱う方向に発展させるプロジェクトを推進している.

  • ホログラフを利用して行う音楽ライブ、「テレパフォーマンス」
  • 金融プロセスの標準化、それを実現する金融アプリケーション、フローのGUI言語化 等
  • 頭足類のモーフィング性能に習った、状況を視覚的に伝達する「ポストシンボリック・コミュニケーション」

個人的にはネットに対する警笛よりも、これらラニアーのライフワークである、

"デジタルとアナログの溝を埋める表現形式・記号システム”に関するアイデア創作に興味を持っている.