喜劇役者で吉本新喜劇の全盛期を支えた花紀京(本名・石田京三)さんが5日午後7時44分、肺炎のため入院先の大阪市内の病院で死去した。78歳。6日午後、大阪市内で通夜が密葬形式で営まれ桂文枝、弟子の間寛平らが参列。また、同日にはラサール石井、小籔千豊、小林幸子らもブログやツイッターを通じて花紀さんの冥福を祈った。
【舞台写真】盟友・岡八朗とのコンビで劇場を沸かせた花紀京さん
◇コメントは以下の通り(※一部抜粋)
■桂文枝
「突然のことにびっくりしました。エンタツ・アチャコのお芝居をご一緒させていただき『また仕事しような』と言われた時の笑顔が忘れられません。きょうはありがとうございましたとごあいさつさせていただきました」■間寛平
「何度も怒られました。けど『芝居は味と間や』と教えていただきました。自分が座長になったときも喜んでくれました。倒れられた後も年に2、3回はお見舞いに行っていました。今年も嫁さんと二人で見舞いに行き、その時に嫁が『寛平が来たで!』と声をかけると目を見開いてくださいました。もう一回、兄さんの芝居が見たかった」■ラサール石井
「土曜日に学校から走って帰ってきてテレビにかじりついて見た吉本新喜劇。自転車のスタンド立てたままガガガと動かし、おでん屋の汁とカラシだけ食べて「お代なんかもらえるかい」と言われると「おっちゃんとこ安いなあ」ととぼける。同じところで何度も笑った。フラとはこの人のためにある言葉。合掌」■小籔千豊
「今日はより一層 吉本新喜劇を盛り上げるぞ!と誓う日になりました これからも吉本新喜劇をよろしくお願いします」■小林幸子
「これまでに何度も舞台でご一緒させていただき、コミカルなお芝居が素晴らしく、ずば抜けた個性を表現された役者さんでもある、花紀京さん。とても残念でなりません。ゆっくり、天国で休んでくださいね。ご冥福をお祈りいたします」 花紀さんは1937年大阪市生まれ。父は戦前から戦中にかけて活躍した喜劇役者・横山エンタツ。劇団「笑いの王国」などを経て62年に吉本興業に入り、吉本新喜劇で活躍したほか、岡八朗さんと漫才コンビを組み「エンタツ・アチャコの再来」として脚光を浴びた。
89年の新喜劇退団後も舞台で活動。テレビでもコメディー番組『てなもんや三度笠』やNHKの連続テレビ小説『やんちゃくれ』『ほんまもん』などに出演。2001年にはダウンタウンなどと参加したユニット「Re:Japan(リ・ジャパン)」の「明日があるさ」でNHK紅白歌合戦に初出場した。