【女の嘆き】何のとりえもない私……「幸せを感じにくい体質」は変えられますか? | ニコニコニュース

【女の嘆き】何のとりえもない私……「幸せを感じにくい体質」は変えられますか?
マイナビウーマン

<今回の嘆き>
世の中には輝かしい経歴を持っている人、すばらしい才能を持っている人、愛する家族がある人、誰にでも好かれる性格の人、楽しむことが上手な人などがいます。何か特別な才能や地位や運があるわけでもない私は、身の程をわきまえなくてはいけないのでしょうが、どうしても恵まれた立場の人には嫉妬し、誰かにぞんざいに扱われると腹が立ち、自分よりも不幸な人を見ると安心します。こんな自分の性格に、ほとほと嫌気がさします。

【女の嘆き】何のとりえもない私……「幸せを感じにくい体質」は変えられますか?

本当はもっと幸せで満足した人生を送りたいのに、そうなれる要素が自分の中に見当たらない。期待すればするほど虚しくなるから多くを望まず、理想を抱きすぎず、ひっそりと毎日を暮らしている。だけど、自分と同じようなスペックの人が、自分よりも幸せそうにしているのを見ると、心がざわつく……。人には言えないそんな葛藤に覚えがある人は、少なくないのではないでしょうか? このような幸せを感じにくい思考パターンから抜け出すための2つのステップをお伝えします。

<女の嘆きの処方箋>

●その1 自分を抑えつけているものに気づく

そもそも、自分が生き生きと幸せを感じられないのは何のせいだと思いますか? 偏っていてもかまわないので、心の奥底にある気持ちに声を与えてみましょう。

○幸せを感じられない理由
・世の中が私を正当に評価しないから
・何かと見下されてきて自信がないから
・経済的に余裕がなく、学歴も資格もないから
・会社が私のことをあきらめているから
・友人や家族が私を都合よく利用するから
・親が私を立派な人間に育てなかったから
・表面的で実のない付き合いばかりだから
・裏表のある人ばかりで信頼できないから

だから、私はがんばるのをやめた
だから、私は人を信じなくなった
だから、私は笑わなくなった

このように、誰かとの関わりで傷つき、失望し、悲しくなって、少しは闘ってみて、それでも何にもよくならないとき、心はそれ以上の傷つきを避けるためにかたく閉じていきます。もう一度、愛情や幸運に対して心を開くためには、その原動力として“自分のための怒り”が必要となります。ずっと我慢して受け入れてきたこと、仕方がないとあきらめてきたことを堂々と誰かのせいにして、「私をバカにするな!」「私を都合よく扱うな!」「私に押しつけるな!」と吐き出してみましょう。言葉や文章で紙に書いてもいいし、クッションを投げてもいいし、布団をかぶって叫んでもいいのです。そんなことで!? と思うかもしれませんが、自分を抑えつけているものに抗うことで、ほんの少し自分を誇りに思う力が戻ってくるはず。また、「人のせいにするのは卑怯だ」という考えを脇に置き、自分以外の何かのせいにして怒ってみること自体にも意味があります。最終的に、「自分を抑えつけているのは、自分自身なのだ」という意外な気づきが起こるのです。

●その2 自分のことをどう扱うのかを決め直す

人との関わりで受けた傷はつらいものですが、それよりも根深く自分を傷つけるのが、自分で自分に下す評価。これが、自分を抑えつけているものの中でもボスキャラ的なもの。ここで、今後の自分をどう扱っていくのかを決め直すことが必要となります。このとき、自分にあたたかい眼差しを向けにくいとしたら、自分の幸せを阻む手強い思い込みがあるということ。今なお現在進行形で、「愛情や幸運は、私の頭の上を素通りしていく。私はその程度の人間なのだ」と、自分に深く信じ込ませ続けているわけです。この思い込みを変えていくには、ポジティブな宣言を根気強く続けることが必要です。一例を挙げてみます。

○思い込みを変えていく宣言の例
・誰かが私を尊敬しないときも、私は私に敬意を払います
・誰かが私を認めないときも、私は私に理解を示します
・誰かが私をあきらめているときも、私は私に期待します
・誰かが私を利用しようとしても、私は私自身を活かします
・誰かが私をバカにしたとしても、私は私を励まします
・誰かが私に無理を強いるときも、私は私を労わります

他者が感じることや考えることの内容や方向性はコントロールできませんが、自分自身をどう扱うかは自分で決められます。たとえ、他者が自分に冷たく失礼な態度を取ることがあったとしても、“自分まで”そうする必要はないのです。こうやって少しずつ自分への期待を取り戻し、他者の反応や状況に左右されず自分の心に安心や充足を生み出していくことが、幸せ体質への足がかりとなります。

※画像は本文と関係ありません

(心理カウンセラー:三吉野愛子)