長崎市の平和祈念式典で、被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた谷口稜曄さん(86)。生死の境をさまよった被爆体験に加え、集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法案に言及し、「許すことはできない」と訴えた。
谷口さんは当時16歳で、郵便配達の途中、爆心地から1.8キロの長崎市住吉町にいた。背後で虹のような光があり、強烈な爆風で吹き飛ばされて道路にたたき付けられた。しばらくして起き上がると、左手は肩から手の先までボロ布を下げたように、皮膚が垂れ下がっていた。
着ていた服がなくなり、背中一面に大やけどを負った。そのため、3年7カ月の入院生活のうち1年9カ月はうつぶせの状態で生死の境をさまよった。床ずれになり、今も胸がえぐられた状態で、肺活量も健康な人の半分程度しかない。
戦後は、核兵器廃絶と被爆者援護を求める運動を引っ張った。今年4月には、核拡散防止条約(NPT)再検討会議に先立ち、米国で核兵器廃絶を訴えた。谷口さんは「世界の国々で核兵器廃絶の運動は高まっている」と指摘する。
近年は体調を崩しがちで、今年7月には一時入院もした。しかし、2回目となる「平和への誓い」は、いままでの被爆者運動の「集大成」という覚悟で引き受けた。
国会で審議されている安全保障関連法案について、「被爆者をはじめ平和を願う多くの人々が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもの」と批判する。「戦争のない、核兵器のない世界の実現のため、生きている限り、戦争と原爆被害の生き証人の1人として、その実相を世界中に語り続ける」と誓った。