6月27日、自民党の村上誠一郎衆議院議員が外国特派員協会で会見を行った。村上氏は、集団的自衛権の行使容認に向け公明党との協議を続ける自民党内にあって、一人、異議を唱え続けているほか、特定秘密保護法にも反対していたことで知られる。
村上氏は与党協議について「重箱の隅をつつくような話で調整し、同意できたところから突破しようとしている」と指摘、「『自分の国が攻められていないのに、なぜ戦争をするのか』という命題に正々堂々と、正面から国民に答えるべきだ」とし、邦人を米艦に載せるというような"レアケース"を出してきて行使の必要性を説明するのは詭弁だと批判した。
さらに、「先人たちが築いてきた、"日本型ブランド"の平和主義を180度転換する意味があるのか。吉田茂さんや岸信介さんは、経済再生のため、日米安全保障条約と憲法9条によってできるだけ防衛費をかけなくて済むようレトリックとして使ってきた。残念ながら、お二人のお孫さんたちは、そのお爺さんたちの気持ちを斟酌できていないのではないか」と、皮肉めいた発言も。
村上氏によれば、多くの議員や官僚たちも自らと同じ考えだが、「内閣改造を示唆されていて、人事をちらつかせられたら何も言えない。」「官僚の600の幹部ポストは内閣人事局に握られることになった。官僚は一度左遷されれば戻ってくることはできない」などの理由から反対の声が上げられない状況にあることを示唆した。
村上氏の冒頭発言
私は(浅田)真央さんと(羽生)弓弦くんが呼ばれたこの場所に呼ばれたことを非常に嬉しく思います。ただ、今回扱う問題はこの日本にとって、今まで70年間やってきたことからの大きな方向転換であり、非常に重要な問題であります。30年近く国会議員をやらせて頂いていますが、今回の問題はどうしても単純に認めるわけにはいかないので、特に憲法、法律の関係についてご説明いたします。まずこの解釈変更による集団的自衛権行使容認の問題点は、三権分立と立憲主義に違反するのではないかということであります。
安倍さんは予算委員会で"私は内閣の最高責任者である、だから内閣の一部局である内閣法制局長官の憲法の解釈についても、自分が責任を持つ。だから内閣法制局による憲法の解釈の変更によってできるんだ」という意見を言っておりました。
残念ながら、それは私は間違いだと思います。
憲法解釈の責任の所在、法解釈の権限は裁判所、すなわち司法、最終的には最高裁判所にあります。立法府=diet、行政府=governmentがやることは、最高裁に違憲だと判断されないような法律をつくり、そしてまた解釈し、運用することであります。閣議決定で解釈を変えて。それに基づいて自衛隊法などを改正するということは、下位の法律によって上位の憲法の解釈を変えるという禁じ手、やってはいけないことだと私は思っています。
そして、内閣の一部局である内閣法制局は、そもそも内閣の法律顧問として、行政内部から政策を法的にささえ、憲法の番人として一貫した法解釈を示し、歴代政権も、その見識を重んじてきました。本来内閣法制局は法律的良心に従うべきで、何が政権にとって好都合かという姿勢で、その場しのぎの無節操な態度を取るべきであはりません。
そもそも今回のこの議論が混乱した原因は、亡くなられた小松前内閣法制局長官が、本来ならば法律顧問として止める立場にあったのにも関わらず…ちょっと例がいいかどうかはわかりませんが、相撲の行司役の人が、自ら回しをつけて土俵に上がってしまった、ということから始まったと思っています。その証拠に、阪田雅裕氏、その前の秋山收氏など、歴代の法制局長官は今のやり方について異議を唱えています。ですから、そもそも安倍さんがインティメイト・フレンドの小松氏を法制局長官に据えた時から、この問題が起きてきたんだと私は考えています。
それからもう一つ。立憲主義とは国家の役割は個人の権利や自由の保障にあると定義した上で、憲法によって国家権力の行動を厳格に制約するという考えで、日本国憲法の基本原理だと考えています。1930年代にドイツにおいてナチスが全権委任法を議会で通すことによって民主的なワイマール憲法を自主的に葬り去った歴史があります。
