8月2日は「パンツの日」――バレンタインデーのように、女性が意中の男性にパンツを贈る記念日…らしい。
なんでも1984年、奈良県の下着製造会社、株式会社イソカイの前身、磯貝布帛工業が自社ブランド『シルビー802』の商品名にちなみ「8(パン)2(ツ)」の語呂合せから記念日を提唱したことが始まりだとか。そこ安直!、勝手に制定してるだけ!…とか言わないように。
そんな記念日にちなみ、今回は知っているようで知らないパンツの歴史についてガチで学んでみるべく、『パンツが見える。-羞恥心の現代史』(朝日新聞社刊)などの著作もあり、日本におけるパンツをめぐる心理、羞恥心の変遷に詳しい国際日本文化研究センター・副所長の井上章一氏にお話を伺った。
■日本でパンツが普及したきっかけ「白木屋パンツ伝説」の真実
まずは気になるのは日本でパンツが普及したきっかけだ。その昔、日本人は“男はフンドシ、女は腰巻”が常識だったハズ。いつくらいから日本人はパンツを愛用するようになったのか? 井上氏が説明する。
「日本におけるパンツ普及のきっかけとされた有名な事件があります。1932年に東京・日本橋の白木屋(しろきや)百貨店で起きた火災です。迫り来る火の手から逃れようと、高層階からロープを伝って避難する際に女性たちはまくれ上がった着物の裾を押さえるため片手を離し、転落死する人が続出。
当時は女性が着用していたという腰巻は筒状に布があるだけ。下から覗こうと思えば、丸見えになってしまう状態です。この事件以降、いざという時のためにパンツを着用する人が一気に増えたといわれているのです」
この火災事故で亡くなった14人のうち、焼死は1人、他の13人は転落死だ。パンツさえ穿いていたら多くの転落死を防げたかも…日本人よ、みんなでパンツを穿こうじゃないか!! ということ? これ「白木屋ズロース(パンツ)伝説」とも言われ、一度は耳にしたことがある人もいるだろう。
しかし、どうもマユツバものの話ではある。そんな絶体絶命の場面で羞恥心が勝ることなどあるか? 当時の新聞記事を検証し、この伝説の「真相」を突き止めたという井上氏は、こう証言する。
「結論からいうと、真相は都市伝説的に語られているものとはまったく違います。確かに、実際の火災事故でも、野次馬の視線を気にして片手を離し、低層階の2、3階から落ちた女店員はいたようです。しかし低層階から落下した人で死者はいません。転落死した人は、高層階から避難の際に煙や炎に巻かれて、やむなくロープの手を離して落下した方ばかり。つまり、あの火事で羞恥心が原因で命を落とした人はゼロなんです」
え、ということは…白木屋パンツ伝説はデマ?
「そうです。それどころか、白木屋事件以降も9割近くの女性が相変わらずパンツを履いていませんでした。こう言ってしまうとつまらないですが、日本におけるパンツの普及は、洋装化に伴いパンツを履く人が増えていっただけのことだろうと思います」
■1950年代後半に起きた「パンチラ革命」
さて、突風でスカートがめくれ上がり、白いレースのパンツがチラリ…いわゆる“パンチラ”に胸をときめかせる男は少なくない。ところが、このパンチラの歴史は意外に浅く、50年前の日本ではなんのありがたみもなかったという。
「私が育ったのは京都の郊外の田園地帯でしたが、子供の頃は近所のおばちゃん達がお菓子や果物をスカートの上にこう、目いっぱい載せて運ぶ光景がよく見られました。スカートを持ち上げているのでパンツも丸見え。当時の人にとって、パンツは単に股間を覆うものでしかなく、いわば実用品。見られても構やしないという意識だったんでしょう(苦笑)。
反面、あの時代はパンチラに胸をときめかせる男性は、少なくとも田舎にはいなかった。つまり、パンチラをありがたがる風潮はパンツへの羞恥心を共有した人の間にだけ成立するものといえます」
な、なるほど…。
「私は、1950年代後半に『パンチラ革命』があったと考えています。戦後、占領軍がもたらした性欲を刺激するパンツが、まず水商売の女性によって取り入れられた。そこから徐々に世間一般でも意識の変化が生まれ始めたんですね。パンツが実用品という枠(わく)にとどまらなくなったことに伴い、見られることは恥ずかしいというように意識に変わっていったのです」
恥ずかしいから見せたくないという女性と、だからこそ見たいという男性の“共犯関係”からパンチラは生まれた、ということか。なお、パンチラの語源となった「チラリズム」は1951年の流行語。女剣劇の第一人者・浅香光代が舞台での立ち回りの際に太腿をチラリと見せたことから発生した言葉だと言われている。
■昔は黒いパンツより白いパンツの方がエロかった!!
かくして、今やパンツの色も様々…好みはあるだろうが、一般的に白は清楚、黒や赤などはちょっとエッチというイメージがある。しかし、そもそもパンツにおける白色は、男の性欲を掻き立てられる色だと認識されていたのだという。
「その昔、真っ白の下着を身に着けていたのは、水商売や娼婦などパンツの先駆者である、ごく一部の“プロ”の女性に限られていました。もともと白という色自体が商売道具の色だったのです。当時の庶民は、古くなった浴衣をほどいて縫ってパンツにしていたそうですから『柄もの』が主流だったようです。
昭和20年代、雑誌の人生相談コーナーでこういう話があります。『妻が洗い立てのパンツを履いて外出している、浮気じゃないか』と。普段は汚れていても平気で履いているのに、洗い立ての真っ白なパンツを履くなんて不審であるというわけ。つまり、真っ白いパンツを選ぶ振る舞いにはなんらかのメッセージがこもっていたんですよ。
一方、女学生のズロースは黒が多かったんです。生理用品、あのアンネナプキン普及前は、白だと経血が目立ってしまう。そこで汚れが目立たない黒色がよく使われたのです。アンネナプキンの登場はパンツの変遷にも大きな影響を与えたんですよ」
目からウロコのパンツ雑学。考えてみれば、毎日はいているのに自分たちは何も学んでこなかった。たかがパンツ、されどパンツーー今年の8月2日「パンツの日」は、知っているようで知らないパンツについて改めて考えてみてはいかがだろうか。
(取材・文/山口幸映)
■プロフィール 井上 章一(いのうえ しょういち)
京都大学工学部建築学科卒業、同大学院修士課程修了。国際日本文化研究センター副所長。1986年、『つくられた桂離宮神話』でサントリー学芸賞、『南蛮幻想』で芸術選奨文部大臣賞を受賞。91年の『美人論』が物議を醸し話題に。その後、日本人のパンツ観をたどった『パンツが見える。-羞恥心の現代史』、編著の『性欲の文化史』などでも知られる。近著に『性欲の研究 東京のエロ地理編』(平凡社刊)