●[対談]乙武洋匡×宮本エリアナ「マイノリティを考える」(1)
今年3月に行われた「2015ミス・ユニバース」の最終選考会で、宮本エリアナさんが日本代表に選ばれた。この大会が例年以上に注目された理由のひとつは、彼女が日本人の母親とアメリカ人の父親を持つハーフだったからだ。「ハーフへの偏見や差別をなくすためにも、出場を決意した」という彼女と、作家の乙武洋匡氏が語り合う――。
乙武洋匡: エリアナさんがミス・ユニバースの日本代表に選ばれ、その日本人離れしたルックスに賛否両論が起こったとき、「そうした議論が起こるだけでも、自分が出場した意義があった」とコメントされましたよね。もう、この言葉にシビレてしまい、ぜひ一度お会いしてみたいと思っていたんです。私自身、こういう体で生まれてきたこともあるし、LGBT(性的少数者)のパレードに参加したりしているし、普段からマイノリティ支援に取り組んでいるので、同志を見つけたような気がして。
宮本エリアナ: ありがとうございます。そう言っていただけるとうれしいです。母が乙武さんの大ファンなので、私も乙武さんのことはよく存じ上げていました。
乙武: ちなみに僕が『五体不満足』を書いたのが1998年だから、当時は…。
宮本: 私、まだ4歳ですね(笑)。
乙武: ですよね。そう考えると、あれから17年も経っているのに、まだまだ多様性を受け入れられる世の中には程遠いのだなあと感じざるを得ません。ちなみに、宮本さんはもともと日本の生まれなんですよね?
宮本: はい、長崎県の佐世保生まれです。私は日本人とアフリカ系アメリカ人のハーフなんですけど、両親は私が1歳のときに離婚していて、ずっと日本人の母と暮らしていましたから、中学生まで英語はまったく話せませんでした。子供の頃は、自分だけ肌や髪の色が違うことがコンプレックスで、なるべく人前に出ないようにしていた時期もありましたね。
乙武: それがこうしてモデルとして世に出るようになったのは、何かきっかけがあったんですか?
宮本: 自分のルーツを知っておきたくて、中学卒業後、父に会うために初めてアメリカへ渡ったんです。向こうの高校に通ったんですが、環境が日本とはまったく違って、私の外見に対して何かを言う人もいません。そこで、ようやく自分の存在を個性として認められるようになった気がします。
乙武: なるほど。そのままアメリカ人として暮らしていくという選択肢はなかった?
宮本: 選択肢としてはありました。やはり、日本では居心地の悪い部分も多かったですから。小学生の頃はいじめも受けましたし、中学生になってからも、人より背が高かったり運動が得意だったりすることが全部「外国人だから当たり前」で済まされてしまう。私個人を見てもらえないのは苦しかったですね。
乙武: うーん。平成の世でも、まだそういう風潮ってあるんですよね。LGBTの方々に対する偏見もなかなか消えていかないし…。それでも日本に戻ってきたのは、なぜですか?
宮本: 夏休みなどで帰国するたびに、ホッとする自分がいたんです。ずっと日本で育ってきましたから、気持ちとしてはやっぱり日本がホームなんですよね。だから国籍も日本を選択しましたし、何か日本でできることを探そうと、モデルの仕事を始めました。これからも海外にはどんどん出ていくつもりですが、最終的には日本のお墓に入りたいという気持ちが強いです。
乙武: なるほど。アメリカで過ごした時期を経て日本のよさも見えてきたし、日本にいても自分を出せるようになったんですね。
宮本: そうですね。人それぞれ違っていて当たり前なんだと思えるようになり、小さなことにはこだわらなくなりました。
乙武: 本来、社会というのはそうあるべきだと思うんです。ハーフも障害者も、マイノリティとして扱われる要素が、ただの特徴として受け止められるようになればいい。エリアナさんの日本代表選出が、1人でも多くの人々が意識を変えるきっかけとなればうれしいですね。
【今回の対談相手】
(構成:友清 哲)
※当記事は2015年06月30日に掲載されたものであり、掲載内容はその時点の情報です。時間の経過と共に情報が変化していることもあります。