安倍さんは憲法は不磨の大典だとおっしゃっていますが、私は主権在民、平和主義、基本的人権の尊重は変えてはならないものだと考えています。もしこのような方法で突破することがされたとすれば、いつか主権在民や基本的人権の尊重まで侵される危険があると心配しています。このように憲法の基本原則が機能しなくなり、憲法が有名無実化されたら、私は立憲主義が崩壊する危険性があると心配しております。
みなさんご高承のように、内閣はいくらでも変わるものであります。
内閣が変わるたびに憲法の解釈が変わり、法律が変わることになれば、法の安定は根本から覆され、法治国家としての体をなさなくなると考えております。例えば、共産党さんや社会党さんになれば全部ひっくり返すでしょうし、同じ保守党の中でも、総理が変わればひっくり返る可能性があります。
集団的自衛権とは、自分の国が攻撃されていないのにも関わらず同盟国や近い国が攻撃されたら戦争するということであります。
憲法9条は戦争放棄と戦力不保持を定めていて、自衛権の発動による武力行使は、我が国への武力攻撃があったとき、他に適当な手段がない場合に必要最小限度で認められていることであります。その必要最小限度をいくら緩めたところで、我が国への直接攻撃が無ければは、武力攻撃はできないと私は考えております。
ですから憲法に書いていないことを行わなければならない、集団的自衛権の行使がどうしても必要というのであれば、正々堂々と憲法改正を主張し、徹底的に国民に説明をし、議論をし、憲法の改正するかどうかは最終的に国民の判断に委ねるしかないと考えています。
私はそれが民主主義だと思っております。
良く最近言われるのは、日本がアメリカに見捨てられるから、日本国民の若者の血を流さなければいけないとか、国際情勢の変化だから必要だという意見があります。それは私は間違いだと考えております。日本がアメリカに出している思いやり予算は、はじめ60億円程度でしたが、今は2,000億円近くになっています。
それから安倍さんのお爺さんであった岸信介さんが言っていたのは、日米安全保障条約は片務条約であるけれども、これだけアメリカに基地を提供しているということは、双務条約に等しい、と。要するにアメリカの最終ラインがきちっと出来ているわけです。これを全部はずして一からやり直すということは、アメリカにとっても大変な経費がかかるわけです。 だから、日本とアメリカと今以上の緊密な仲になるのであって、日本が見捨てられるとは考えていません。
それからもう一点、尖閣諸島が緊迫した情勢になった理由は二つあると思っておいます。
一つは、石原慎太郎氏が14億円を集めて、野田首相に国有化しないのは君たちの責任だと煽り立てて、最終的に野田さんが着地点も考えずにやってしまったこと。
もう一つは、安倍さんが、アメリカのバイデン副大統領や皆から中国や韓国と上手くやってくれと頼まれているにも関わらず、靖国神社に行ってしまったこと。
私は石原さんや安倍さんがやったことに対しても、やはりきちっと反省すべき点があるんではないかと思います。
実は私も、母親の兄貴がビルマで戦死して、靖国に祀られています。私も他国から言われるのは嫌です。しかし、公の立場に立った人間は、自分の感情だけで、物事を判断してはならないと考えています。以上です。
小選挙区制で政治がだめになった
"小選挙区制導入の議論の際、日本の政治がだめになると最後まで反対した"という村上氏。秘密保護法や集団的自衛権の問題など、本来国会議員が人一倍神経を使わなければいけない問題に対する認識、注意がだんだん弱くなっていることを憂いているという。報道機関に対しては、秘密保護法の問題について、もっと早くから気づき、報道すべきだったが、マスコミは脳天気だったと指摘。今回こそしっかり報道し、国民の議論を喚起する役割を果たしてほしいと訴えた。
「日本のお寺には大きな釣り鐘があり、指で一度押しただけでは動かない。しかし10回、20回、100回、200回、300回と揺らすと動き出しす。それが私は政治だと考えている。民主主義の歩みというものは非常にのろいものかもしれないが、それを信じてやることが民主主義だと考えている」と、今後の議論の盛り上がりに期待を寄せた。